皇帝戦士ビッグバン・ベイダーが亡くなりました。
このプロレスラーがとんでもない才能とキャラクターを持った不世出のタレントであったことは紛れもない事実だが、その登場経緯は、皆さんご存知の通り、ちょっと不思議なルート…「たけしプロレス軍団」をたどったので、奇妙なイメージを持つ人も多いだろう。
ちょっと遡って俯瞰的に見れば、あの頃新日本プロレスは、大物悪役外国人を探している真っ最中だった、という部分がある。
提携していた WWF が全米侵攻のためにアンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガンを 来日させない方針に舵を取るようになり、 しかもホーガンは、日本だったらおいそれと負けられる、というような立場ではなくなってしまった。
そのせいでキングコング・バンディとか、クラッシャー・バンバン・ビガロとかが、急にアントニオ猪木を脅かすようなライバルとして抜擢されたり、渋い脇役扱いだったディックマードックがメイン級外国人に格上げされたり、というのが子供心に抱いたイメージだった。
しかしそれが、スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディのような、じっくりと育って 番付を上げていったレスラーと並ぶようには見えず、「新日本、無理やり大物悪役のイメージを作ろうとしてるな。そういうのはわざとらしくて嫌だねえ」と子供心に思ったのだった。
だからビッグバンベイダーが最初に登場して、猪木が「2試合やったから」という言い訳つきだったけれども初戦で完璧なフォール負けをしたのも、その一環だと思って全然乗れなかった。
だけれども、ベイダーはその「突然現れて、猪木・藤波をやっつけるレベルの横綱番付外国人レスラー」という役割を十分こなすポテンシャルがあった。そこは本当に驚愕すべき才能であろう。
プロレスは勝てば自然とその地位に上がれる相撲とは違って「このレスラーを横綱、大関に抜擢する!」とやることができるのは便利だけど、逆に言えばその実力もないのに横綱や大関にされても、戸惑ってそう振る舞えない人もたくさんいる。
何しろ武藤や馳のような天才肌のレスラーですら、 一度はこの「抜擢」に応えられず失敗しかけたのだから。
凡百の巨体レスラー、デブレスラーではないことを証明したのは、その跳躍力においてだった。その頃だって巨大レスラーが空中殺法をあえて見せて、怪力だけじゃないぜとアピールするというのは一つの売りだったけど、ベイダーの空中殺法はそのレベルを一つも二つも上回っていた。いや同時期のビガロがまさにそういうレスラーだったけど……何だったのかな、重量感だったかもしれないし、ビガロが少々、アメリカ本土での活躍も視野に入れた活動をしていたから、新日本的には番付をベイダー>ビガロにしたゆえかもしれない。
それにしても、後にムーンサルトプレスを決め技として使ったのは、コス辛くなっていた古いプロレスファンだった私ですら雑誌で見てびっくり、レンタルビデオ屋で WCWのビデオをわざわざ借りて確認したぐらいだった。そのビデオのタイトルですら「ベイダー仰天ムーンサルト」だったもの(笑)
ベイダーに勝つまで髭は剃らない!!
— カズチカ (@brahman452) 2018年6月20日
剛腕・小橋健太をしてそう謂わしめた皇帝戦士ベイダー
新日本を席巻し地位を上げ全日本プロレスに乗り込みあのスタン・ハンセンと最強合体
ハンセン・ベイダー組は最強外国人の象徴でした
謹んで御冥福をお祈り申し上げます。#ビッグバン・ベイダー pic.twitter.com/oIT5icF3C7
と同時に、 UWF インターに電撃移籍するという、プロレス人生のチョイスも今から逆算すれば非常にイカしたものだった。 それは当時のブレーン宮戸優光のさえでもあったのかもしれないけど、レスリングと関節技…カール・ゴッチやルー・テーズ流のクラシカルレスリングができそうなプロレスラーが参戦するのはともかく、パワーとラフファイトのベイダーがUWFで通用する、 というロジックの組み立て方はベイダーの才能でもあった。
「パンチがダメでも、この腕の部分で叩くのはいいんだろう?」とわざわざレフリーに確認して同時に観客にアピール。そしてまたベイダーが「ベイダーハンマー」と称する腕パンチを振りかざすと、 いくら「Uスタイルであっても、確かに通用するよな」と観客に納得させる迫力を持っていた。(ちなみに当時の自分は、プロレスは受けの美学はあっても結果が決まってるとは基本的に思ってなかったはずだ)
そんな形で当然、大儲けに 稼いでいただろう。
その前後から、WCWと WWEで活躍。日米で活躍するプロレスラーはたくさんいたけど、「日本で作られたキャラクターをそのまま外国に持ち込んで、そこでトップを取った」レスラーとしては、地味に彼が元祖なんじゃないだろうか。WWEではトップ中のトップにはなれなかった(超ベルトコレクターの彼だが、WWE世界王座のベルトだけは巻いていない) けど、シャムロックと格闘技思わせるケージの試合をやるなど、こわもて的なイメージもキープしていた。そこはシュートスタイルのUインターでトップを取っていたことで、それなりにドレッシングルームでの評判にも繋がっていたのではないかと思う。
そもそも、「痛そうに見えていたくない技をかけるのが超一流レスラーだ」という流儀とは完全に別に、やるもやられるもハードヒットな流儀だったようだ。ここも日本流。
猪木への投げっぱなしジャーマン、あれ猪木がクリアできたから結果的には伝説だけど……、あれはちょっとセミリタイヤの50代にかける技じゃなかったよな(笑)
The Vaderplex #NJPW pic.twitter.com/rhkZdpCygb
— LARIATOOOO!! (@MrLARIATO) 2018年6月20日
でも結果的には受け身の度合いを見極めた、すごいってことになるのか。
キャリアの後半は、さっき述べた猪木引退のカウントダウンスペシャルで新日本に復帰、そして全日本に来襲し、四天王とすごい戦いをしただけでなく、かつて大激闘を繰り広げたスタン・ハンセンとタッグを組むという…最後の「最強外人と最強外人がタッグを組めば、そのまま最強タッグチームができる」という幻想を完璧に演じるタッグチームを見せてくれた。
その後は肥満の度もすすみ、体調は悪くなっていたようだ。
そしてノアでは、マイティ井上が暴露した「ホテルに焼酎ボトルを何本も持ち込んで泥酔、そして錯乱して自分の体を傷つける」 という騒動を起こし、激怒した三沢光晴に契約解除された。
それもまた今から思えば、体が衰弱しきっていくのを見せないで済んだという点では、結果的に良かったのかもしれない。
今は良くも悪くも日本のプロレス界は、ああいう形の「最強モンスター外国人」は必要としていないように見える。
そんな時代の最後のレスラーだと勝手に認定したい。
どうか安らかなれ。