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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

司馬遼太郎が語る「文明」と「文化」(アメリカ素描)

http://togetter.com/li/586099
ここからつなげたい。

人間は群れてしか生存できない。その集団を支えているものが、文明と文化である。
いずれも暮らしを秩序づけ、かつ安らげている。
 ここで、定義を設けておきたい。
文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。

 例えば青信号で人や車は進み、赤で停止する。この取り決めは世界に及ぼしうるし、げんに及んでもいる。普遍的という意味で言えば交通信号は文明である。
 逆に文化とは、日本でいうと、婦人がふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。立ってあけてもいいという合理主義はここでは成立しえない。不合理さこそ文化の発光物質なのである。同時に文化であるがために美しく感じられ、その美しさが来客に秩序についての安堵感をもたらす。ただし、スリランカの住宅にもちこむわけにはいかない。だからこそ文化であるといえる。…
(中略)

…以上の事からいうと、日本などは精神の安らぎのための不合理な習慣でつまっている。
年末だけでも年賀状を書き、お歳暮を送り、忘年会で飲み、紅白歌合戦を見、年越しそばをすすり、除夜の鐘をきき、気の早い人はそのまま初詣に出かける。
そういう文化の蓄積とその共有が、自然とクニの形をとったのが、地上のほとんどの国の場合である。日本の場合、そのアンコという文化の上に、マンジュウの皮のように文明という法秩序がある。

ジーンズとは文明材である」という論から

“文明材”というのはこの場かぎりの私製語で、強いて定義めかしくいえば、国籍人種をとわず、たれでもこれを身につければ、かすかに“イカシテイル”という快感をもちうる材のことである。普遍性(かりに文明)というものは一つに便利という要素があり、一つにはイカさなければならない。・・・普遍性があってイカすものを生み出すのが文明であるとすれば、いまの地球上にはアメリカ以外にそういうモノやコト、もしくは思想を生み続ける地域はなさそうである。

アメリカ素描 (新潮文庫)

アメリカ素描 (新潮文庫)

普遍性があって便利で快適なものを生み出すのが文明であるとすれば、いまの地球上にはアメリカ以外にそういうモノやコト、もしくは思想を生みつづける地域はないのではないか。―初めてこの地を旅した著者が、普遍的で合理的な「文明」と、むしろ不合理な、特定の集団(たとえば民族)でのみ通用する「文化」を見分ける独自の透徹した視点から、巨大な人工国家の全体像に迫る。

おまけ

文明とはなにかを考える場合、ローマや中国文明などより、遊牧という単純な文明の方がわかりやすい。文明はまず民族(文化)を超えていなければならない。遊牧文明の場合、そのやり方と道具をそろえさえすれば、誰でも参加できる(普遍化する)のである。簡単な取り決めだけで、万人が参加できて、しかも便利であるものを文明と考えたい。馬乳酒もまた、その文明に欠かせないという点で、普遍性の高い文明材であった。
 しかし文明は必ず衰える。いったんうらぶれてしまえば、普遍性を失い、後退して特異なもの(文化のこと)になってしまう。いま馬乳酒は世界の普遍性から見れば特異であり、いまこれをニューヨークや東京のホテルで出すわけにいかない。異文化(エスニック)もまた文明材となるときがある。たとえばジーンズは20世紀のはじめ、デトロイトの自動車工の労働服だったという点で特異かつ少数者のものであったのが、アメリカ内部の普遍化作用のなかで吸い上げられ、世界にひろまったとき、新しい文明材となった。
 人間は文化という(他からみれば不合理な)マユにくるまれて生きている。頂上に文明があるにせよ、民族や個々の家々では、普遍性に相反する特異さで生き、特異であることを誇りとしている。そういう誇りの中に人間の安らぎがあり、他者からみれば威厳を感じさせる。
異文化との接触は、人間というこの偉大なものを、他者において感ずる行為といっていい。(「文化と文明について」)

私はこのひと(※ある在日韓国人)にむかい、アメリカをことさらに概念化して意見をのべた。つまり、アメリカとは文明だけでできあがっている社会だとした。しかし人は文明だけでは生きられない、という前提をのべて、だからこそアメリカ人の多くは、なにか不合理で特殊なものを(つまり文化を)個々にさがしているのではないか、といったところ、このひとはながく考えてから顔をあげた。
 口から出たことばは、べつの主題のことだった。
『もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐるしいのではないでしょうか』
 かれは、経済や政治の問題をいっているのではない。
〔……〕
 いまはアメリカで市民権をとることが容易でないにせよ、そのように、文明のみであなたOKですという気楽な大空間がこの世にあると感じるだけで、決してそこへ移住はせぬにせよ、いつでもそこへゆけるという安心感が人類の心のどこかにあるのではないか。この人のみじかいことばは、そういう意味のようであった。
 これが、ただの日本人でなく、在日韓国人のことばだけに心にしみる思いがした。