めっちゃ唐突ですまん……
なんでこんなこと思いついたか自分で検証すると…、ああ、自分的に、ブログで「この日付に合わせて、毎回この記事を書こう(或いは再掲載しよう)」っていう日があって、それが12月が一番多いんですね。
これはまれだけど、12月8日の真珠湾、
ほぼ恒例と決めているのが
12月14日の赤穂浪士討ち入り(忠臣蔵)
12月23日の現上皇陛下、かつての天皇誕生日にまつわる、A級戦犯処刑日との重なり
12月24、25日のクリスマス関連……
で、一通り終わって、
「ああ、やれやれ日付ものはこれでひと段落か…次の日付ものって何かな…2月26日の、二・二六事件の日か…そもそも、日付が分からないと書けないよなこういうのは…2・26事件は、日付が分かるからいいよな…」
とか思ったところで、雷鳴のように突然「そういえば、なんであの事件は日付で呼ばれているんだ???」と思ったんですよ。
たぶん、エビデンスなく、常識に基づいて言うけど、「発生したその直後とかでは、こう呼ばれている筈がない!!」と思うんだよね。何しろ成功するかもしれないし(笑)、成功したら「昭和維新記念日」とか、そのままで呼ばれたろう。それに、どんな事件でも、日付で呼ぼう、という発想はすぐには出てこないんじゃないかなあ・・・・・・・。
あ、いま書いてて思ったけど、ひょっとして、たとえば「不逞陸軍大逆事件」「北一輝の乱」とか、そういう名前や、逆に「青年将校昭和義挙」とか、そういう名前を付ける行為自体に、価値判断が伴いかねず……陸海軍は最終的にここで動いた決起軍を鎮圧する方向に動いたけど「身内から出た」この事件や実行者を、クソミソにけなすような価値判断をすると自分の維新に、いや威信に傷がつく。さりとて称賛もできない…そんなジレンマが「ただの日付で事件を呼ぼう」となったんじゃないだろうか!!うん、3分前に思いついたことだが、ただしいような気がしてきた(笑)。
そもそも、起きた事件にどういう名前を付けるか、で関係してる本
数日前に読んだこの本にも、影響されたかもしれない。
何が、「勝者」を決めるのか
中世を中心に、日本史の転換点となった、あるいは転換点を引き寄せる要因となった10以上の乱と変を読み解いたのが、本書である。なぜ起きたか(背景)、誰と誰が何のために戦ったか(構図)、どう進展したか(経過)、何をもたらしたか(結果)を明らかにして、当時の日本がどのような状況にあり、当時の日本人が何を求めたのかを考察していく。ひとつひとつの乱と変を掘り下げることはもちろん、すべてをつなげることで、日本史を貫くものが見えてくる。すなわち、この国では誰がどのような時に勝利し、敗れる者は何ゆえ敗れるのか。700年にわたる「武士の時代」を概観、日本および日本人の本質に迫る。
ここの序盤に、日本史の世界では「乱」や「変」をどう使い分けるか、みたいな話が出てきて、けっこう熱く語られているんだけど、ただ『あんまりはっきりしたルールない。ルールに見えても、探せばいくらでも例外が出てくる』という結論になるという(笑)。