エジプト:「イスラム国」使わないで…宗教イメージ損なう - 毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20140904k0000e030190000c.html
エジプト:「イスラム国」使わないで…宗教イメージ損なう
毎日新聞 2014年09月04日 10時00分(最終更新 09月04日 12時24分)【カイロ秋山信一】イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国(IS)」の脅威が増す中で、この名称がイスラム教のイメージを損なっているとして、スンニ派住民の多いエジプトが8月から、外国メディアに「イスラム国」を使わないように求める運動を始めた。イスラム国が国際テロ組織アルカイダから分離した経緯から「アルカイダ分離主義者(QS)」という代案を挙げている。
この運動は、エジプトでイスラム教に関する公的な見解を示す役割を担うファトワ(宗教令)庁が中心になり、8月24日から始まった。インターネットなどを通じて賛同する署名を集め、ロイター通信や英BBC放送など36の主要外国メディアに呼称の変更を働きかけるとしている。
ファトワ庁の広報担当者は「(イスラム国との名称が報道されることで)国家だと誤解されてしまう。イスラム教を悪用しているに過ぎず、メディアは彼らの主張に沿った呼称を使わないでほしい」と説明している。
イスラム国を巡っては、エジプトやサウジアラビアなどスンニ派の主要国の宗教権威が「過激思想はイスラム教とは認められない」「イスラム教の一番の敵だ」などと非難する声明を発表している。
さて、自分はこのたぐいの話を「呼称の正義学」「自称・他称問題」などと呼んでいろんな事例を集めていた…。で、なかなかにむつかしいんよ。
あれこれ論じる前に、実例を挙げたほうがてっとりばやいわ。
保存していたブログ記事から引用してるが、元は別のソースがあり孫引きしているのがほとんど。
「ロヒンギャ族」と呼ぶか、呼ばないか
ミャンマーの宗教紛争をルポした「闇の正体」が本当に戦慄的…必読(毎日新聞) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131031/p4
……(ミャンマー)政府は「ロヒンギャ族」を自国の構成民族として認めていない。大半をバングラデシュ・ベンガル地方からの不法移民とみなす。仏教徒の反イスラム感情を反映し、民主化勢力を含め国民の大半も政府の措置を支持…(略)でも、私たちのグループ(※ミャンマーの民主化闘争を戦ったグループ)は『ロヒンギャ族』を自国の民族とは絶対に認めない。『侵略者』とまでは言いませんが……」
つまり「呼称の正義学」的にいえば「ロヒンギャ族」という言葉を使う使わないという判断だけで、一方の側に加担していくことになるのだ…実に、なんとも。
バチカンは『「法王」ではなく「教皇」と呼んで。そして敬称は「聖下」(※造語)を使って』と要求している。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130212/p3
Q:「ローマ教皇」と「ローマ法王」、どちらが正しいの? †
正しくはローマ教皇のようです。カトリック中央協議会によれば「教え導く」という表現がもっとも正しく使われているためだとしています。
カトリック中央協議会
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/pope.htm
マスコミや関係各社などにも「教皇」と表記するように申し入れているようなのですが、混在状態は続いています。
なお、国家間の関係としては、日本の外務省には国交樹立当時の定訳の「法王庁」で申請・受理されており、政変や内乱などで国家や国名が大きく変わらないかぎり変更はされないらしいので、多分政府関係の書類では今後とも「法王庁」と表記され続けることでしょう。
(略)
日本語の場合、ローマ教皇の尊称は聖下です。
もともと大司教などの高位聖職者の尊称としては「猊下」があったのですが、ローマ法王が来日するさいに、天皇陛下とのご面談もあることから、より格調高い尊称として「聖下」が作られたらしいです
