【解説】このはてなブログ(前身は「はてなダイアリー」)は2004年の開始ですが、その数年前、たしか2001年ごろから、TOKTOKという無料サーバーを借りて原始的な「格闘技資料サイト」を運営していました。
そのコンテンツのひとつが、まだあまり知られていなかった「戦前の柔道vsプロレス in 靖国神社」の資料集。
それを見て頂いたのが庄司彦男の直系のご子息で、2002年に連絡を頂き、直接お会いして話を聞く機会に恵まれました。
しかし
時代の流れで「無料サーバー」が閉鎖されていきます。
TOKTOKはかなりの時代まで持ちこたえていましたが、知らないうちに(苦笑)閉鎖されていたのです(2020年ぐらいだったかなあ…)
その結果として、この記録もネットから消えていたのですが、ふと思い立ち、ブログの空いた過去ページを書き換える形で2025年3月に復活させていただきました。
※ただ、余談ですがご子息の連絡先などは当時使っていた「マイクロソフトOUTLOOK」のメールに記載されており、バックアップはしていたつもりで、そのデータはあるんだけど、グーグルメールに移行した後は、この過去のOUTLOOKメールが連絡帳も含め読めなかったりします…。
これも工夫次第ではなんとかなるのかもしれませんが、とりあえず今後の課題
以下が、復元した過去のHPデータです。
家族の目から見た柔道家・庄司彦男とは?
(インタビュー)
「靖国決戦」でアド・サンテルと死闘を展開した庄司彦男さんのご子息に話を聞く機会がありました。
以後はそのやり取りです。といっても一部記憶に頼ったところなどもありますのでご注意を。文責は筆者にあります。
【庄司とその仲間達】
(当時の新聞や資料をお見せする)
ーーー庄司彦男さんといえば、サンテル戦との死闘の後、米国留学でレスリングを日本に導入。
その後は国会議員としても活躍など波乱万丈の人生を送られた方ですが、その辺をお伺いしたいと思います。
「サンテルというのは、興行主が日本に呼んだわけですね。ただ、呼んだのは石黒敬七さんじゃないか、という話がうちには伝わってましてね」
ーーー趣味人として『とんち教室』などで人気を取った方ですね。柔道家としても一流で。
「で、呼んだんだけど自分ではやらなかった(笑)。それで揉めた末に父が出たと」
ーーーそのへんのゴタゴタが、ここで描かれてます(少年ジャンプに70年代短期連載された「プロレスvs柔道」のコピーを見せる)。お父上も出演していますよ。
「いやあ、この顔は全然似てないなあ・・・(苦笑)。徳三宝も出てますね」
ーーーいただいたメールでは、庄司彦男はよく「徳三宝ならサンテルに勝てた」と言っていたとか。
「別格だったみたいですね。徳三宝が、姿三四郎のモデルだとも言ってました」
ーーーえ、西郷四郎じゃないんですか?
「彼と三宝を合わせたのが姿三四郎に似ているんです。山嵐も、徳三宝は非常な使い手でしたしね。
彼の写真というのはほとんど残ってないんですが、一部は講道館資料室に複写して残っています。これも・・・(と写真を見せる)このへんの写真は、だれがだれだか分からないんのもあるんですよね」
庄司彦男のご子息が持っていた写真の一部 名前がわからない人も ここに写っておられる方々の名前に心当たりがある方は、ご一報ください
ーーーHPで公開してよろしいですか?うわ、耳が見事にわいてますね。うーん、鍛えているんだろうな
「父もどっちかと言えば徳三宝系の顔でしょ?やっぱり漫画は似てないですよ(笑)。鍛えているといえば、毎日4時には木に打ち込みをするのが日課でした。まず水ごりをするんです。真冬でも、風呂桶に汲み置いた水--氷が張っています--を頭からかぶってね。そうするとさすがに寒いらしく「ウオーー」と叫んで気合を入れるんですが、家族はそれで目が覚める(笑)。その後天秤棒を自分で削ったようなもので200回素振り。剣道もやってましたからね。それが晩年まで続きました」
ーーーはあ、昔の人は鍛え方が違うんですね。
「私も高校では陸上に興味が移ってしまったんですが、中学では柔道をやりましてね。私がやると言ったらこの水ごりを薦めるんです。夏はいいんだけど、冬は寒いんでやめました(笑)。勉強でも、中学で英語が始まると辞書を一冊買ってきて『俺はアメリカへ行った直後は全然しゃべれなかったんで。1ページづつ覚えては食べていったんだ。お前もやってみろ』と言うんですね。2ページほどはやってみたんですけど、辞書の味はまずいんです。で、やめました(笑)」
ーーーあははは、そりゃそうですね。でも早稲田の学士で、米国にレスリング留学したわけですから非常に合理的な方だと思ったんですけど。
「あれは、レスリング留学じゃないらしいんですよ」
ーーーえ?
