まったく、そのものズバリの話が出てきて、しかもホットエントリになっていたのでややびっくりだ。
靖国神社という霊言機関
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20131024/1382626838
おとといマレーシアの事例を紹介するこの記事を書いたときに、その時事問題も引用すればよかった。
これに違和感あるでしょ? 『?』でしょ?…それが「宗教における見なしの自由」ですよ。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131024/p3
ついつい、この問題を理解する一番典型的な事例だと思ったので、過去の記事(それも厳選した抜粋にすぎないんだけど)からその記事にとぶリンクをはった。だが、よく考えたらTBが集まる側が1箇所なので、気づけば先方には今すごく、うちからのTBが集中してる(笑)。
そこにこの記事からさらにもひとつ、TBが飛ぶのでそこは恐縮しきりだが…これで「まとめ」にしよう。はてブの100字では書ききれないし。
リンク先ではこう語られている。
しかり。
違いなんて、本質的な部分では、ないないない無い。
両者(靖国神社、幸福の科学)に対しては、また例によってこのAAを我々は突きつけ得るのである。
今回は少し大きめに表示した(笑)
そして……、
逆に言うと、このAAでの言葉を投げかける【程度に、とどめねばならない】のだと思うのです。
「戦死者、戦病死者、処刑された戦犯は英霊ではない」と思っている人。
あるいは「手塚治虫は梵天界にいる高級霊ではない(あの締め切り破り常習犯が?)し、レーニンや毛沢東は善人界にいる高級霊ではない(あの虐殺者が??)」と思っている人
( http://tiyu.to/permalink.cgi?file=news/09_12_25 )
彼らは
「ないわー。 あんな教義ないわー、でたらめだわー」と(それを真実だと信じる人と相互に)批判しまくっていい。失笑、嘲笑していい。ただ最後に、その批判や嘲笑には「やつらがそう考えるのは、まあ勝手だがな」と付け加える・・・という話になるんじゃなかろうか。
それを認めないのは、逆に言えばマレーシアにおける
【プトラジャヤ=マレーシアBIZナビ】 一神教の「神」を表す語として非イスラム教徒が「アラー」を使用することが認められるかどうかが争われていた裁判……使用を認めた高裁判決を破棄し、使用を禁じる逆転判決を下した。
http://www.malaysia-navi.jp/news/?mode=d&i=2483
と「どれほどの違いがあるのだろうか」。
いまはてブを読んだら「祀る自由があるなら祀られない自由もあるはずだ」という一文を読んだが、実はこの二者は論理的に両立し得ない。後者は自由の抑圧に、必然的になるのであります。
今までの多くの記事でなんどか紹介したけど、ここでも貼っておこう
1942年12月8日、ファティマの予言の一部実現を記念して、ローマ教皇ピオ12世は全人類を聖母マリアの聖心に奉献した。私も人類の一員だが、まさか自分がマリア様にささげられていたとは知らなかった。だからといって、私は教皇に抗議するつもりはない。
またキリスト教では、イエスは全人類の罪をあがなうために十字架にかかって死んだと説いている。私はキリストに身代わりをたのんだ覚えはないが、キリストを訴えようとは思わない。それがキリスト教の教義だということを知っているからである。宗教のドグマに他の宗教は介入できない。(佐伯真光)
(日曜に想う)名作に常識は似合わない 論説主幹・大野博人
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130908-00000011-asahik-soci
朝日新聞デジタル 9月8日(日)11時30分配信 (有料記事)…名作は常識や良識の枠には収まらない。
(略)
イスラムに辛らつな部分を持つ作品なら昔から少なくない。
古くは、たとえばダンテの神曲に地獄で腹を割かれたムハンマドが描かれている。
- 作者: ダンテ,平川祐弘
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http://mainichi.jp/opinion/news/20121030k0000m070101000c.html
発信箱:私の神サマ=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2012年10月29日 23時59分
……トルコ人の友達に誘われ、神奈川・横須賀にある独園寺(どくおんじ)の座禅会に参加した。「座禅中、自分の信じる神を思い浮かべていいですか」と尋ねる彼女に、副住職の藤尾聡允(そういん)さんは「あなたの信じる神を思っていいのです。座禅自体は宗教行為ではないですから」と答えた。ならば無宗教の私でも大丈夫ね、と何だか安心…
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20130320/1363793071
キリスト教とは切っても切り離せない関係にある宗教,イスラーム……彼らはユダヤ教→キリスト教と続く流れ(いわゆる「アブラハムの宗教」)の中にいて,モーゼやキリストも重要な啓示者として認め,ユダヤ教徒やキリスト教徒を「啓典の民」として尊重する。ただし彼らは「モーゼやキリストが伝えた教えは不完全」「ムハンマドの伝えた教えこそが最終的な教え」であると主張するのだ。
(略)
