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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

百田尚樹氏「私と安倍首相の親交は、自民が野党、首相も『終わった人』扱いの時期。それでも『権力に擦り寄った』か?」

しかし、まー、
なんですなー(桂小枝調)。
上のエントリで紹介した映画「永遠の0」原作者、百田氏のツイートを見ていたら、面白い議論を見つけた。

https://twitter.com/hyakutanaoki
百田尚樹 ‏@hyakutanaoki 12月27日
私を「権力(総理)にすりよった作家」と揶揄する人たちがいるが、私が安倍晋三さんの応援団になったのは自民党が野党だった時で、しかも安倍さんは自民党内でも終わった人と見られていた頃だ。総裁選に出ても負けると言われていたが、私は「出てほしい」と言った。一度も権力にすりよってなどいない!
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/416386141575593985
 
百田尚樹 ‏@hyakutanaoki
私は民主党が我が世の春を謳歌しているときに、「さらば売国政党民主党」という論文を書いて発表した。論文の中で首相も名指しで批判した。もし私が権力におもねるような男なら、そんなことをするはずがない。私は頭が悪い男だが、ブレることはない!
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/416389188263477248

 
あっそうか、と思った。そういう時代になったんだよな、と。
もともと、政権交代というものが民主主義社会で具体的、リアリティのあるものになれば当然そうなる話なのだ。というか、それが政権交代の効用。

日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ

日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ

政権発足から1年、
現職総理大臣と国民的ベストセラー作家が
取り戻すべき日本の姿について
本音で語り合った全国民必読の書!

第1章 取り戻すべき日本とは何か
第2章 『永遠の0(ゼロ)』の時代、『海賊とよばれた男』の時代
第3章 「安倍晋三 再登板待望論」に初めて答える
第4章 安倍総理大臣で、再び日本は立ち上がる
●さらば! 売国民主党政権
百田尚樹 特別書き下ろし「安倍晋三論」
第5章 安倍総理大臣、熱き想いを語る
──日本をもう一歩前に

つまり、皮肉でも冗談でもなく、ある視点で定義するなら、
今現在アメリカでは超保守派のラッシュ・リンボーやFOXニュースは「反骨・反権力の言論人、報道局」なのである(笑)。んで、オバマ大統領の大統領選キャンペーンに参加したブルース・スプリングスティーンは「御用歌手」。


また、「権力に擦り寄る」をまた1面的に見るなら2009年からの数年間、湯浅誠氏、平田オリザ氏、(元内閣参与)や下村健一氏(元内閣官房内閣広報官室内閣審議官)、山口二郎氏はまさに「権力に擦り寄る」となるし、内田樹氏(元大阪市政特別顧問)は平松大阪市政に「擦り寄る」「御用学者」でありました。

首相官邸で働いて初めてわかったこと (朝日新書)

首相官邸で働いて初めてわかったこと (朝日新書)

ヒーローを待っていても世界は変わらない

ヒーローを待っていても世界は変わらない

佐高信氏は、対談本を出した土井たか子氏や村山富市氏に「擦り寄る」ということになるのかね。
日刊ゲンダイは小沢が民主党にいたときは御用新聞で、「生活の党」ができたら反権力新聞だということになるかな(笑)?


なんかぐっちゃぐちゃになったが、つまりは地方自治などはともかく、55年体制以降の国政で自民党政権が続いたゆえに「権力(与党)に近い」と「反権力(野党に近い)」にイメージの固定ができてしまった、という単純な話だすな。


有名なところで、その2009年の政権交代のとき、保守系新聞の産経新聞社がtwitterで「自分たちも下野した」という意味で「下野なう」とつぶやき、「お前らは自民と一体のつもり、与党のつもりだったのかよ」と言う批判や失笑を浴びた。
 
だがそれに前後し、実は正反対の合わせ鏡が…ずっと自民党政権に批判的論陣を張っていた、CS「朝日ニュースター」のトーク番組「愛川欽也パックインジャーナル」で、まさに正反対に「この番組、与党になっちゃったよ」と(笑)。そこまで民主党と一体のつもりなのか…とね。話題にならなかったのは単に、マイナーなCS放送だったからに過ぎぬ。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100425/p5


良くも悪くも、政権交代があるところでは、今日の権力側近、明日の反権力の闘士となる。そして、その逆もしかり。
というか、そもそもそれに期待して民主主義体制は議会制民主主義や大統領制を採用しているんだと思うわー。

その中で「俺は反権力の闘士だ!」も「お前は権力に擦り寄ってる!」も、少なくともずっとA党支配の時とは意味が違ってくる。


ある意味「政権交代の最大の産物」が、上に紹介した百田氏の

「自分は野党時代の、復活の目が無いといわれた時代に安倍氏を応援した。だから『権力に擦り寄った』わけではない」という論理だ。
 
これはこれで、なかなか強いものだ。
また「自分は野党時代からの付き合いだ。だから権力に擦り寄ったのではない」ということなら、上の民主党政権時、それに協力した人々も多くはそれを弁明材料にできるだろう。


…が…。ただまあ「国会議員」「元首相」自体、やはり野党であろうと権力者であるといえる。そういう定義で考えて、「やはり百田も権力に擦り寄った。佐高も下村も平田も内田も権力志向だ」、こういう定義もありっちゃありでしょう。
だからお好みだわな、そのへんは。


なんにせよ、政権交代のシャッフルによって、「権力に近い」とか「反権力」とかのフレーズが、冷戦時代などとは違うものになっている。


そのことを、百田氏の
「私が安倍晋三さんの応援団になったのは自民党が野党だった時だ」という啖呵で思い出した次第。