「もともと父は、そのころから政治に興味があったんです。レスリングじゃなくて政治学を学ぶ留学ですね。レスリングは余技のようなものです。と同時に、あちらで柔道も教えていました。さらに不思議なんですが、あちらで政治学を『教えていた』らしいんですよ。教壇に立つ写真があるので、間違いではないでしょうが・・・」
ーーー柔道は、サンテルと戦った人が大学に来ればそんな話もおかしくないでしょうが・・・極東の新興国の事情に興味があったのかな?
「父のアメリカでの足跡は、分からないことが非常に多いんですよ。カリフォルニア大学柔道部は父が始めたという説もあります。あちらの大学に記録があれば分かるかもしれませんが・・・」
【政治、留学、レスリング】
「もともと、さすがにレスリングだけで遊学できるほど裕福ではありませんしね」
ーーーでもあの当時、早稲田から米国留学ということは実家は名士なのでは?
「鳥取ではそれなりに大きい家だそうです。選挙には父は全国区で出たんですが、母は『鳥取から出れば苦労しないのに』と愚痴っていましたよ。父は自分の父親、私にとっては祖父--を早く亡くし、叔父さんが父親の代わりの後見人でした。初の選挙のときも、父の選挙参謀は叔父だったんですよ」
ーーー文字通り影になって支えた人なんですねえ。
「それで最初の選挙は、選挙違反に問われそうになって2週間家の床下で隠れ暮らしをしたそうです(笑)。出馬に批判的な母は『恩人を床下暮らしさせるなんて』と言ってました(笑)」
ーーーしかし、床に隠れて終わりというのは、ある意味のどかだった時代ですね(笑)。
「選挙は、最初は社会党から出馬して、つぎは自民党に鞍替えしたということでだいぶ叩かれましたけどね。でも本人に言わせれば、社会党の方が変わったんだ、俺は変わらないよという事だったんですね。
もともと父は真性の保守主義者なんですが、当時の社会党は、右と左じゃ全く違ってましたでしょ。右のほうは自民党とほとんど変わらないわけです」
ーーー日本社会党ならぬ「二本」社会党なんて言われていましたからね。
「父は、右派から出た浅沼委員長の側近中の側近と非常に仲が良くてですね。そこで声をかけられて出馬したんですが、ぐんぐん浅沼さんが左に引きずられていきましたからね」
ーーー沢木耕太郎が「テロルの決算」で書いていましたね。本来ならそういう路線ではないのに「米帝国主義は日中共同の敵」と発言して、悲劇的な結末を迎えた・・・。
「そうそう。でも、選挙の出馬というのは彼にとっては『自分の力試し』という面がありましてね。だから全国区で出たわけです。政治家としては、今はもうそういう時代じゃないんですが、地元に事業を持ってくるということに力を入れましてね。実家のある鳥取の干拓事業なんかに尽力しました。今でもそこは彦男新田と呼ばれていますよ」
ーーーそれが、サンテルと闘った庄司彦男だなんてみな知らないだろうな・・・。やっぱり全国区当選てのはサンテルとの一戦の知名度があったんでしょうね。
「父が言うには、サンテルの試合はほんとに最後は意識を失う寸前だったそうです。でも、なにくそ!!ナニクソ!!という、その一心だけで時間切れ引き分けに持ち込んだ・・・そう回想していましたね。講道館の破門とかいろいろありましたけど、最後復帰したのはそういう頑張りが評価されたんでしょう」
ーーーサンテルは、のちにプロレスラーのルー・テーズをコーチしたんです。この自伝によると、あまりの指導の厳しさにプロモーターが「彼は人気レスラーなんだ!壊さないでくれ!!」と嘆願したそうですよ(と流智美訳の自伝コピーを見せる)。
「はあ、彼がねえ。私も力道山との試合を覚えていますよ。”綺麗なレスリング”をする人でしたね」
ーーーサンテルが米国のプロレス界に柔道のエッセンスを伝え、庄司彦男がレスリングを日本に持ちこんだとしたら・・・理想的な国際交流ですよ!!
