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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「ブッチャー自伝〜幸福な流血」より”少年篇”を紹介。勤勉なワルの黒人少年が貧しさの中で見つけた知恵


元はtwitterの文章です。
なぜtwitterで書くというと、それによって多少メリハリがついて、あまりにも長くなることを抑制できるからです。ただし、それで書ききれない部分が出てくるという欠陥も勿論あるわけで、適宜補足修正しています。

gryphonjapan@gryphonjapan

1:一つの話題を最高140字に収めなければいけないtwitterを使って、さぼりがちな書評を書いてみるシリーズ、きょう時間があるので久々にやろう。



2003年に出版された「ブッチャー自伝 幸福な流血」(東邦出版)。

ブッチャー 幸福な流血―アブドーラ・ザ・ブッチャー自伝

ブッチャー 幸福な流血―アブドーラ・ザ・ブッチャー自伝

内容(「MARC」データベースより)
60代半ばを越えた私だが、これからもリングに上がり続ける。どんなときにも情熱を持ってプロレスと向き合う-。ベストフレンド、ザ・シークを失い、ジャイアント馬場も死んだ。ブッチャーがレスラーとしての人生を書き記す。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
アブドーラ・ザ・ブッチャー
本名ラリー・ポール・シュリーブ。1936年1月1日、カナダ・オンタリオ州ウィンザー生まれ。70年8月、日本プロレスに初来日。77年の『世界オープンタッグ選手権』で、テリー・ファンクの腕にフォークを突き刺したシーンはあまりにも有名。残忍なファイトスタイルとは裏腹な、その独特のルックスで一躍人気者となり、CMや映画にも出演。現在も『WRESTLE‐1』に連続出場し、衰えをまったく感じさせない。いまでも日本一有名な外国人レスラーだろう。身長186cm、体重150kg。得意技は地獄突き、ジャンピング・エルボードロップ。主な獲得タイトルはNWFヘビー級、PWFヘビー級、UNヘビー級、インターナショナル・タッグ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

出版から10年以上たち、ブッチャーも既にリングを降りた。そして試合相手が「肝炎感染はブッチャーとの流血戦のせい」と訴えて勝訴。ブッチャーは莫大な賠償金を払う義務を背負い、今後をファンが心配してる…
http://miruhon.net/?p=3471
という現状。
自分も書いたな

流血の大悪役人生の果てに―。アブドーラ・ザ・ブッチャー、「C型肝炎を移した」責任で2億円以上の賠償命令。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140607/p1

だが、その視点を入れても入れなくても大変興味深い自伝だ。


約180Pあまりと、それほど長くない自伝だが、その中でブッチャーは少年時代の回想にかなりの分量を割いている。読んでけっこう驚くのは、太平洋戦争前にカナダで生まれたこの少年は、極めて真っ当で、家族が仲むつまじくも厳格…ともいえる家に育っているということだ。

いや、実は裕福なインテリお坊ちゃんの山田洋次監督が脳内で考え出した的な…「男はつらいよ」に出てくる、「貧しいながらも筋の通った庶民」をブッチャー一家はしてたんですよ。

彼は、カナダはウィンザー育ち

黒人やイタリア人、中国人など雑多な民族が入り混じって住むその地域は・・・中流よりやや下だったがいつも活気にみち、毎日がとても刺激的だった。
(略)
両親と男女4人ずつの8人きょうだい…その家は10人で住むには小さすぎたから、食事時や就寝時はいつも戦争状態…だが皆どこかそれを楽しんでいて…

なんでも月収27ドルの父親が、30年ローンの2700ドルで買ったのがこの家。それを知っているから、家の狭さに文句を言う家族は一人もいなかったのだという。


あ、言い忘れたが、ブッチャーは父親が先住民、いわゆる「インディアン」で、母親が黒人。実はこの自伝は父親を「インド系」という単純すぎる誤訳をしていて、一時期メディアでも少し混乱があったりした。
ここを参照。

アブドーラ・ザ・ブッチャー「(私は)インド人じゃないぞ、リアルインディアンだ」
http://hidehide7755.blog27.fc2.com/blog-entry-2374.html

この両者には民族的な葛藤があり、その混血は、双方から目をつけられたのだという。そのため、より家族の結束が強くなった面もあったのだそうだ。。
ネイティブと黒人の葛藤については、一般的な例というわけではないが、こちらも参考に。

「俺の爺さんは人間でなかった(奴隷だ)」「奴の先祖は戦わなかった。俺たちは違う」…米空母で黒人と先住民が、日本人に語った重い言葉(月刊「正論」) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150305/p2)

しかし父親は勤勉力行の末「フォード工場の労働者」(※カナダのウィンザーは、米国デトロイトの川向かい)という職業につき、その地位を大変に誇りに思っていた。「自動車絶望工場」なんて言い方もされるが、少なくともその当時、有色人種で工場の定職につき、マイホームがあるのは勝ち組だったようだ。実際にフォード社採用時の父親は「大統領にでもなったように」喜んでいたという。


