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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

戦国乱世で弓と槍を振るった武将・高山右近をカソリックは「列福」「列聖」するか…の話。

戦国時代のキリシタン大名加賀藩前田家の客将として26年間金沢に滞在した高山右 近が没後400年の来年にも、カトリック教会の最高位「聖人(せいじん)」の前提とな る位の「福者(ふくしゃ)」に承認される見通しとなった。日本カトリック司教協議会の 列(れっ)聖列福(せいれっぷく)特別委員長・大塚喜直司教が(6月)18日、北國新聞社の取 材に「今月中に福者承認を求める申請書をバチカンに提出する。列聖省での審査を経て、 来年にも教皇(法王)フランシスコの承認が得られるもようだ」と語った。
 福者承認が決まれば、半年間の準備の後、日本で「列福式(れっぷくしき)」が行われ る。大塚司教は「承認翌年の2016年になる公算が大きい」と述べた。日本の司教団は 昨年10月、バチカンに対して教皇フランシスコの来日を招請している。
(略)
 高山右近福者の称号を与える列福運動は3年前から本格化した。11年7月、日本司 教協議会がバチカンに請願書を提出。当初は奇跡を起こした証明が必要な「証聖者」とし て働き掛けてきたが、「殉教者」に理由を変更したことで認められる可能性が大きくなっ たとされる。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/2013/ukon.htm
高山右近は、福音を日本に根付かせたいとの大きな夢に生涯をかけました。400年の時を越え、右近の熱い思いは、今を生きる教会の行く手を示し、勇気を与え続けています。右近の思いを現代に生かすことは、司教団始め日本の教会全体の悲願です。一人でも多くの方が、この運動に加わり、お力添えをいただけるように願ってやみません。
 
列聖列福特別委員会
委員長 大塚喜直 京都司教
 
 
「ユスト高山右近 列福祈願 司教団公式巡礼10日間」へのお誘い
右近帰天400周年である2015年を目前にして、列聖の早期実現を願う要請書を教皇様に手渡すため、公式巡礼団を組織します

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%8F%B3%E8%BF%91
山崎の戦いでは先鋒を務め、清秀や池田恒興と共に奮戦、光秀を敗走させ…賤ヶ岳の戦いでは岩崎山を守る…小牧・長久手の戦い四国征伐などにも参戦している。

(略)
だが右近はキリスト教徒にとっては名君ではあったが、神道氏子・仏教徒にとっては父・友照同様に暴君だったとする記録もある。友照の政策を継いだ右近は、領内の神社仏閣を破壊し神官や僧侶に迫害を加えたため、畿内に存在するにもかかわらず高槻周辺の古い神社仏閣の建物はほとんど残らず、古い仏像の数も少ないという異常な事態に陥った。領内の多くの寺社の記録には「高山右近の軍勢により破壊され、一時衰退した」などの記述がある。
反面、『フロイス日本史』などのキリスト教徒側の記述では、あくまで右近は住民や家臣へのキリスト教入信の強制はしなかったが(実際に寺社への所領安堵状も受洗後に出している)、その影響力が絶大であったために、領内の住民のほとんどがキリスト教徒となったがために寺社が必然的に減り、廃寺も増えたので、これを打ち壊して教会建設の材料としたと記されている。
宣教師側は右近をキリスト教を広めた功労者として賛美する傾向があり、寺社側は右近によって領内のキリスト教徒の数が絶大的になり収入が激減したという事情があり、多分に誹謗中傷などをしている経緯もあるので、立場によって意見は分かれる

その史実やいかん。
でまあ、個人的にはこの話は、すでに同じようなテーマで書いていたので今更感があって放置していた次第。

■十字軍を率いたルイ9世は”聖王”、カソリックの正式な「聖者」でもある件。(〜宗教における見なしの自由)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130816/p2


要は、宗教における評価や扱いと、世俗の価値判断や歴史の議論の中での評価というのは、また別だろうという、ありふれたお話。

安重根列福運動はどうなったのだろう。今年教皇聖下は訪韓し、列福を行うはずだが。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/16/2014051601278.html
外野(非クリスチャン)の個人的感想としては列福?いーいじゃないかと思うのだが。
これもふつうに、宗教内の判断として、そうするかどうかを決めればいいのだ。
高山も安も、

以外に非カソリックの外部からは、言いようがないのではないか。
そしてそれでもカソリック全体への敬意や信仰心を表すのは自由だ。すべてのカソリック信者、あるいはカソリック施設を訪れた政治家が、ルイを聖王、右近を福者、さらには「中絶は殺人で同性愛は罪」という、カソリックの世俗における思想を肯定しているわけでもあるまい。


これについては、こちらでもう少し詳しく。

誰が「英霊」でも、誰の「霊言」でも、誰が「アッラー」と呼ぼうと…これぞ「見なしの自由」 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131026/p2