けっこうブクマもついていたこの記事がきっかけ。
……問題は改革「後」に大きくなったと証言する。
ログイン前の続き「解散は首相の専権事項だという言い方がよく使われるようになったのは割と新しいこと、21世紀に入る前後からではないか。実際、それ以前の自民党では、解散したいと考えても実行できない首相がいた。党内に派閥があり、その力学がときに首相の権力を制約する機能も果たしていたからだ」
政治改革の目標の一つは「派閥の解消」だった。「改革で派閥は存在感を失い、かつては重層的だった自民党内に、トップである首相と個々の議員という両極が残った。首相の解散権は怪物のように肥大化し、議員は言われるがままの存在になった。首相にどこまで権力を持たせるか、首相が解散権を行使する際にどういう条件を課すか。そうした党内議論がなされず、派閥に代わるシステムが作られなかった」
解散権の肥大化、見通せず 小選挙区推進した学者の悔恨 https://t.co/AmVN8wgXRS
— 木村草太 (@SotaKimura) 2017年9月26日
「解散は首相の専権事項だという言い方がよく使われるようになったのは割と新しいこと、21世紀に入る前後からではないか」
憲法の教科書には書かれていない。誰が言い出したのか?
少なくとも1990年のコミック『票田のトラクター』には、「解散は総理の専権事項」が出てきている。とすると、それ以前にも使われているのではないか。 https://t.co/xtZGoWzGFx
— WILD KiT (@WILD_KiT) 2017年9月26日
そうなんだ! https://t.co/FuLr9cvtLR
— 木村草太 (@SotaKimura) 2017年9月26日
国会においては、第98通常国会の衆議院外務委員会昭和58年2月23日における外務大臣答弁が初出のようですね。なお当時の外相は安倍晋太郎。https://t.co/AY0Bh61Bl7 https://t.co/dOwGIbj8Hy
— へい、にーさん (@ssk_krr) 2017年9月26日
国会記録で「総理の専権(あるいは「専管」)」という言葉の初出を調べるという@ssk_krr さんの鋭い発案に敬意の上で、自分もやってみたら昭和54年の例がありましたので参考までに。
— gryphon(まとめ用RT多) (@gryphonjapan) 2017年9月28日
これは「国会閉会中に解散は可能か」という議論の中での話ですが。 pic.twitter.com/BC1Y94Z59W
(なお、さいとう・たかを(戸川猪佐武原作)『歴史劇画 大宰相』2巻370頁には、第4次吉田内閣のバカヤロー解散の際、佐藤栄作・自由党幹事長が記者会見でこの趣旨の発言をしている描写があるが、実話かどうかは不明。)
— へい、にーさん (@ssk_krr) 2017年9月26日
これか
— gryphon(まとめ用RT多) (@gryphonjapan) 2017年9月28日
「第4次吉田内閣のバカヤロー解散の際、佐藤栄作・自由党幹事長が記者会見でこの趣旨の発言をしている描写」https://t.co/R69oMjmCPj pic.twitter.com/PHhvRNZZMq
そうなんだ! https://t.co/x1nRue99JU
— 木村草太 (@SotaKimura) 2017年9月26日
しかし実際のところ、派閥ボスの合従連衡が盛んだった時代、解散権はおのずから制約されて、簡単にできるものではなかった。三木も福田も海部も…
— gryphon(まとめ用RT多) (@gryphonjapan) 2017年9月28日
「解散は総理の専権事項」とは「…であるべきなのに、邪魔するあいつらはけしからん!」という派閥政治批判の意味も多分に含んでいた感がある(続く) pic.twitter.com/NkCGYVST9e
条文上はない「解散は総理の専権事項」は「解散は内閣が行うが、総理は閣僚罷免権があるのだから、反対閣僚は罷免してしまえば自由に解散できる」という論理構成だけど、結局現憲法下でも20世紀にはそれは実現せず、変人宰相・小泉純一郎になって初めて実現したのだから。 pic.twitter.com/p9wmEvOXsn
— gryphon(まとめ用RT多) (@gryphonjapan) 2017年9月28日
現憲法になって以降、表現はどうかわからないがそういう考え自体は以前からあったようで「総理の専権事項(専管事項)」を掘り進んでもこれ以上の発展があるかはわからないけど、語源探偵的には史料として保存しておこうと。