この話、書こうと思っていたが機会が無かったのでいま書く。
現在発売の一つ前、ゴン格247号(2013年1月号)にヒーロン・グレイシーのインタビューが載っている。ヒーロンはホリオンの息子。193センチ、90kgの大型「新世代グレイシー」のひとりだ。、例によってというかこんな面白い(視点が独特な)記事の聞き手は、堀内勇氏(”ひねリン”)。
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だが意外や意外、一代で成り上がったエゲつない成金の息子や娘が、おんば日傘で育って正反対の、おっとりと優しい善人になる…ということと同じ現象が、ホリオンの家でもあったのだろうか?
なんとヒーロンは…まずMMAに、さらさら興味が無いっぽい。
そして、タイトルにうたったように「柔術(本人は「エリオ柔術」と呼ぶ)は護身術。極められなければ勝利なんだ」と語り、実際に2012年10月14日に、「世界最強の競技柔術家」アンドレ・ガヴァオンと20分ポイント無しルールで対戦…したときに最初から「唯一の目標は極められないことだ」と宣言。
そして・・・
いとも簡単にガウヴァオンにテイクダウンとパスを許し、サイドポジションを与えた。
そこから「護身術」の本領を発揮したヒーロンは、ガヴウヴァオンに抑えられたまま脱力。相手が仕掛けた時にのみ、生じた隙を利用してポジションを戻す・・・終盤は攻め疲れて下がるガウヴァオンを追う…
そして、こんな議論が生まれた。
・あのまま続けたらヒーロンがアンドレを極めたのでは?という声が出るほどの攻勢だった。
・しかし、アンドレは時間制限を踏まえて全力で極めに行き攻め疲れた。その結果、終盤に劣勢になった、というのはどう評価すべきか?
・「そもそも勝利を目指さないものが試合に出ていいのか?」
・「簡単にサイドポジションを許す護身術などあるのか?」
・「グレイシーは最強を主張していたのではなかったのか?」
そんな声を聞いて、堀内氏はヒーロンに問う。彼は答える。
確かにガウヴァオンは、ポイントを稼げば勝てるというルールにおける世界最強の選手だ。すごいね。僕にはとてもできないことだよ。まあ僕だって5年くらい試合に勝つことに専念して、肉体も強化してハードな練習を出来れば張り合えるかもしれないけど、そんな情熱も時間もない。
(アグレッシブに攻めていく柔術は)たとえるなら、75%の相手には通用したとしても、残りの25%には使えない柔術だ。でもエリオ・グレイシー柔術は違う。いやエリオという名前を使わなくてもいい、本物の柔術だ。それはどんな相手にも100%通用するものなんだ。
僕は最初から何度も言っていたんだよ。ふつうの競技柔術のルールでやったら、ガウヴァオンが勝つに決まってるって。7-0とかのポイントでね。そんなことはとっくに認めてるんだ。
みんな本来の柔術、サバイバルとして創られた柔術の本当の目的を忘れて、上を取る練習ばかりしてるからだ。みんな柔術を全く分かってないんだ。
そしてこういう。
世界に何十万人もいる柔術家たちに「年に6回の試合と、道場における友達との日々の練習、どっちが大事?」って尋ねてごらん。みんなが「道場における日々に決まっている」と答えるよ。それなのに試合に夢中になって負けるとすごく落ち込んだりする。試合を頑張るのも結構だけど、その人の柔術ライフが試合に支配されてしまうようなことがあってはならないよ
…試合はただただ素晴らしい経験をする機会がもらえたってだけだ。世界最強の一人とトレーニングが出来るというね。そんな相手にもし負けずに試合を終えることができたらグレイトなことじゃないか。もし極められて負けてしまったとしたら?やっぱりグレイトだよ。あんな強い選手から学べたってことだからね。
大事なのは試合じゃない。ライフスタイルだ。ずっと柔術を続けて、その素晴らしさと共に日々を行き続けること。これは護身より大切なことだよ。もし君が、75歳や80歳になっても柔術を続けることができたら最高じゃないか。
再度確認するよ。これはあのホリオンの子供の主張だぜ。あれだけホイス・グレイシーvs桜庭和志の試合でゴネにごね、トーナメントなのに時間無制限の特別ルールを作らせたホリオンの息子だぜ。
それが31歳で、こんな達観した境地に至った。やはりボンボンにはボンボンの良さがある。「売り家と、唐様で書く三代目」という川柳があるが、唐様というのはそもそもすぐれた教養と技術ということだからね。