この一家の本当に「真っ当な庶民」ぶりはほほえましく、挿話は全部紹介したいぐらいだ。
メニューは貧困ゆえ、毎週ローテーションが決定。
だから日曜の夕だけ、教会帰りの家ではちょっとごちそうになるのが楽しみ。

この「ブッチャー家の食卓」ちょっと紹介しようか。
すべて夕食。

月曜日 ビスケットとビーンスープ
火曜日 ビスケットと濃い味のスープ(要は昨日の残り)
水曜日 ポテトと野菜シチュー 
木曜日 ポテトと煮詰まったシチュー(要は昨日の残り)
「火曜と木曜は、『今日の夕食は何だろう』と考える必要はなかった」
金曜日 父の給料日。シチューにサンドイッチがプラス。
土曜日 シチューにサンドイッチ
日曜日 母が料理の腕を振るえる日。チキンの丸焼き、ビスケット、パイ、ミートローフなどがご馳走だった。

夕食時、父親は必ず食卓で「教訓」を語り、家族はそれを聞く。
「欲を持たず地道に生きろ」
「心と体が綺麗で、食べるものがあれば十分。それ以上の幸せは本当は無いんだ」
1日10回、どこであっても神様には祈る。
誰かがやらねばいけない仕事は残すな。食器粗いも掃除も、率先しろ。

最後の教えで、家事を父親が促す殺し文句は
「お前がやらなかったら誰がやる?ママにやらせたいのか?」
母親が大好きのブッチャーはそう言われるとやらずにいられない。
教育とは凄いもので、後年プロレスラーとして旅暮らしとなったブッチャー、本来ホテル任せにすればいい部屋の整理やベッドメイキングを、どうしても自分でしてしまうとか(笑)。

これらは本人の回想だから多少の美化もあるだろうが、それでもこんな健全でいい家庭なのに「プロレススーパースター列伝」では崩壊家庭で育ったとされるんだからセンセイ・梶原一騎はすごいよ!
これはたぶん、70年代にアメリカが混乱、「影」が報じられて劇画界ではそういうシチュエーションが大流行りだったからその影響があるとおぼしい。

プロレススーパースター列伝 1

プロレススーパースター列伝 1

プロレススーパースター列伝 2

プロレススーパースター列伝 2

だが、このカジワラファンタジーにも、ちょっと根や葉はなくもない。
……というのは、すくすく育ったブッチャー、家族愛が高じて「貧しいながらも楽しい我が家」の「貧しいながら」に疑問を持ち始めたのだ(笑)。

いや、それにはもっともな理由があった。母親は働き者だがずっと腹部の痛みに苦しみ、あるときそれが激痛に変わり救急搬送される。その診察の結果、『過去の帝王切開時、針を体内に置かれる医療ミス』だと判明した。
取り除いて事なきは得たが、弁護士を雇い病院を訴えるような資金力はなく泣き寝入りとなった。母親がなくなるかも、という心配もあり、社会の矛盾に気付いていく・・・、また学校に上がると、小さいころは感じなかった人種や貧富の差を徐々に感じるようになる。
当時は栄養管理か、家庭環境の調査か…朝に学校で「みんな今日は何を食べてきた?」と聞かれる。
オートミール脱脂粉乳しか食べてこないブッチャーはクラスメートに合わせ
「ソーセージ、トースト、ベーコン、卵2つ、それにオレンジジュースたっぷり…」とでまかせを言う。嘘には一番厳しかった父親も「その嘘に関しては寛大だった」。


「私は家族を愛している。今よりもっと幸福にさせる必要がある」と考えたブッチャーだったが、政治とか公民権運動とか革命とか、そういう方向にはいかない。

父以上に勤勉で、さまざまな仕事をやっていた母方の祖父・・・「どこにでもマネーはある。それをどうつかむかだ」が口癖だった彼からの影響も受け、それを実行に移す決心をする。それは「小銭稼ぎ」であった。


この小銭稼ぎがまた、おもしろいんだわ。後年の「ガメツイブッチャー」はここから始まる?
まずはレモネード売り、鉄くず拾い…
その後、新聞売り・・・それも最初は普通に売ってたが、のちに「泣き売」を始める(洋の東西を問わずあるんだね…)
「要らないものはなんでも頂戴」と街中を回り、その廃品を転売する。
1個1セントで飴を仕入れ級友に2セントで売る。現金が無いときは借用書で売る(笑)。学校でも問題視され、ついた仇名が「物売り小僧」。
そもそも中学生になったぐらいから、とにかく仕事をして稼ぐことに全精力を費やしたので、中学生らしい人間関係や友達との付き合いはまったくゼロに近くなり、そしてそうであることに、そもそもまったく気にならなくなっていたのだそうだ。
クリスマスを男女ですごす同級生も出てくるが、ブッチャーにとっては「クリスマスこそ物が売れる季節!!」と気にならない。というか兄弟で各家を回って「サーイレントナイト…」と合唱すると、チップがもらえる日なのだ。リア従チップをくれ(笑)


