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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

アントニオ猪木最後の著書?「生きるために闘う」〜「40人の対戦相手」への論評で浮かぶ、猪木プロレスとは

アントニオ猪木が亡くなり約1ヶ月…当然のことだが、本当にたくさんの追悼特集記事、特集番組があり、さらに彼にまつわる単行本も、過去のものも含めて注目されました。


この10月に急逝するとはやはり予想外のことであり、その直前のインタビュー記事などを収録した本(この前紹介した堀江ガンツ「闘魂と王道」だ)もあるが、まさに「アントニオ猪木」名義で、逝去の直前に出された本もある。
おそらく、この本がアントニオ猪木の名前で刊行された本では最後ということになるんじゃなかろうか…

初版奥付の日付が7月30日のアントニオ猪木「生きるために闘う」がそれだ。

元気ですよ! 幾多の名勝負を繰り広げ、ファンを熱狂させた"燃える闘魂"。現在もまた、難病の「全身性トランスサイレンチンアミロイドーシス」と闘う姿を公表し、多くの人に生きる勇気を与え続けている。そんなリングのレジェンドが、かつて魂をぶつけ合ったライバルとの名勝負を解説する。ドリー・ファンク・ジュニア、ジョニー・バレンタイン、ルー・テーズ、カールゴッチ、アンドレ・ザ・ジャイアントモハメド・アリ、タイガー・ジェットシン、ローラン・ボック、マサ斎藤ストロング小林ラッシャー木村長州力藤波辰爾、タイガー・キング、前田日明他、40試合について言及している。


本のタイトルだけ読むと、これも数多く出た猪木流の人生論・ポエム的な本のようにも思えるが、実はこの本の内容は、サブタイトルのほうがよく表している。

「リングで命を燃やした『魂のライバル40人』」


……そう、これは 週刊大衆に連載されていた読み物を再構成したもの。そのテーマは「実際にリングで戦った40人のレスラーの思い出を回想し、ひとりひとりを論評する」ものである。


実はオールドスクールのレスラーは、なかなか虚実皮膜のプロレスの奥の奥の部分は語らず、墓場まで持ってくのがポリシーだ。


だが「闘った相手の話」になるとかなり饒舌になる…もちろんケーフェイをあからさまに犯すということはないのだが、問わず語りにそれが透けて見える…ということがよくある。


ジャイアント馬場にもこういうタイプの本があった。

ジャイアント馬場の十六文がゆく」

という本でな…。バディ・ロジャースがいかに素晴らしいか、とか、カール・ゴッチは言われてるほど大した選手じゃないよ、みたいな、馬場流プロレスの思想がそのまんまわかるような選手評も多いし、アメリカマット界を経験した人間として人種差別の問題などにも少し触れてたりする…。

て、こんなレア馬場本の紹介しててもしょうがない。猪木本の紹介に戻ろう。



とは
いえ!


やはりアントニオ猪木ぐらい多数のインタビューに答えていると、そして無駄にこっちが読んでいると(笑)、やっぱり「既出の情報」は多いもの。
ただ、 それは紹介してる当方の感覚がちょっと一般の人とかけ離れてしまっただけで(笑)、普通の人には新情報も多いだろう。



以下は、自分がおやっと思った、個人的な新知識や再確認の情報を中心に、箇条書きしていく。


カール・ゴッチに新日本旗揚げ時オファーして、契約金を手渡した時、ゴッチは一枚一枚ドル札を数え始めた。力道山の親父なら、それは若手とかにやらせて、自分で金を数えるようなところを見せないだろうなと思うと、ちょっと寂しさを感じた。



ビル・ロビンソンカール・ゴッチ、俺の3人でホテルの一室に集まってレスリング談義をしたことがあったが、いつのまにかベッドを片付けてスペースを作り、腕の取り合いや関節の極めあいになった。最初は面白いのだが延々と続いてキリがないので俺は途中で切り上げた(笑)



・俺のコブラツイストは、ジョニー・バレンタインとの戦いの時に自然に出てきた技。そこから得意技として使うようになった。東京プロレスは3ヶ月で崩壊したが、バレンタインとの試合ができたというだけで、後悔はない。



新日本プロレスならザ・デストロイヤーをバラエティ番組に出演させて、おちゃらけてる姿を見せるようなことは絶対にさせなかった。



タイガー・ジェット・シンを売り込んできたのは、力道山の時代から「呼び屋」をやっていた日系二世の吉田さん。だが宣伝用の写真では神は小さなナイフを口にくわえていた。
「こんなおもちゃみたいなものを加えても面白くない、いっそ長いサーベルを咥えさせよう」と提案したのは俺で、俺の興行師としてのアイデアの勝利だと今でも自負している。



