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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

古館伊知郎氏、報ステ最後の出演。「テレビのしんがり」という最後の言葉を聞いて…

報道ステーション」動画


では、聞いて思ったこと徒然

もう少し待てば、どこかで文字起こしも出てくるでしょう。

「(ニュースは)言葉を固めて喋らなきゃいけない」「窮屈になってきた」はホンネかね…

3分ごろの発言をきこう。
「真意は違うかもしれないが」といえば、それはいくらでも違うだろうという推測はできるかもしれないが、しかし、もしこれが建前、表面的な嘘だとしてもなぜこういう建前を選んだのか、ってことになる。


その話は、そもそも退任表明をした際の記者会見のときに書きましたが…

報ステ」降板の古館伊知郎氏”不自由”に挙げたのが「政権批判」でなく「ポリティカルコレクト」だったという… - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20151227/p1

http://www.sankei.com/entertainments/news/151224/ent1512240014-n1.html
 −−『不自由な12年間』という発言があった。どのあたりを不自由だと感じたのか

 「放送コードを守りつつも、いっぱいしゃべってきました。単純な話、物量的、時間的に制約がある。ニュースが終わって画面がスタジオに切り替わり、『この点でね、私はこう思うんです』と言った瞬間、『CMに行け』という指示が出ますから」

 「それから、バラエティーやスポーツ実況の放送コードと報道の放送コードって違いますから。バラエティーなら、『ラーメン屋』と何の悪気もなく言えますが、報道は『ラーメン店』と、(『屋』ではなく『店』と)言わなければならないんですね。『おかしいでしょう』と、いつもスタッフとせめぎ合うんですけど」

 「報道には報道特有のコードがありますし、人権を守らないといけないのは当たり前。また、テレビを見てくださる方にとって、バラエティーを見るモードと報道を見るスタンスは全然違います。そういう意味では、いろいろな不自由はありました


ラーメン屋とラーメン店の違い、とかは知らんかったけど……
とにかく、「古舘氏の言うことを額面どおりに受け取るなら」、という前提をつけた上でいうと、時間の物理的制限とかは別にして、古舘氏が報道ステーションをやっているときに、もっとも「不自由」を感じていたのは、ポリティカル・コレクトネスによる制約だった…と、当人が言っているのだ!!!

うーむ、うーむ、うーむ………。

四角四面の豆腐屋の娘
色は白いが水臭い。

古館氏の「がちっと固めた言葉を使わなきゃいけないのが窮屈」、「ラーメン屋でなくラーメン店と言わなきゃならない不自由」…記者会見と最後の挨拶でここまで直接的に言っているのだから、むしろ古舘降板を受けて語られる議題は「ポリコレ的な言葉の制約が、社会を委縮させる懸念」ということになるんじゃないだろうか(笑)

筒井康隆「断筆」めぐる大論争

筒井康隆「断筆」めぐる大論争

筒井康隆断筆祭全記録―祭のあとの宴の準備

筒井康隆断筆祭全記録―祭のあとの宴の準備

白い服の男 (新潮文庫)

白い服の男 (新潮文庫)

山本七平「『空気』の研究」を大宣伝していただき感謝!!



番組中では、中島岳志氏から聞いた、と語っていたが、2月15日の番組では、中島氏はその元ネタも紹介していたらしい。



そう、中島氏はこの本を紹介したのだ。
目次をみると、『「空気」の研究』に続いて『「水=通常性」の研究』という章があるね。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

あらゆる思想や論理を超えて日本人を支配する「空気」及びそれに呼応して勢力を振るう「水」の如き怪物「通常性」の正体をあばきつつ独自の論証を自在に展開する

日本人を呪縛する「その場の空気」という怪物!「空気」とは何か?この超論理的存在の発生から支配にいたるメカニズムを根底から解明した「山本日本学」の決定版。 -


「空気」の研究(「空気」の研究
「水=通常性」の研究
日本的根本主義について)
「あたりまえ」の研究(指導者の条件
世論というものは
国境を出れば)

