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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

エリオ・グレイシー逝去。ありがとうございました

(上にひとつ別のエントリーあります)


下のコメント欄で知った。享年95歳。ご宗旨的にそういうのかは分からないが、大往生でしょうか。
http://sherdog.com/news/news/helio-gracie-dead-15977

Helio Gracie, the father of Gracie jiu-jitsu, is dead at the age of 95. Gracie passed in his sleep early Thursday in Itaipaiva, Rio de Janeiro, after he had been admitted to a local hospital a few days prior for stomach problems.

“He passed the way he always wanted to –- quick and fast,” said an immediate relative, who asked not to be identified. The relative said Gracie’s body would be buried on Thursday.


でも、逆に「間に合った」という思いが強い。UFCが1993年に始まったとき、すでにエリオ・グレイシー翁は80歳。
これがなければ、一部の明治武道研究家やキャッチ研究家などの好事家を除いて、グレイシー一族のドラマチックな歴史も前田光世の痛快な事跡もほとんど世に知られること無く終わっていた(横田順彌が「明治バンカラ快人伝」で前田に一章を割き「こんな面白い人物がなぜ知られていないんだ!」「私でなく、他の人がもっと研究してほしいんだ!」と叫んだのが1989年)。

かつて上田馬之助が「最強? そんなの一番長生きしたやつのことだよ!!」という名言を残していたが、その通りだろう。



彼がその時期まで生きて、話してくれたことは大いに我々の文明文化に恵みをもたらしてくれた。
同時に本人にも名誉と富をもたらした。

先月号、2月号のゴング格闘技は通算200号を記念したそれぞれの記者の「思い出の瞬間」を書いた記事があり、VTJの話とか大山倍達の話とか面白いのだが、高島学氏はエリオ翁に2005年に会った話を書いている。

はじめにアポを取って、自宅を訪ねに行こうとすると仲介の労をとってくれた弟子が「エリオが、今朝になって『インタビューには5000ドル必要だ』と言ってきた…」って(笑)。
もちろん取材資金の豊富なことで知られますゴン格ですから造作も無いことですが(反語)、一時はちょっと国際電話で自宅に電話し「半分は自腹を切るからな!」と有無を言わせず通告することになったそうな。
結局謝礼は4000ドル。ディック・ザ・ブルーザーを4回倒した額に相当する(「列伝」単位。)。


そうやって会ったエリオは、単に名論卓説やありがたい精神論を語るのではなく「私の首を絞めなさい。こうやって脱出ーー。なにやっているんだ、もっと本気で絞めろ!こうやるんだっ!」となぜか絞める側に回ったという(笑)


猛然と巨漢の首を絞めるエリオ・グレイシーさん(当時91歳)。右の人は写真の姿(見た目)から判断する限り、たぶん悪人だと思われる。


しかし当時91歳の、伝説の人物が、本当に直前になってお金を払えとかいうかね?交渉にいろいろ人を介していたし−−。
その謎は、最後に明らかになる。
エリオはさらさらと名刺に一筆を書いて、高島に手渡した。
「これ、私の口座番号だから。すぐに振り込んでおくように」


いや、こう書いた高島氏も引用した小生もだが、別に故エリオ氏を貶めようということでこうやって書いているわけじゃない。
このお歳になってもいまだに、即物的な意味での「強さ」の顕示にも、また金銭にも熱心で情熱的だったことは、なんか逆に嬉しい部分もあるじゃないか。
そんなエリオに、ありがとうございました。

全国の書店(というか出版社)は、急きょエリオ追悼のPOPをつくって夢枕獏東天の獅子」の売り場に飾ってください(一巻に登場)。


東天の獅子〈第1巻〉天の巻・嘉納流柔術

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明治バンカラ快人伝 (ちくま文庫)

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そういえばどこまで真実かアングルか

「エリオは2002年の第一回Dynamite!!吉田秀彦ホイス・グレイシーの決着の仕方(レフェリーの判断)に絶望、激怒して日本にはもう来ないと決めている」という話があった。結果的にたしかにその後の来日は無かったようだが、お年を考えるとそれはそれで自然でもある。
まあ、一抹の寂しさや引っ掛かりはあるけれども、その後ホイスは実質的なリベンジを果たしてもいるし、彼の伝説を彩る一挿話というべきなのだろうか。