徐々にそれが「慈善バザーをします」と貰ったものを普通に販売し、新聞沙汰になったり、
雨どいをまず油で汚しておいて「プロの刷毛はちがいます」と実演して掃除の仕事をもらったりと、どんどん「悪」がエスカレートしていく。
もちろん真面目な父母は、新聞を泣き落としで売るという息子を見ただけで
「まじめに働いてくれるのは嬉しいけど、それは物乞いです。パパとママはあなたを軽蔑します。そんなことまでしないでいいのよ」
「心が汚れていては、いくらお金があっても何もならないんだぞ!」
と強く叱ったが、すでにブッチャーには独立したポリシーがあり、へこたれも反省もしなかった。

母のお腹に長く置き去りにされていた針が、いつも私を勇気付けてくれた。

しかし、昭和30年40年代の人情コメディーのように、なんとつましくも勤勉なる「悪」か・・・…この風景と、昭和日本の風俗や人情を実際によく比較してみたい。


そして、少年ブッチャーのこの「商売奮闘篇」 は、後年のレスラー生活にもすごく影響を与えているようだ。
貧困や差別によって犯罪は増えるのかもしれないが。ブッチャーは子供のころからこうやって「猛烈に勤勉に動き、常に創意工夫をして、ついでに悪いこともする」というスタイルで生きてきたのだ(笑)。


実はこの時…のちに第二の故郷となる日本の、ある人物に大きな影響を受けた。
それは少年時代、たまたま誕生祝いでクラスメート全員が招かれた白人の子の家で、当時珍しかったテレビを見ていたとき。

豪州で皿洗いから始めた日本人が飲食店で成功したという話題の番組で、その日本人はこういった。

「自分は、目で料理の技術を”盗んだ”。物を盗めば捕まるが、技術は盗んでも捕まらない」
偶然ブッチャーが聞いたこの日本人の言葉は
「のちの人生で私が成功するためのキーワードになった」
とまでブッチャーは語っている。


さらに勤勉かつ工夫を重ねたブッチャーは…朝夕に靴磨きをしつつ、掃除の会社をきょうだいとはじめる。
靴磨きも、特製の刷毛から、靴の褒め方までに心をくばって大人気となり、みんなにチップをはずんでもらって、実のところ「私の前に靴を出すお客で、私以上の週給を貰っている人はいない」というまでの人気になったのだとおう(笑)。

しかし聡明なブッチャーは、いくら靴磨きで十分に稼げるといっても、限界があることを肌で感じていた。何かに打って出なければ、運命は拓けない…。


そんな彼は、1セントにもならない、と学校でのスポーツ活動にはとんと関心がなかったが、なんと言う運命のいたずらか…ウィンザー警察学校では、当時、柔道と空手の教室が「無料で!(ここ重要)」開かれていたのだ!!!

私はコーチ役の警察官に聞いてみた。
「本当にタダで教えてくれるの?」
「安心しなさい、君たちの月謝はすべて市の福祉課が立て替えてくれるから」
「着るものは?」
「余っているのがいっぱいあるよ」

ここまで念をおしてタダであることを確認すると、彼は格闘技を始める。
やはりのどかな時代と言っても喧嘩沙汰はしょっちゅうで、「きょうだいを守る」という意識があったことで、習い始めたのだという。

それでも柔道と空手には
「一瞬にして魅了された」
「なぜあんなにタイミングよく投げ捨てられるのか。」「なぜあれほど鋭いパンチ、キックが入れられるのか」
じっと目を凝らして見ているうちに、「そこに合理的な法則」を見出すところが”目で盗む”ブッチャーの新骨頂!!

その後、空手のエキスパートを自称するボブ・ケーシーなるあやしげな男の練習相手としてただで学び、七段を彼から貰う(笑)

青年ブッチャーは、肉体労働で自然と鍛えた筋肉を持つ180センチ90キロの男に育っていた。そしてデトロイトには、あの「ザ・シーク」がいた。入場料を支払わず(またタダか!)会場に忍び込んで観たプロレス。シークのような、非白人の活躍も嬉しい。

そのうち思うことはお決まりだ。
「自分もできるんじゃないか?これで稼げるんじゃないか?」

ここからレスラー・ブッチャーが誕生し、多くの名レスラーと愛憎を展開しながら日本で、プエルトリコで、トップとなっていく。
だが構成を例によって失敗し、本番に行く前に膨大に書いてくたびれた(笑)。
続編を書くかは分からないが、
『「ブッチャー自伝」書評〜その少年時代篇』ここで終了。

続編です

アブドーラ・ザ・ブッチャー自伝」の後半部分、レスラー篇の書評かきました/(togetterまとめも更新) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150626/p4

はじめtwitterにUPしてその後ブログに大幅増補してまとめました。
twitterでの反応が面白かったので、前半がブログ記事と一部かぶりますが

プロレスラーの自伝を読む〜ブッチャーの話を中心に http://togetter.com/li/804521

というまとめもつくっています。