こんなLINEが来た。
今更だけんども、ブロディとハンセンは実際はどのくらい仲がよかったんだろうか。
いくら盆休みだからといって、子供も成人して就職し、本人も相応に社会的地位のあるひとからの質問としてはどうかだし、手元に資料が少ししかなかったのだが、ひとことふたことだけ回答することにした。
それはハンセンの自伝にくわしーく書いてまして(続く)
ハンセンとブロディは梶原マジックでは同級生だけど、本当はブロディが3年先輩(ただし留年もあり)。当時からブロディは超有名だけど、一種の大学名物の畸人という扱いで、特に部屋がすげえ汚くハンセン的には「うわっ、やべーセンパイ」というイメージ。それでもアメリカの大学に先輩後輩の上下もそれほどなく、やはり同じ部としての親しみや友情はありました。
その後、ともに若手としてプロレスのサーキットで再会。本当にタッグを組んだり、貧乏時代に車で寝泊まりしたり一緒にサーキットしたりしました。
ちなみにこの時、悪辣プロモーターに対してブロディはかなり怒って「奴らを信じない。要求できるものはがんがん要求していく」というスタイルになり、ハンセンというか周囲は「ちょっとやり過ぎでは」「だけど彼が代表してプロモーターにごねると、俺達の待遇も良くなるしな…」的な畏敬と懸念を持っていました。
各テリトリーに別れたあとは、互いに出世し、特に日本では、別々の団体でトップを取り「彼も頑張ってんなー」という感じで互いに好感を持ってました。
しかしハンセンの全日移籍後は「これからは同じところでポジション争いをすることになる」という、緊張関係というか互いに気を使いつつ意識し、協力しつつライバル視する関係を持ちます。移籍の際、ハンセンは確かにブロディに仁義を切ったけど、梶原マジック的なあいさつのほか「この後二人は、どういうポジションにつくか」を、タッグ結成や、要はプロレスの筋書き的な相談を、馬場も交えてかなりしたそうです。
それでもブロディの、対プロモーターのスタンスをよく知っていたハンセンは、数年タッグで共闘したあと、ブロディが新日に行くというのを「さもありなん」と見送ったそうです。この間はタッグを組んでいたわけだからもちろん良好な関係もあるけど、それなりに相互にライバルというかポジションを意識し合う関係。
またブロディは結婚して家族を持ち「フランク・ゴーディッシュとブロディを明確に使い分ける。もちろんゴーディッシュが優先」という生活スタイルになり、サンアントニオではほとんどプロレスラーであることを知られてませんでした。
ブロディはその後、新日から全日にUターン。彼は対プロモーターという点では、馬場を信頼するようになり全日限定ですっかり丸くなりました(笑)。そこでコントロールが効くと判断した馬場は、ついにハンセンとブロディを戦うポジションにおいて、それでビジネスをしようとします。エリック以来(笑)。
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ファン投票でカードを決めます!という企画をしたのですが、それはもう、あのカードをやるというのと同じ(笑)。
あの事件が無ければ、ほぼ1か月後に日本武道館でハンセンvsブロディが行われる流れでした。
ちなみにブロディは、自分たちのレスラーとしての位置付けをこうインタビューで語っています。
「ブロディとハンセン、どっちが日本で支持されているかと言えば、ハンセンであることは分かっている。しかしファンの支持と、誰が一番グッドなレスラーであるかは別だ。それはテンルーとツルタと同様で、テンルーのほうが鶴田より人気がある。だが、ツルタのほうがすぐれたレスラーだ。それと同様に、ブロディはハンセンやテンルーやツルタも含め、その上に立ついちばん優れたレスラーなんだよ」
これは率直な意見とともに、ポジションの「すみわけ」意識だと思います。
しかし、不慮の事故が起きた時、ハンセンはあらためてブロディをかけがえない友人として追悼します。
奥さんと子供のところに、折に触れ電話して励ましたのはハンセンだったとか。その時の子どもも立派に成人しました。
(了)
最後の方で引用した活字は、上下二巻のこれの下巻。
- 作者:斎藤文彦
- 発売日: 2017/03/17
- メディア: 単行本
そして若手時代の全体は、スタン・ハンセンの自伝からなのだが、この本が長く入手可能であってほしいもの。