(かってに)「こっちの呼称が正式」「こういう尊称を造語したので使って」とバチカンが命じたのに、不信仰の異教徒どもはそれに従わないでやんの。そろそろイスカリオテ機関が動き出すレベル。
フランスで「ヴィシー政権」時代の名称をすべて改め、アレは「ペタン独裁時代」だとする法案が昨年…どうなったんだろう?。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130118/p4
昨年10月、ビシーを巡る一本の法案が国民議会(下院)に提出された。起草者は地元選出のジェラール・シャラス下院議員(68)。「ビシー政権」の通称を公的文書で「ペタン独裁」に改めることなどを求める内容。「ビシーのイメージが悪化し、観光産業などが経済的損失を被ることを防ぎたい」と法案の意図を語る。
続報は自分は知らない。どうなったんでしょう。
人は「旧約聖書」「新約聖書」というけれど。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121224/p6
「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての『新約聖書』を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」である。
スーチーさんと「ビルマ」(毎日新聞)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121126/p2
アウンサンスーチー氏へのインタビューで私はどちらの国名を使うべきか迷った。旧軍政は89年、英植民地下で採用された「ビルマ」を「ミャンマー」に変更したが、スーチー氏は「ビルマ」にこだわり続けている。「ミャンマー」を使って彼女の機嫌を損ねはしないか、一抹の不安があった。
インタビュー前日、オバマ米大統領がこの国を訪れ、テインセイン大統領との会談後、こう述べた。「大統領が始めた『ミャンマー』での改革は素晴らしい可能性につながる」。米政府が使用してきた「ビルマ」ではなく、公の場で初めて「ミャンマー」と言及し、テインセイン大統領に最大限の敬意と配慮を示した格好だった。
同じ日、ヤンゴン大学で演説したオバマ大統領は一度も国名を口にすることなく、「この国」という無難な表現を繰り返した。
(略)
私は結局、スーチー氏には「ビルマ」「ラングーン」の呼称を使い、最後にこうただした。「大統領になっても再考する余地はないか」と。彼女は決然と言った。「私が『ミャンマー』という国名に反対するのは、(当時の軍政が)国民の意思とは無関係に決めたからです」
「では、英植民地政府はそれまでの呼称を変える時、国民の意思を尊重したのか?」。私はそんな反論をのみ込んでしまった。
高島俊男「本が好き、悪口いうのはもっと好き」より
「・・・だれもあなたに「中国をやめて支那を使え」と言いはしない。「支那」に不快を感じ「中国」に愛着をおぼえるあなたの選択をわたしは尊重する。それなのになぜあなたは、「支那」に愛着を持ち、もしくはこの語の使用に合理的理由があると考える者に対して「やめろ。中国と言え」と要求するのか。」
(「支那は悪いことばだろうか」より)
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グルジア国は「ジョージアと表記して」と外務省に申し入れ済み…だが
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120220/p5
憂楽帳:「国名を変えて」
甘口ワインで知られる旧ソ連のグルジアが、国名表記を英語読みの「ジョージア(Georgia)」に変えるよう日本に要請している。きっかけは08年のロシアとの軍事衝突。語源は同じキリスト教の聖人とされるが「グルジア」はロシア語の読み方。「敵の言葉で呼ばれたくない」というわけだ。
東京のグルジア大使館によると、世界の9割の国が「ジョージア」と呼んでいるという。(略)ちなみにグルジア語の正式国名は「サカルトベロ」。グルジアもそこまでは求めていないというが、日本では国名表記の変更には法改正が必要とあって、外務省は頭を…(略)
キリスト教の「再洗礼派」、当人たちは「唯一無二のうちの洗礼が『再洗礼』のはずがない」(ラノベ風)と言っている。