この機会にぽちりとどうぞ。

http://d.hatena.ne.jp/essa/20050406/p1

「空気」の研究Add Star

「とてもそんなことを言える『空気』ではない」という時の「空気」を論理的に考察した本である。
山本七平氏は、日本には「空気」という「まことに大きな絶対権を持った妖怪」がいて、これが日本における意思決定を左右し、非論理的で自滅的な方向へ組織を向かわせると言う。そして、その典型例として、太平洋戦争末期の戦艦大和の出撃に触れる。

この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。
だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」で決められる。(P16)

最後まで(「空気」を知らずに)反対していた伊藤長官という人は、

「陸軍の総反撃に呼応し、敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になるところまでお考えいただきたい」といわれれば、ベテランであるだけ余計に、この一言の意味するところがわかり、それがもう議論の対象にはならぬ空気の決定だとわかる。そこで彼は反論も不審の究明もやめ「それならば何をかいわんや。よく了解した」と答えた。この「了解」の意味は、もちろん、相手の説明が論理的に納得できたの意味ではない。それが不可能のことはサイパンで論証ずみのはずである。従って彼は、「空気の決定であることを、了解した」のであり、それならば、もう何を言っても無駄、従って、「それならば何をかいわんや」とならざるを得ない。(P18)

赤旗政治記者」さんで思い出したけど、この本では当時の共産党も例にあがっていたな…

『「テレビのしんがり」を務めた』

ニュースステーションのことを「一番槍」と称したあと、自分を「テレビのしんがり」と表現した。
どういう意味かというと「テレビが独り勝ちだった時代があった。そこから時代が変わった。これから放送と通信が融合し、時代が乱世になっていく」という意味。
これは時代を象徴する言葉なのかもしれない。あとで文字起こししよう。
同時に、こんな不謹慎な想像もした(笑)


しかしまあ、名調子だ。あるいは喋りが「名人すぎた」ことがマイナスだったのでは…

冒頭だったか、「桜が咲いていますね」ということをしゃべっているのだけど、基本的に無内容、だけど「リズムとメロディ」で聞かせる(笑)
落語のしゃべりの要点を「要はリズムとメロディなんだ」と喝破したのは誰だったか。
古舘氏は、基本的にそれがよくもわるくも過剰だった。
リズムとメロディを強調してしゃべると、これまた良くも悪くも、内容の論理性とかとは別に、印象を一方に誘導することができる。古館氏の喋りは仮に右でも左でも、前でも後ろでも、上でも下でも…ちょっとそのリズムとメロディの過剰さが、ニュースとは調和しにくく、だから一種のうさん臭さがついてまわっていた。と、最終回でじっくり聞いてやっと気づいたのであります(笑)
これは例えば新聞記事をひとつ選んで、「これにポジティブな意味を持たせよう」「これにネガティブな意味を持たせよう」両方の意識で、その記事の文章を一字一句変えずに読んでみるとわかるかもしれない。
一字一句変えなくても、抑揚やアクセントである程度シロウトでもそれは可能だ。で、シロウトが目一杯やったつもりのリズムとメロディの過剰さは、古館氏にとっては通常運転だったのだな(笑)。だからこそ、プロレスの実況中継を丸ごと変える革命を成し遂げたのだ。



古舘氏の最後の挨拶って、要は「これからバラエティ、エンターテインメントをやります」という宣言だと推測できる。
この人も、それに期待し「勢力地図が塗り替わる」と予想している。

〆は昨年末の記事の再利用で。

  古館はこの報ステから姿を消す。
  我々はどうやって火をともしていけばいいのか。
  物質に恵まれた新世紀、商業主義に躍る新世紀、
  情報が豊かで心が貧しい世の中、
  ひとりで闘うことを忘れかけた人々…
  もう我々は、古館に癒されながら
  時代の砂漠をさまよってはいられない。
  我々は今日をもって古館から自立しなければいけない。
  古館のかけらを携えて、今度は我々が旅に出る番だ。
  古館は連鎖する。

(※アントニオ猪木引退試合における、古館実況のパロディ)

いや、「古館のかけら」ってなんだよ(笑)