アラウィー派……輪廻転生というイスラームとしてはかなりギリギリの線を信じており,他のイスラーム教徒からは「あいつら異教徒じゃね?」と言われる時がある。もっとすごいのはドルーズ派……彼らはアラウィー派のように輪廻転生を信じるのみならず,ファーティマ朝6代カリフであるハーキムを「受肉した神」と捉え…もうこの時点で「それ異教じゃね?」と突っ込みたくなるが,さらにすごいことに彼らは独自の聖典を奉じてクルアーンを否定する。「クルアーンは神からムハンマドが預かった聖典だけど,もう神は受肉して僕らに新しい聖典をくれたんだからそんな古い聖典いらないよね」……もはやここまでくるとイスラームなのかどうかすらわからない。実際,彼らのあいだでも揺れ……レバノンのドルーズ派はみずからをイスラームと規定するが,イスラエルのドルーズ派はみずからをイスラームとは別個の「ドルーズ」と規定……
http://www.tkago.net/tguide/viet_kaodai.html
カオダイ教はゴ・ミン・チェンによって唱えられたベトナムの新興宗教です。信者数は約300万人。カオダイ教最大の特徴は宗教の混合です。ゴ・ミン・チェンは五教(キリスト、仏教、儒教、ヒンズー教、道教)の教えを土台としたことから「カオダイ(高台)」の名がつきました。総本山はホーチミン市から約 100kmのタイニン省にあり、タイニンの 7割の人間がカオダイ教の信者だそうです。孔子、老子、釈迦、キリスト、ムハンマド、ソクラテス、李白、トルストイ、ヴィクトル・ユーゴーなどを聖人や使徒として、崇拝の対象にしています。
http://www.j-cast.com/2011/11/05112270.html
初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した民族活動家の安重根(アン・ジュングン)に対して、韓国のカトリック教会が「聖人」に準ずる「福者」に認定しようという動きを始めている。
(略)
安は1895年に洗礼を受けてカトリック信者になり、「トマス」という洗礼名も持っていた。ただし、伊藤の暗殺が殺人を禁じたカトリックの教義に反するとして、安は長い間カトリック信者だとは認められてこなかった。だが、1993年になって復権が認められている
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/c09713d768269027f7748419a12c5307
世界最多の約2億人のイスラム教徒を抱えるインドネシアで、イスラム教の「異端」教団やキリスト教徒に対する暴力事件が相次いでいる。……異端とされる少数派イスラム系教団「アフマディア」信者の民家を住民ら数百人が襲撃。信者3人が死亡し5人が重傷を負った。(略)
アフマディアは19世紀末に英領インドで生まれ、1920年代にインドネシアに伝わった。国内の信者は約50万人。最後の預言者はムハンマドではなく同派の教祖であるとする教義から「異端」として迫害されてきた。イスラム強硬派の圧力に屈した政府は08年、布教を禁止した。
まだまだ探せばある気がするけど、飽きたので打ち切る。
ラノベのタイトル風にいえば
「アホな軍部に戦地へ駆り立てられた戦死者がこんなに英霊なわけがない」
という感想や評価は自由だし、それはそれでもっとも。
だが
「神の子イエスが、こんなにムハンマドより劣る不完全預言者なわけがない」
であり、またその逆に
「預言者イエスが、こんなに生まず生まれず、唯一にして全なる御方の子なわけがない」
であり、
「ムハンマドが地獄で体をこんなにまっぷたつにされてるわけがない」
であり、
「暗殺に手を染めた壮士が、こんなに福者なわけがない」
であり、
「ビクトル・ユーゴーがこんなに使徒なわけがない」
であり
「ファーティマ朝6代カリフがこんなに受肉した神なわけがない」
であり・・・・・・・・・。
どれも平等に、信じる人は信じろ、信じない人は信じるな、つっこむ人はつっこめ。しかし互いに「論証不可能、相互無視」。
これでいいんじゃないですか?
というかそれ以外、どうしようもないんじゃないですか(笑)?
エースには、もう一回登板してもらおう。
「論証不可能、相互無視」とは。
なんで結局、どれも最終的にはあっていいかというと、実際に死後の世界に行ってみたら、ほんとに戦死者はみな「英霊」になってるかもしれないし、安重根はその功績をもって天国で永遠の安息を得ているかもしれない・・・それは結局分からないからだ(笑)。
イエスは「うーん自分はただの一預言者なのに、神の子だなんて過大評価されてマジやばいわ。正直ひくわー。」と思ってるかもしれないし「あ?俺っち神の子を、ただの預言者なんておめー、俺と親父Disってんの?」と激おこかもしれない。
手塚治虫は本当に梵天界にいて「あの『進撃の巨人』みたいな話なんて、僕だって描けるんです!」と相変わらず現在人気No.1の漫画に嫉妬をしてるかもしれない(笑)。
それが絶対に違うっていうんなら、
行ってきて写真を撮ってきてくれ。
閻魔に紹介状を書いてやる(直江兼続メソッド)。
だから賢者ナータンが語る昔話で、判事はこう語った。
「私はあなたがたに、裁決ではなく、忠告を与えよう。ものごとをあるがままに受け取りなさい。それぞれが、自分こそ本物と信じるのだ…各自が本物であることを証明するように努めなさい。心穏やかに、我慢強く、神さまに気に入られる良き仕事に精を出しなさい。私は千年のちにあなたがたをこの判事席の前に紹介しよう。そのときには、たぶん、この椅子には誰よりも賢明な判事が座っているだろう」
(一部、改変し一般化しています。原文は下リンク)
- 作者: ミリヤム・プレスラー,森川弘子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120130/p4
とりあえずおしまい。