小ネタ。
折もおり、朝日新聞でこんなアンケートを実施していた
朝日新聞の世論調査「芸能人がSNSなど公の場で、政権を批判することは、問題があると思いますか」に「問題がある 29%」。権力を持つ集団に対し、個人の考えを表明することに、なんで、他人が「問題あり」なんて言えるのだろう。https://t.co/3qc4UIyMba pic.twitter.com/eCpxUaICLh
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) 2019年5月3日
芸能人がSNSなどで政権批判することへの受け止めを尋ねると、「問題がある」29%、「問題はない」は65%。「問題がある」は立憲、共産など主な野党と公明支持層が2割台だったのに対し、自民支持層では39%(「問題はない」57%)と高めでした。👉朝日世論調査 https://t.co/pcbro1ayrc
— 前田 直人 (@Nao_Maeda_Asahi) 2019年5月3日
問題ないと言いつつ、自分が好きなタレントが自分と異なる政治的志向を持っていれば以後そのタレントが関わる商品や番組などを忌避する可能性があるのが消費者。だから企業は及び腰に>"芸能人がSNSなどで政権批判(略)「問題はない」は65%で、許容する見方が多かった"https://t.co/HyR4GxEMEZ
— 米重 克洋 (@kyoneshige) 2019年5月3日
芸能人が政権批判することの是非というよりは、それを消費者&社会が常識として受け入れられるかどうか、が重要。消費者は人間だから自分と異なる政治的志向でもそれはそれこれはこれと切り分けて好きでいてくれる人ばかりではない。芸能人の政治的発言が少ない日本は尚更。だからこの問題は難しい。
— 米重 克洋 (@kyoneshige) 2019年5月3日
芸能人が政権批判することの是非というよりは、それを消費者&社会が常識として受け入れられるかどうか、が重要。消費者は人間だから自分と異なる政治的志向でもそれはそれこれはこれと切り分けて好きでいてくれる人ばかりではない。芸能人の政治的発言が少ない日本は尚更。だからこの問題は難しい。
— 米重 克洋 (@kyoneshige) 2019年5月3日
昨日も某党の特設サイトに登場した若いタレントがその仕事をしただけで袋叩きのリプを受けている。考え方は人それぞれ、というのを認めない層がいて、俺と同じ考え方でないのはおかしい、と他人にラベルをバンバン貼っていく。結構異常なことだが、フィルターバブルでそれが当然かのように助長される。
— 米重 克洋 (@kyoneshige) 2019年5月3日
最近は芸能人どころか、政党所属の政治家ですら自分の立ち位置、政策の賛否などハッキリ言わない人がいますね。知名度、人気は高いが何を目指しているのかハッキリしない。ハッキリ言うのは万人受けする政策だけ。政治家がタレント並みのイメージ戦略を体現しているのは非常に今っぽいと思います。 https://t.co/qn1bQkg3oQ
— 米重 克洋 (@kyoneshige) 2019年5月3日
「政治・宗教ネタ(の落語)は避けるのが無難です」
毎日新聞には「人生相談」のコーナーがあり、そこで2019年5月3日付で、趣味で落語をやっている男性が「つい下ネタに走ってしまう」と、若い時分の久米田康治先生みたいな悩みを相談していた、のだが…
そこに本職の落語家がアドバイスしているのだけど、基本的には、「迷わず行けよ、いけばわかるさ」みたいに背中を押すもので、その中で、
「実は下ネタは安全。政治や宗教のネタは。必ず異なる政党や宗教を支持する人がいて、できれば避けたほうがいいのです」という実践的な忠告をしているのです。
「ふーーーーん、そういう考えの落語家さんもやっぱりいるんだねぇ」と思って、改めて回答者名を見たら…
立川談四楼師匠でしたよ!!!三度見したよ。
やっぱり当人だった
ああ、会員制だが一応ネット経由でも読めるね。
mainichi.jp
なぜに三度見したか。理由はこちら参照。
twitter.com
道理で安倍さんがドヤ顔のはずだ。新元号をほぼ独断専行で決め、しかもそれを露骨に政治利用するつもりだったのだ。まるで独裁者の振る舞いだがそれは国内のみで、海外では意気地がない。トランプには高い買い物を押し付けられ、カナダのトルドーにはチャイナと呼ばれても気づかず握手してしまうのだ。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2019年5月2日
元号が変わっても何かがリセットされるわけではない。現に安倍さんは政権の真ん中にヘラヘラと居座っているではないか。格差と貧困を広げ、脱原発とはまるで反対の方角を向き、専守防衛を形骸化させ、拉致や北方領土の問題を1ミリも動かせず、沖縄の民意を踏みにじり続けているのだ。どこがめでたい!
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2019年5月1日
鳩山総理の時、桜を見る会に招かれた。前夜の雨で新宿御苑はぬかるみ靴は泥だらけ、そこを長靴を履いた東国原英夫氏が挨拶に走り回っていた。人混みの中、所在なげな紋付羽織袴姿の把瑠都と黒海を発見、相撲の話をして過ごした。把瑠都は後にエストニアの国会議員になったが、まさかあの日がきっかけ?
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2019年4月13日
…ただし、驚くにはあたらない、かもしれない。例えばふたつほど説明は考え付く。
A:これはあくまでも「ヨカタ、しろうとの落語天狗連の場合は、という説教で、私のような立川流の真打ともなれば、おのずとその『危険』なネタをフグのようにおいしく調理できる」ということなのかもしれない。
ただ、そういう注釈は無い。
これをもし一般的に、プロでもアマでも当てはまる普遍的な法則として語っているなら…、
B:「だから自分は政治的な発言は、落語とは関係ないtwitterでのみやっている。落語、本職では政治について語ったりしない、そういうふうに分離している」…というふうにつなげているのかもしれない。
憲法落語、とかもやってるようだけど
あるいは
C:そうは思っているんだけど、「親子酒」のあれと同じで、やめようやめようと思いつつついつい政治的発言をしちゃう
かもしれない。
ま、どれがどうかはわからん(Aなのかなぁ)が、個人的に驚いたので記憶と記録にとどめておくなりよ。