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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

宮台真司氏が「ナンパというフィールドワークに乗り出す経緯」の自己申告がちょっとおもしろい

宮台真司氏のブログなんてめったに読まないのだが、何かのbot経由で読む機会を得たなりよ。

「絶望の時代」の希望の恋愛学

「絶望の時代」の希望の恋愛学

この本のあとがき予定だったのだが、だいぶ長くなってしまい、完全版をブログにUPしたらしい。

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=1035

【混乱の日々が導いた奇蹟的な邂逅】
 僕が「声掛け」に乗り出すようになったのは1982年つまり23歳の大失恋後。それから83年にアウェアネス・トレーニングに接触するまでの間に、重大な出遭いがあった。その出遭いは僕は感染をもたらし、やがて「声掛け」へと向かわせた。それが本書に繋がる。
 早稲田大学教育学部教授の丹下龍一先生(故人)との出遭い。初めて訪れた研究室の壁一面にジェーン・フォンダのポートレイトが飾られていた。先生はフィリピン人と見紛う濃い目の風貌で、日に焼けた小柄な体躯をラフな開襟シャツとジーパンで包んでおられた。
 エスノメソドロジーの社会実験をする社会学者だと伺っていた。研究室を訪れると先生はカセットテープを再生した。丹下先生と若い女性の二人の会話が収録されていた。テープが進むと、別の若い女性との会話になった。「何だと思う?」と先生が尋ねられた。
 皆「よろしくお願いします」から始まり、故郷のこと、親のこと、高校時代のことなどを喋った。先生が明かした。「ホテトル嬢をラブホに呼んで会話している。客に身分を偽るホテトル嬢に、どれだけ短時間で本当の身分を語らせられるかを、実験してるんだ」
 先生は「免許証などを見せてもらって裏を取っている」と語られた。何のための実験か。先生が仰言った。「知らない人と一瞬で親しくなるのは難しいと誰もが思う。その前提が都会に生きるのを難しくする。でもそれはコミュニケーションの仕方を知らないからだ」。

(略)
数日後、僕は街頭で「丹下先生を反復」していた。「不案内なおのぼりさん」として女の子に道を尋ねていたのだ。親切な子もいて、案内してもらったお礼に「お茶でも」と切り出した。
 知らなかった世界が開けた。なぜ自分は丹下先生を反復したのか。失恋の痛みを忘れるためか。劣等感を埋め合わせるためか。分からないことだらけ。程なくアウェアネス・トレーニングに出遭い、更に二年してテレクラに出遭った。全出発点は先生との邂逅だった。
 邂逅の前には失恋があって混乱が続いた。それが邂逅を導いた。
(略)
 妻の由美子と、娘「はびる」と「まうに」、じきに生まれる男児「うりく」。過去の出鱈目地獄に辛うじて意味があったと思えるようになったのは妻や子供らの御蔭だ。あの混乱の日々なくして妻との出会いも子供らとの毎日もない。その思いが動機づけを与えた。


ああ……
http://ameblo.jp/aquariangospel/entry-10207545885.html
に、呉智英氏のコラムの引用があるんだが、そこから一部孫引きしよう。

……東京の渋谷や原宿で「援助交際」が話題になり始めた時、それを面白おかしく煽(あお)るかのように取り上 げるメディアに毎回登場する社会学者がいた。その社会学者はきっと援交ギャルの一人と結婚でもするのだろうと思っていたのだが、彼が結婚したのは名門女子大卒の若く美しいお嬢様。
しかも今時珍しい“箱入り娘”だった−とは、三浦展(あつし)の書くところだ。その社会学者は、名門の私立中高一貫校から東大に進学し、都内にある名門公立大学助教授(後に教授)になっている。
いやはや、メディアの誤ったメッセージに直撃された人たちはえらい災難だった。
その社会学者の名前は、宮ナントカと言ったが、失念した。

続いて小谷野敦

2007-01-01 私は宮台真司に負けた
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070101

(略)…議論では私の勝ちである。あるいは中森や大月隆寛の勝ちである。

 しかし、二十歳年下の東大名誉教授の娘と結婚して子供まで作ったという、人生上の幸福(少なくとも他からはそう見える)において、私は宮台に負けた。宮台の結婚は45の時だったが、私が45までに、二十歳年下のお嬢さんはおろか、結婚して子供をこしらえるなどということができる可能性は極めて低い。

 そういう意味で、負けたのである。何も結婚して子供作るばかりが幸福じゃないだろうとか、そう言う者もあろうが、私の心の中では負けなのである。三浦展は、援助交際オッケーの宮台が、そんな敬虔なクリスチャンのお嬢さんと結婚していいのか、と言っていたし、元の「同居人」速水由紀子も、そういう宮台を冷たい目で見ているが、みな「負け犬の遠吠え」なのである。三代続けて東大卒で知名度抜群の宮台に、みなそのような意味で負けたのである。


三浦氏の本からの文章の、引用とおぼしきものもあった

http://hiog.net/2005/10/30/115
p155.不良女子高生の援助交際をあれだけ煽った社会学者・宮台真司さえ、トラウマ系バツイチ子連れジャーナリストとの同棲生活には不満だったのか、結局は、東大名誉教授の娘にして日本女子大卒の、いまどき珍しい純潔な20歳も年下の女性と「ふと目が合って激震が走」り、彼女の父親に「うちはクリスチャンなので離婚はできません」と釘を刺されながらも、めでたく入籍したという。一族みな東大、祖父も東大教授で昭和天皇に御進講をした生物学者(←註;小谷野敦氏からいただいたトラックバック先の記事によると、これは事実でないという)だったという、そういう宮台家にふさわしい女性に…

それに対して?のものか



いやまあ、ご縁というのは分からないものだから、個人のご縁と、一般的な論はまったく別だった、ということもありましょう。
どっちにしても、宮台真司氏のテレクラ・ナンパ遍歴から、結婚にいたるまでの話が何やら思想的に面白いものだった……とは聞いていたので、それが一部分ったということでメモ代わり保存。