30日に再放送があったので見たんですけど…
47分ごろ。参院の鴻池委員長は「参院は衆院の下請けでも、政府の下請けでもない」という自負のある「うるさ型」の人で、安倍政権にも相当批判的。審議が慎重で、野党からむしろ評価され、官邸や与党中枢からにらまれていたのは周知のとおり。
ただ、それでも採決に向けての流れは出来つつあった。されど、その中でも、いつ採決するか、は鴻池の決断にかかっていたが…
最後の決め手となった出来事がおこる。
横浜での公聴会から国会に戻ろうとした車内。
そこから見た光景だ。
(デモの映像)
採決に反対する市民が路上に横たわり車の行方をさえぎっていた。
これ以上審議を長引かせれば 不測の事態がおきかねない
鴻池は、そう考えたという(鴻池)
『わたしはね、学生時代、ちょうど60年安保のときに学生だったんです
女子学生が踏み殺された
騒然となりましたよ 日本中が
だからそれに近い状況に見えた
これはもう、けが人、死人が出ては困る
だいじな日本の国のことを考える中で
けが人が出る、死人が出るということは避けなければならない
これも委員長の責任だろう、こう思いました』そして9月11日。
鴻池は採決に踏み切った。
・・・・・・・・・・・・・・・・これは。
別に、だからデモをするべきじゃない、ってことには勿論ならんし、というか鴻池氏の決断の経路もどーなの?という気はするのだが、ただ、「歴史の皮肉」のひとつとしてはちょと面白かったので、メモ代わりにかいておこう。