実に面白い話であった。twitterでたまたま見た話。
中森明夫@a_i_jp
これも浅田彰から聞いたんだけど、柄谷行人の車の運転が猛烈に荒くて、同乗していて「死ぬか!?」と思ったと浅田氏はキモを冷やしたそうな。「どうして、そんなに飛ばすんですか?」と浅田が訊いたら、柄谷は「自分でも恐いから早く済まそうと思って」と言ったそうな(笑)
【これへの反応↓】
CDB@C4Dbeginner
このエピソードはかつて「なぜそんなにスピードを上げるのか」と問われた柄谷行人が短く「単に早く到着したいからだ」と答えたことになっていて、速度の官能性や交通法規を破る反社会性ではなく目的地に到達する合理性のみを認める柄谷の思想が…みたいな逸話だったのにだいぶニュアンス違うじゃねーか
CDB@C4Dbeginner
浅田彰についても、中上健次は後部座席で真っ青な顔をしているのに助手席の浅田彰は顔色ひとつ変えなかったみたいな伝説で、身体性ゆえに恐怖を関知する中上健次とそれから切断されている浅田彰みたいなカッコいいエピソードだったのにボクのアキラックス像を壊さないでください。
この感想
gryphonjapan@gryphonjapan
以上の3つのリツイート、ひとつのエピソードが「伝説」になっていく経緯として、並べて読んでいくと非常に面白い。
これをつねにやれる才能があったのが梶原一騎なんだ。いつも心に梶原一騎。
たまたま、直接聞いた人が回想したから「伝説の真相」もこうやって偶然に判明したのだけど、これに限らず伝説のかなり多くの部分が、こういうものであったりするのかもしれない。
真相にがっかりするのも自然な感情だけど、一方で何の変哲も無いヘタな運転手のエピソードを、哲学者・思想家のスタイルの違いを象徴する話にまで盛った、どこかのだれかに「心の梶原一騎賞」をあげたいと思う次第であります。
物語の創作者も、大いにみならうところあろうというもの。
梶原一騎が作り手、というとオーバーだが、やはりキラー・コワルスキーが「健康とスタミナ維持のため」に菜食主義をやっていたのを「相手の耳をニードロップでそぎ落としてしまい、肉を見るとその耳を思い出して吐いてしまい、一切肉を食えなくなった」と作り変えた大胆な改変は、「伝説」創作史上に残る傑作だろう。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080901/p6
『1959年には、トップロープからのニードロップでユーコン・エリックの左耳がそぎ落ちるアクシデントがあった。以来、トラウマから肉が食べられなくなり、菜食主義者になったというエピソードがファンの間では語られた。』
「プロレススーパースター列伝」リック・フレアー編でこの最後の部分のエピソードが印象的な絵になって語られていたが、のちに本人にこの話を尋ねた人は「グワーハッハッ!!!」と大笑いされたそうな。
プラス「そんな話にしたのか日本人は、最高だなおい!!」と、”プロレス伝説”の作り手に敬意を表したのだというから、さすが往年のレスラーは違う。実際は健康とコンディションのために菜食主義だったそうで、実際にレスラー生命も長く、年齢も81歳で大往生したのだから正しかったのかもしれない。
コワルスキーはアブドーラ・ザ・ブッチャーに「お前も菜食主義をやってみないか?」と薦めたそうだ。
「俺はブッチャーというリングネームにした時、神様に肉を食べ続けると約束したんで」と断ったという話も実に愉快だ