だが・・・一方で、「やはり彼はホリオンの息子か?」と思わなくもない。
というのはつまり、大槻ケンヂ氏が…ここに書いているな。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090905/p2
大槻ケンヂ氏が「山の中ならヒクソンに勝てる」(ネイチャージモン)
とか
「目隠しで戦え」(龍飛雲)などの「ずらしての最強論」という、大変重要な概念を提示した。
その直後に
「うちは目突きと金的を極めて真の武道に到達した」
という、活断層並みのずらし方をしている骨法が登場するというすごさです(笑)
この大槻氏の深い指摘を読みたい人は
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そう、武道のひとつの奥義に、<勝敗><強さ>の基準を、こっそりと自分流の定義に引き寄せ、そこで論じる、実践する・・・という手口があるのです。フルコン山田さんもそういうこと語っていたな。
■「武の世界」とは何か?を端的に描く漫画「アグネス仮面・天地拳編」。ヒクソンもLYOTOも超えて
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090905/p2
「宇宙とは何か、という問いに答えよ」
「私の後ろの宇宙空間を見よ」
というのも。実際に拳や蹴りを交わして勝敗を極めるというところからステージを変える「ずらし」なわけだね。
ホリオンといえば「砂漠で男二人が戦ったら…」などの理論で相手を煙に巻き、自分の設定ルールが正しい、と主張することでは日本の宮戸優光とタメを張る弁舌家。
現在の、世界的な競技大会で実績ありまくりの柔術家と戦うときに「20分、ポイントなし」ルールとし、「極められなければいい!それが目標で、真の護身である」とアジェンダ・セッティング(議題設定)する…これはひょっとしたら高度な戦略なのかもしれないではないか(笑)。
だからこそ、ヒーロンのこの試合は、主張は格闘技への哲学的挑戦であるのだ、と思います。
ひねリン氏の師匠ペドロも、実は似た哲学、実践の持ち主。過去記事を読もう。
実は読んでいるときに、とある既視感を味わっていた。
たぶん、この指摘は僕にしかできないだろう…。ひねリン氏は似た哲学の柔術家から、そもそも柔術をまなんでいるのです。
■せんせと話した(我が師pedro carvalho)
http://www.kansenki.net/colum/04/0215colum_hine.htmlせんせと一時間くらい話した・・・(略)
「(アメリカの柔術界は)みんな試合に勝つことにこだわりすぎだよ。自分が人よりタフであることを証明しようと躍起になるのはバカげてる。私は試合なんか勝とうが負けようが、出ようが出まいがどーでもいいと思うよ。そりゃ勝てばいいけど、別に負けたっていいよ。楽しむことの方が大事だ。黒帯達もみんな、自分の生徒を試合に勝たせることにこだわりすぎだ。○○○(俺の本名)、お前は根本的に試合が好きなんだよな。そういう性格なのは見てりゃ分かる。私が何も言わなくても、勝手にどんどん大会に出てるもんな。で、いつも楽しそーだ。とてもいいね。でも、もし私がお前に『○○○、次の試合は絶対勝て! そのためにハードトレーニングをしろ!』とプレッシャーをかけたらどーだい? 楽しいモノが楽しくなくなっちゃうだろ? そんなの意味ないよ。」
■ペドロが闘った!
http://hinerin.blogspot.jp/2004_02_29_hinerin_archive.html…ともかくペドロはそのままクローズドをじっくり固めて、右手を相手のエリに対角線に差し込んで、万力でじっくりクロスチョーク(十字締め)狙い。いわばエリオ・グレイシー以来のオーソドックスなクローズドガード戦法。
これはペドロらしい。ペドロの柔術ってのは基本的に「身を守ること」が最優先。いつも生徒に、試合においてはポイントでの勝ち負けなんかこだわる必要はない、それより「タップを取られずに試合を終えること」ができればいいと言うし、危険を犯してまで一本を狙う必要などもないと説く。
(略)
でも柔術マッチはポイントを競う競技でもあるので、ポイントを稼ぐための動きをした方が勝ちになるのはしょーがない。柔術を第一義的に護身と考えるペドロには、そういう動きにあまり価値はないんだろーが。ってことでま、ペドロ的には自分の哲学通りに試合を進めて、一度も危ない場面がなかったわけだ…