時に元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風をふるわせて、
響くは山鹿流儀の陣太鼓、
しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、
耳を澄ませて太鼓を数え
「おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ」
助太刀するは此の時ぞ、
もしやその中にひるま別れたあのそば屋が
居りあわせぬか、名前はなんと今一度、
逢うて別れが告げたいものと、けいこ襦袢に身を固めて、
段小倉の袴、股立ち高く取り上げし、
白綾たたんで後ろ鉢巻眼のつる如く、なげしにかかるは先祖伝来
俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、
切戸を開けて一足表に出せば、
天は幽暗地は凱々たる白雪を蹴立てて行手は松阪町…
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