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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

あの時、格通が「巻頭30PでUFC特集だ!」と決めて…歴史が、動いた。「水道橋博士のメルマ旬報」で谷川氏が回想記を開始

メルマガ「水道橋博士のメルマ旬報」より。

発行:BOOKSTANDプレミアム
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発行日:2014年5月25日
 
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このメルマガでは、谷川貞治氏、茂田浩司氏、松原隆一郎氏などが連載執筆しており、特に前2者はぼ純粋な格闘技・プロレス関連記事です。

谷川貞治の『平身抵当』
茂田浩司『オフレコをオンします』〜連載「ヌルヌル事件とは何だったのか」



そして最新号から、谷川氏が書き始めたテーマは…
「格闘技の歴史を変えたホイス・グレイシー桜庭和志(第1回)」


今回、有料メルマガからの引用というには、やや分量的にはルール違反のそしりを免れないほど多めに引用してしまうが…どうかご寛恕とお目こぼしをお願いしたい。


というのは、今回のコラムシリーズはちょっと多めに読んでもらい、骨子を知ってもらうことで「続きや、略されてる部分を読みたい!!」「こりゃあ、登録して購読しなくちゃ!!」と思わせる効果がある、と確信するに至ったからだ。


NHBニュース( http://blog.livedoor.jp/nhbnews/ )とダブルポストです

(略)…僕がその大会の存在を最初に聞いたのは、作家の夢枕獏さんからだった。
「谷川さん、知っています? 今度、アメリカのデンバーで噛みつきと目潰し以外はなんでもやってもいいという大会が行われるらしいですよ。どうやらガチでやるらしいんです」 
そう言って、格闘技大好きな獏さんはその大会の概要と参加メンバーのリストをFAXして
(略)


そこで僕は当時、『週刊プロレス』から移動して来た安西記者をデンバーまで行かせることにした。安西さんは超変わり者として有名だが、ひとつのものにのめり込むと誰にも負けない取材力を発揮する。しかし、興味のないことは全くできない人なので、僕はこの年上の部下を持て余していたのだが、ちょうどヒマにしているからいいかなくらいにしか思っていなかった。しかし、それが…

(略)
「あー、安西さん。そういえば、デンバーにいるんですね(正直、忘れてた)。どうでした? 大会の方は?」
「それがぁ〜、凄かったんだよ~!!」
 
安西さんは珍しく興奮していた。
 
「まず一番最初の試合がゴルドーと相撲取りだったんだよ。相撲の人が相撲のように突進して行ったらさぁ、ゴルドーが本当に素手で顔面を…(略)ガチンコもガチンコ! 全試合ガチンコで、こんなの初めて見たよぉぉぉぉ!」

 
(略)
「それがさぁ、いつもピタッとくっ付いて、首をキュ〜と締めて勝っちゃうんだよ。他の試合はそれこそ、喧嘩みたいな残酷な試合だったけど、ホイスだけは全然残酷な感じはしないんだ。相手にくっ付いて、何もさせないまま、首をキュ〜と締めて勝ちゃうんだ。とにかく不思議だよぉ」


(略)
1時間くらい話しただろうか? 僕は安西さんの話を聞いて興奮し、
よし、安西さん。表紙から巻頭カラー30ページくらい開けておくから、とにかくそのグレイシー柔術のことを全て取材して来てよ。それまで日本に戻って来なくていいよ。これは面白いわ〜〜!
(略)

「谷川くん? グレイシー柔術の正体が分かったよぉぉぉ! 」
「正体って、 何の話?」
「それがさぁ、グレイシー柔術の正体は、日本の柔道だったんだよぉ」
(略)
「いやいやいや、めちゃくちゃ面白い! なんていう日本人なの?」
「えーと、柔道を作った嘉納治五郎の弟子で、えーと、前田光世という青森の人なんだって。ブラジルでは、コンデ・コマと呼ばれてるらしいよ」
コンデ・コマ? 聞いたことあるような、ないような……。じゃあ、こっちでその前田光世っていう人も調べてみるよ」
「で、谷川くん、昨日“彼らはまだ一度も負けていない“と言ったけど、実は一度だけ負けていたんだよ。そのホイスのお父さんのエリオさんが」
「えっ? それはちょっとテンションが下がるなぁ」
「そうなんだよ。俺もそれを聞いた時はちょっとガッカリしたんだけど、その負けた相手が誰だと思う?
はぁ? 全く想像つかないけど
なんとあの木村政彦なんだよ。力道山に負けた
「えー!!!!」
(略)