ウィキペディアの「アナパブテスト」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120908/p2幼児洗礼を否定し、成人の信仰告白に基づくバプテスマ(成人洗礼)を認めるのがその教理的特徴の一つである。幼児洗礼者にバプテスマを授けることがあるため再洗礼派とも呼ばれる。ただし、彼らにとって幼児洗礼そのものが無効であるので再度洗礼を授けているという認識はない。従って「再洗礼派」を自教会の名称として用いることはない。また日本語で洗礼の語を使うことは無い
まだまだ、このブログの中からいくらでも引用できるなあ。なんだこの無駄な情報の貯蔵庫は(笑)だが、肝心のイスラム国という名称の是非を書くのが疲れて面倒くさくなった(笑)。
原則だけ。
・エジプト・ファトワ庁は「メディアは彼らの主張に沿った呼称を使わないでほしい」と語ったそうだが、もともと名称、固有名詞と言うのはまさに自称の場合「彼らの主張に沿った」ものに否応無くなるのである。
・だから呼称というのは、基本的に言う側に、その呼称をきめる権利や自由がまずはある。呼ばれる側が「XXXXと呼んで」といっても、それに従わねばならない強制性があるわけではない。
・ただ、「当人はXXXXと自称している」はひとつの有力な指針になる。
実は今回の記事、タイトルに「エジプト軍事政権」と入れたのは皮肉でもある(笑)。法手続き的には彼らは、1月に憲法改正が国民投票で承認され、5月に現在のシーシ大統領が大統領選挙で選ばれた以上、正統な政府として「エジプト軍事政権」という用語を認めないであろう。だがそとから見たら「軍事政権」じゃないとはいえへんだろ、と。
・だいたい国の名称と実体のちがいというなら、その前に「民主主義」「人民」「共和国」に土下座してあやまらなくちゃいけないとこがあるだろ、どっかに(爆笑)。
・新右翼の草分けとなった故野村秋介氏は後年「右翼」と言われるのを嫌い「民族派」や「新浪漫派」と、自らを呼んでいた。しかし民族派はともかく、「新浪漫派」とかいう言葉を、彼らがそう自称しているからと言って呼ぶ人はあまりいなかった。「行動する保守」うんぬんというのもそうでしょ。
ひとつの宗教を自称し、その中で変わった教義や政策を奉じているところを「あれはもはや○○教ではない」とみなすのはどこが、何の権限によってか。今回は主要な有力学者が「イスラム国の過激思想はイスラム教とは認められない」と発表した、そうだが。
例えば自称、キリスト教のひとつである統一教会はウィキペによると
キリスト教会[編集]
1985年2月、バチカン当局が統一教会を警戒するよう教書を出した[3]他、世界中のキリスト教各派が「統一協会とキリスト教とは縁もゆかりもない」という声明を何回も出している[3]。
韓国のキリスト教会
1974年、韓国のキリスト教会は『東亜日報』に「統一教会/統一協会が文鮮明の聖なる血を受けて血分けをしなければならないという混淫の主張をしている」という意見広告を出した[80]。
1975年4月、韓国のキリスト教五団体が「統一教はキリスト教ではない。文鮮明はにせものの再臨イエスだ」「若い世代を性的に刺激し、誘惑で導く、キリスト教とは無縁の(団体)」との見解を発表した[3]。
1975年5月、十五の教団指導者名で「統一教会はキリスト教でない」「文鮮明を再臨主と偶像化する時代的烈主義集団である」との声明を発表した[3]。
日本のキリスト教会
1974年10月、日本の福音派の機関である日本福音同盟は統一教会/統一協会が異端である(キリスト教ではない)とする声明を発表した。
1975年10月、プロテスタントの連合体である日本キリスト教協議会が統一教会/統一協会とキリスト教には「根本的な相違がある」との声明を発表した[3]。
1985年6月、日本カトリック司教団が「統一協会がキリスト教でもなく、ましてカトリックでもないことを示し、エキメニズム(教会一致運動)の対象にもなりえない」との声明を発表した[3]。
ウィリアム・ウッド宣教師は統一教会/統一協会に反対する正統的立場からの専門家として知られている。
アメリカのキリスト教会
1980年代に、キリスト教会の連合体は統一教会/統一協会はキリスト教ではないと決定した[81]。
という積み重ねによって、「キリスト教ではない」と見なされている。