「レスリングは、その後早稲田にクラブを作ったはずなんですが、その詳細はよく分かりません。またその後、八田さんと袂をわかつ形になるわけですが、このへんは謎ですね。今、今泉さんというレスリング史の生き証人といろいろお話しているので、これから何か分かるかもしれません」
【庄司の周りの豪傑たち】
「その後、軍事探偵を満州でやってましてね」
ーーーえ?軍事探偵ってスパイってことですね。それを庄司さんがやってたとしたら、歴史上の重要な一事実ですよ!そういえば明治の西郷四郎もそうだったなあ。
「ただ、すぐに舞い戻ったそうです。なんでも、中国人の助手と一緒に活動していたところ、一緒に寝ていた助手が明らかに変死していたそうなんです。何かの暗殺技術ですね。父は『これじゃ、もうやばい』と直感的に判断したんでしょう、逃げ出しました」
ーーー武道家の勘なのかもしれませんね(笑)。
「ただ、そのときに大陸で知り合った人がいましてね。児玉誉士夫なんですが。」
ーーーえーっ、あの大物右翼の?確かに彼は満州で暗躍してましたけどねえ、そこで知り合ったんですか。
「だから戦後の一時期、父や母が児玉さんのとこに出入りしてましたよ」
ーーーはーーー。
「うちの母、彦男の奥さんもなかなかの女傑でしてね。喧嘩すると耐えるどころか、ぷいと実家に帰っちゃう。
それを連れ戻しに父が来てもなかなか帰らなくてねえ。で、しょっちゅうどたばたの騒動になったんですけど、母の実家の近所には菊地寛が住んでいた(笑)。おかげでその騒動をエッセイだか小説だかに書いたものが残っているようです(笑)」
ーーー小説家が近くにいるというのは恐ろしいですね(笑)
「実は母の父親、私の母方の祖父。この人はですね。福島から明治の初めに単身米国に渡ったんです。そして、そこで洋裁とか何かで結構成功しましてね。で、金子堅太郎と親交を結んだんです。」
ーーーなんと、あの日露戦争で対米外交を担った金子とですか!!
http://shuyu.fku.ed.jp/kaneko.htm
「その対米工作の時も、いろいろ側面援助してたんですよ。祖父と金子さんはそれ以来の付き合いだったそうです」
ーーー太平洋戦争の時まで存命だったんですね。ふうむ、歴史の一場面だなあ。
「歴史といえば、今度お札になる野口英世。あの人を、地元の縁で援助したこともあったそうです」
ーーーあっ、野口英世を!いや、でも野口といえば、地元では留学前にあちこちに大層な借金をして大変だったなんて話が、最近の伝記では出ていますが・・・
「渡米前に、その借金の精算人になってあげたそうです(笑)。野口さんもその恩を忘れず、米国留学中も何度も手紙を寄こしたとのことで・・・。いわゆる支援者の一人として目をかけていたんでしょう」
ーーーうーーーん、サンテルと闘った男の背後に、ここまでの歴史ドラマがあったとは。もっともっと、近現代史の隙間は埋められるべきですね。
【補足】のちに、文中に出てくる今泉氏が、国会図書館において
レスリングに関するスクラップ・ブックを発見したとの由。昭和初期に
「読売新聞」が、庄司彦男氏にインタビューした記事も見つかったとか。
いつか機会があればご紹介できるかもしれません
2002年9月14日
こののち刊行された本