・グレート・アントニオを制裁したのは、やつが場外乱闘中に攻撃を止めカメラマンに向かってポーズをとったことだった。戦いの場で笑いが起こったらもう終わりだ 。



・ローラン・ボックとの試合は俺の判定負けとなっているが、顔の傷を見ればどちらのダメージが大きかったか一目瞭然だ(俺の勝ちだ)。それに俺は翌日から四日連続で試合をこなしたが、ボックは一切試合に出ず三日間ホテルのベッドに伏せっていた。



・好きか嫌いかで言うならブルーザー・ブロディは俺が大嫌いなタイプ。とにかくプライドが高くリング上では自分が目立つことしか考えていないし、リングを降りれば自分を高く売ることしか頭にない。
まあそれはともかく興行的なインパクトは大きかった。
後楽園ホールにスーツ姿で現れるという初登場の演出をしたのだが、この時ベートーベンの「運命」を会場に流したのは俺のアイデア。スタッフは「悪ふざけに受け取られかねない」と反対したが、傍若無人のイメージだったブロディーの「格式」を高めたのだから大成功だったと思う。



ハルク・ホーガンは来日当初、非常にオドオドしてることがよくわかった。スターになる可能性は感じたが、やはりレスリングはできない。グラウンドの攻防や相手の技の防御、関節技などはどれも下手くそ。
だから俺は「ホーガンにヒールは無理」 と判断し、日本側の助っ人にしたのだ。ヒールはベビーフェイスを引き立てるテクニックが必要だけどハルク・ホーガンにはそれがなかった。
しかしそれがホーガンに、のちに大成する「自分の見せ方」を覚えさせることになった。



・ブッチャーは興行面での貢献が高かった。要するに客が呼べるのだ。特に地方に行くとそのネームバリューは絶大で、こと集客力に関してはタイガージェットシンとは比較にならないぐらい凄かった。



・ベイダーは来日当初、ハルク・ホーガンと同様に客受けするレスリングがまるでできなかった。俺から言わせれば木偶の坊。だがそこからスタイルを磨いた。過去の試合をビデオで振り返るようなことをめったにしない俺だが1996年正月に東京ドームで戦った試合だけは見直した。こんな試合をよくやったもんだと一人感慨にふけった。
有名な殺人ジャーマンを受けてから(ベイダーも「本当に猪木を殺してしまった」と思ったらしい)、腕十字で勝つまでの記憶はない。



・シータ・チョチョシビリとの試合は、ソ連軍団来日のため本当に骨折ってくれた 政府高官が、前日にガロン瓶のウォッカ持参して「とことん飲もう!」と言ってきた。それに付き合ったら翌日酒の抜けない状態のままリングに上がらなければならなかった。



大木金太郎は対戦相手が嫌がるほど体が硬い。相手の体が硬いと攻めるにしても受けるにしても対戦相手はすごく苦労するんだ。



ラッシャー木村の「こんばんは」事件の時は「俺に殴りかからんばかりの勢いで、啖呵を切るべきだろう。せっかくチャンスを与えたのに…」と思った。



坂口征二は48歳で引退し経営者として新日本を支えてくれた。しっかり金勘定ができるタイプ…ではあるのだが、本当にお金を勘定するとなると、お札の数を数え間違うのでスタッフがこっそり数え直していたとか(笑)。



マサ斉藤が亡くなった時、告別式には入院先から特別許可を受けて葬儀場に入ったが…当時は車椅子で 、俺がその姿を見せたらマスコミが大騒ぎする。だから葬儀場には入らず駐車場で関係者に香典を渡し、手を一人で合わせた。
藤波や長州力、ハンセンやホーガンでは、雇用主として相手の強さを引き出してアピールするという事に頭を使った。だがマサ斉藤との試合はそんなことを一切考えず純粋にプロレスに没頭できる、そんな試合になった。



・藤波の飛龍革命、髪を切るならバッサリやって覚悟を示せ!俺から見るとアピールが弱い。内心で「それじゃあ切ったうちに入らねえよ」と思っていた。



藤原喜明で困るのは酔っ払うと俺にキスしようとすること(笑)



・グレートムタ、武藤敬司の試合は、俺から見ると燃え上がる闘争心のようなものが見えてこない。
Uインターとの東京ドーム対抗戦、入場の仕方が気に食わなかった。派手なガウンを脱いで見得を切っているが、その瞬間に会場に張り詰めていた緊張感がすっと引いたのが、俺には手に取るように分かった。
緊張感の持続が次の興行につながる。武藤の入場の華やかさはその緊迫感をかき消してしまう。

グレートムタとの福岡の試合も、俺は勝利したけどそもそも相手のムタ、あるいは武藤は本気で猪木超えを目指していたのか?
だから俺はマイクで叫んだ。
「俺は命がけで勝負する。てめえらも覚悟を決めて出てこい!」


ちなみに、猪木にしては相手のプロフィールとかに詳しすぎるきらいがあるが、それは構成者が色々合いの手を入れたのであろう(笑)構成者は米谷紳一郎、協力は甘井もとゆき。どちらも、猪木最後の日々、の貴重な証言者に今後なっていくのかもしれない。