「面白いなぁ〜。でも、そのキムラロックって、どんな技なんだろう?」
「それがさぁ、エリオさんが日本で出た木村政彦の自伝に出てるって言うんで、見せてもらったけど、なんとその本はウチ(ベースボール・マガジン社)から出ている『我が柔道』だったんだよぉ
「えー? うちから出てる本っ?」
(略)

いまでは完全に常識になった知識もありますが、それが”新発見”された1993年、あの時の興奮が蘇ってきます!!!
今から申し込めば、第1回から読めます。


うん、2014年の今からだと「木村政彦エリオ・グレイシーの因縁を知らないなんて、ないわー」と思うかもしれない。当時も、相当なマニアとか知ってたろうし、「修羅の門」の作者も「自分はUFCの前からグレイシー柔術のこと知ってて、漫画に出そうと準備していたしたのに…」とぐちぐち言ってたりする。
古典SFの研究から、海野十三などを通じ「明治痛快人物伝」まで研究の幅を広げていた横田順彌氏も、この時期にはすでに相当、前田光世の足跡を調べていた。



でも、少なくとも自分ははっきり言うけど、確かにグレイシー柔術、エリオと木村政彦の因縁、コンデコマこと前田光世…の話はすべて新知識、あたらしい物語だった。
その世界に凄くワクワクさせられた。


そして、ネットもCS放送もない時代。
あのとき格闘技通信が第一回大会の大特集をしたからこそ、UFCの権威や商品価値が高まった」という因果関係も、確実に存在していた。

あのとき「まあ、たかがローカル大会だしね」「野蛮なケンカ自慢イベントでしょ?パンクラス修斗が、美しいスポーツ化を進めているのに、こんなの大きく扱う必要もない」「デンバーまで特派員を行かせる経費がね…」と無視、あるいは過小評価する可能性も普通にありえたのだ。


というか同時期、ゴン格もそれなりにはあつかったが、クマクマンボ体制で「こんな野蛮な大会は大きく評価するに値しない」という論陣を張り続けてたからね(笑)。これは「格通西向きゃ、ゴン格東」という力学も働いてたのだろうけど。



だから(断片的には語られてたけど)格通の側から
「どうやってこの大会を知ったか」
「どんな取材体制を取ったか」
「扱いをどういう敬意で決めたのか」

などの、要は「格通創作秘話」「ぼくの格通青春記」が記録に残されるのはたいへんありがたく、画期的なことだと評価したい。
谷川氏の

平謝り―K‐1凋落、本当の理由

平謝り―K‐1凋落、本当の理由

は、もちろん負けず劣らず面白い時代ではあるのだが、あくまでK-1プロデューサー時代の話が中心だ。

著書「平謝り」もイベントも好調。そんな谷川氏への応援歌 -
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121027/p1

そうそう、いまや大人気の有名作家樋口毅宏氏もこのメルマガ執筆者の一人なのだが、実は名著「僕の週プロ青春記」は、樋口氏が編集者時代に創った本だった。

執筆者の児島和宏氏は「自分でも忘れてる記事に対して、編集者がすごく詳しく覚えていて『この舞台裏はどうだったんですか?』と聞かれるので、本が充実した」と回想していたな。

ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実

ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実

以前、長文の書評を書いている。

書評「ぼくの週プロ青春記」(小島和宏著)を読む【完全版】
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080426/p3


ぜひ皆さんも、この新章は追っかけてみては。




そして
これを契機に…
なんどもこのブログで要望した話だが、例えばゴン格の松山郷氏は「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」掲載と連載の裏話
「ゴン格はなぜ、筋者まで脅しに来た増田俊也の連載を打ち切らなかったのか」
を書いてほしいと思う。
(増田氏が少しだけ、講談社のノンフィクション雑誌「g2」にその話を書いている)





ちなみに茂田氏の連載は正直休載が多いのだが、それでも13回目を迎えた。

連載「ヌルヌル事件とは何だったのか」
 
第13回 炎上と謝罪

あのリングでいったい、何が起きていたのか。
 「桜庭 対 秋山」を一番近い距離で見ていた人、梅木レフェリーのインタビューの続きをお送りする。

・ブログ炎上
 
 06年大みそか。「Dynamite」終了後、梅木氏は観戦に訪れていたグラバカ総帥、菊田早苗と食事に出掛けた。その席で、菊田に言われた言葉がいまでも印象深いという。
 
「『梅木さん、これ(ヌルヌル事件)、一生言われますよ』と菊田さんに言われたんです。僕はまだ事の重大さが分かっていなくて『え?』と思いましたけど、菊田さんは自分も経験しているから、分かっていたんでしょうね」
(後略)