【大人のおとぎばなし】
野球も開幕し、序盤はうーん意外な展開ではないでしょうか。
シーズン予想にAiまで参戦したとか。
人工知能がプロ野球予想 セ・リーグ最下位は阪神https://t.co/IQgMBsMxGC#人工知能 #AI pic.twitter.com/OXbgKXaDvF
— AINOW/人工知能ニュースを毎日配信 (@AINOW_ai) 2017年3月31日
ビッグデータにデイリースポーツは入ってないのか(笑)
それはともかく、予想も序盤の現実も含め野球ファンは燃え上がる時期でありましょうが、
そんな折に一度紹介した野球ファン漫画「球場ラヴァーズ」。
「広島の年」だった今年、あらためて野球ファン漫画「球場ラヴァーズ」(石田敦子)を読む - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20161121/p2
この最初のシリーズからつづく続編、「球場ラヴァーズ〜だって野球が好きじゃけん」を読んだなりよ。
試し読みあり http://sokuyomi.jp/external/viewer2/?id=CO_kyuujourav_004_0001-0
球場ラヴァーズ~だって野球が好きじゃけん~ コミック 1-3巻セット (ヤングキングコミックス)
- 作者: 石田敦子
- 出版社/メーカー: 少年画報社
- 発売日: 2014/12/16
- メディア: コミック
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この人は年の功もあり、職場ではそれなりの責任者、部下もそれなりに持つ女性であります。
そこの一編が、特に印象に残ったので、紹介しよう。
というのは、題名にも入れた「大人のおとぎばなし」の一件として興味深い・・・・・・・・特に言えば、野球、サッカー、プロレス、映画、ジャニーズ、歌舞伎、…すべての「イベント」系のファンが常に可能性に直面している「仕事の急用で、楽しみにしていた〇〇に行けない」という話を描いているのだ。
それも、広島ファンにとってはスペシャルの上にスペシャルがつくであろう、ということは門外漢にもわかる
「前田智徳の引退試合」を舞台にしている。
プロ野球門外漢でも、前田智徳という選手が、ことに広島カープに関してはスペシャルもスペシャルな存在だということは前シリーズでもさんざんに描かれていた。
その前田が、地元で引退する。故郷の母親を走らせてなんとか入手したチケット。
引退試合は見たい!でも見たくない!! ・・・・よくある、葛藤です。
しかし、それでももちろん見たい(笑)
いざ、東京から広島へ・・・・・・・・・・・
行こうと思ったら!!
「発注」「ふたけた」
そりゃおおごとです。
しかし、この女性だってただのそんじゃそこらのファンじゃない。ましてや、広島球場と前田には、ある人物(故人)の思い出もある。その試合を終えたら、前田はバットを置き、二度とみられなくなる・・・・・・
彼女の決断は・・・・・・・・・・・・・・・・
前田と同じように仕事をしよう 仕事で送ろう
今 練習中かな
前田の今が 全然わからない 知るすべもない
けど 野球の中にいるのは知ってる
最後まで 仕事をしている人と 同じ時に仕事できる贅沢
印象に強く残るのは、これが別に「正解」じゃないからでもある。
休みを取るのは労働者の正当な権利。
部署の別の人間がミスをして大きな問題になろうということだって、休暇取得日である以上、それはイッツ・ノット・マイ・ビジネス。人はパンのみに生きるにあらず、仕事と同じように趣味も大事なのだ…というのだって十分正論だし、ファンが、大きな仕事を投げ出して、まさにファンとしてその場で「見る」ことにすべてをささげることだって、同様に感動的だ。
それはバキ外伝で、猪狩とマウント斗羽が東京ドームで無観客試合をするというときに、「お前らがたった2人で試合をする権利なんてないんだよ!」と全国から駆け付けたプロレスファンの姿を想起されたい。あのときは手術室から抜け出した外科医までいたぞ(笑)
しかし、やっぱりだ、
なんというか…日本社会の空気、とか日本人の民族性(とはいえたかだか数十年の風潮ではあるが)、とかに帰結するようでもあり、無関係でもあるが・・・・・・・・・やはり、なんというか(くりかえし)、自分がこの立場なら、と考えると、またやはり、こういう流れが多少なりとも「しっくり」来るのは否めない。
これは井沢元彦氏が言ってたことだけど、そしてプロ野球にも関係してくることだけど
「親の死に目にも会えない」
とか
「家族が病気、だけど球場に来てホームランを打った。この打球、病の息子に届け」
というエピソードと
「妻の出産に立ち会うためにシーズン途中でエースが、4番が離脱。出産を見届けていよいよ復帰」
というとき、ポリティカルコレクト的にどっちが正しいのか?といえば今現在の風潮では後者を責める人はいないけど、どっちが琴線に響く?となると、いまなお前者のほうに感動する人が多いのじゃないでしょうかね。
たしか80年代の半ばぐらいに、これで外国人選手が球団とトラブルになったことがあったはずだ・・・・
それは極端な話としても
「仕事のため、会社のために、どうしても行きたかった試合をあきらめる」という
ありがちにして凡庸にして、社会の片隅に発生したちょっとした悲劇を・・・・・・・・・・・前田智徳の職人的な、ストイックな野球人生と交錯させ
「私も仕事をする。前田も野球という仕事を最後までする。
球場に行けなくても、試合を見られなくても、それはつながっているんだ」
という「解」を見い出すにいたるまでの流れは、―――――――この漫画に共通することだけど――――そこに「前田智徳」という固有名詞が入ることで、はじめてピースがはまる。…ので、あろう(野球にくわしくないので推量形)
プロデビューして間もない頃、二宮清純に「理想の打球は?」と尋ねられたところ、「ファウルならあります」と答えた[注 2]。1992年の二宮のインタビューでは「打席に立つ目的は?」と聞かれて、しばらく考え込んだ後、「理想の打球を打ってみたい、ということかなぁ」と答えた[31]。また、二宮の同インタビュー内で「どんな打球が理想かと問われても、まだよう分からんですけど。イメージとしては頭にあるんです。それを言葉にできれば苦労しないんでしょうけどね。とにかく、(理想の打球への夢は)簡単に諦めたくない。そのこだわりがなくなったら、僕はおしまいでしょう」、「自分を追い詰めるのは恐怖から。今日打てても明日打てると言う保証はない。毎日が怖くてたまらない」、「内容のいいヒット、自分で納得出来るヒットを一本でも多く打ちたい。それしか考えていません」と発言するなど自らの持論を述べた[24]
そして最後は、結局会場に行けなかった彼女が、前田智徳とマエケン…ふたりの前田の話を聞き・・・・と終えるのだが、それは実際に作品に任せて省略しよう。
この記事は
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170403/p3
につづく。