INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

セルビアと、英雄と、テロリストをめぐって(資料集)。

上で「安重根列福」を書いたんで、忘れていた記憶を思い出した。こういうしりとり型の記事並べはたまにやりたくなる

http://www.cnn.co.jp/world/35050136.html
(CNN) 第1次世界大戦の発端となった「サラエボ事件」の発生から100年を迎えたボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに、事件を引き起こしたガブリロ・プリンツィプの等身大の銅像が建設された。
当時19歳だったプリンツィプは1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国皇位継承者だったフェルディナント大公夫妻を暗殺した。
27日に行われたプリンツィプの銅像の序幕式では、当局者から拍手が巻き起こり、プリンツィプのTシャツを着た見物人などが銅像を一目見ようと集まった。式典に出席したボスニアの俳優は、銅像の前で模造銃を高く掲げて見せた。
ボスニア・ヘルツェゴビナ国内には、プリンツィプをテロリストとみなす意見と、英雄とみなす意見が存在する。

サラエボ100年をたどって:2)テロリストか英雄か - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/f834
(略)…今年の6月28日、暗殺現場だったラテン橋のたもと、通りの角には観光客や、見物に来た人々が大勢詰めかけていた。水鉄砲を手に、角を曲がってくる車に向かって撃ってみせるパフォーマンスを繰り広げる男性までいた。

 歴史は繰り返す。私は思わず、「1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」というマルクスが付け加えた言葉を思い起こしていた。
(略)
 暗殺の実行犯ガブリロ・プリンツィプは「祖国解放を目指した英雄」なのか、それとも「手を血で染めたテロリスト」なのか。そこで考え方を分ける前提となるのが、プリンツィプが民族的にはセルビア人だったことだ。90年代のボスニア内戦の「敵と味方」では、プリンツィプの評価が正反対なのだ。

 今年6月28日のボスニアでは、まさにその社会の断層がくっきりと照らし出された。しかも、その背後には、長年うずいてきた民族対立をあおる政治が作用している。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11215476.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11215476
 …ボスニア国内を二分する「準国家」の一つであるセルビア人共和国の側は、民族主義をアピールする機会としてこの日を設定。同共和国のビシェグラードで、暗殺実行犯のセルビア人青年をたたえる式典を開き、セルビアのブチッチ首相やセルビア人共和国のドディック大統領らが出席した。

 首都サラエボで国家レベルの行事が開けなかった背景には、サラエボ事件の位置づけをめぐり、ボスニア内部や近隣旧ユーゴスラビア諸国間にある歴史認識の溝が作用している。

 セルビア人側の指導層は、オーストリアによる支配からの解放をめざした実行犯の青年を英雄視する。この日の式典でも「彼が放ったのは自由への一撃だ」(ドディック大統領)と位置づけた。

 一方、旧ユーゴ内のほかの民族勢力の間では「テロリスト」との見方が大勢。そうした説に対してセルビア人側は、大戦の開戦責任を自分たちに押しつけるものだ、と反発してきた。

しかた
ない。