ちょっと思うところあって、今「週刊大衆」に連載中の柳澤健「1964年のジャイアント馬場」を少し中間総括したい。といっても、時々「週刊大衆」が見つからないこともあって、最新号をふくめ飛び飛びになってしまっていること、あと自分なりにムムッと思ったことは時折書いているので、そのへんを前提にしつつ。
柳澤健氏「もし自由に次作執筆テーマを選べるなら…『1960年(代)のジャイアント馬場』を書きたい」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120109/p1
■ジャイアント馬場異説。「馬場は見た目が『見世物風』なので、野球で実力以下に評価された」(柳澤健)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130619/p1
■柳澤健氏「力道山vs木村政彦で、力道山が勝つのは自然」「普通にやっても力道山の勝ちだろう」(週刊大衆)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130716/p1
この連載、約半年の話を無理くりに要約すると、
・ジャイアント馬場は、もっともスポーツ性が認められた野球界において、二軍トップの投手成績をあげた、超一流の運動能力を備えたアスリートだった。
・だが野球界に「馬場は見た目が”フリークス(見世物)”だからいかん。野球全体が不真面目に見られる」という、あとから考えれば実に理不尽な風潮があり、大成できなかった。
・一方でアメリカのプロレスは…WWEやハッスルが、近年になってストーリー・ショーのプロレスを完成させたのではない。既に「スポーツ」とは別の、プロレスをプロレスたらしめるものはすべて出来上がっており、戦後アメリカで普及した「テレビ」とも手を取り合って発展しつづけていた。ついてまわる知名度もマネーも膨大な、国民的娯楽だった。
・だが日本では、天才興行師でもあった力道山が、それを実際に体験し百も承知であったのだが「そのままでは日本では受けん。もっとマジメな、真剣勝負なふうを装わんといかん」とアレンジ。そしてそれが日本のプロレスの基本ラインとなった。
・単身、アメリカに乗り込み、グレート東郷というその世界での成功者のもとについた馬場。抜群に頭の切れる馬場は、アメリカのプロレスと日本のプロレスの違いをどう理解し、どうやって、当時のアメリカで「イチロー級」の成功を収めていくのか…???
基本的なところを大事なことなので二度言います。
あの時代に、アメリカで日本人が100万ドルプレーヤーとなり、MSGのメインを張るといったら、いまの「イチロー」なみの大成功をした、ということである、ということ。「プロレスなんかと野球を一緒にするな!」とおっしゃるか?うん、プロレスはたしかにそういう意味で純粋なプロスポーツではないよ。
だが、それなら「演じる世界」でいうなら、ハリウッドで真田広之と千葉真一と三船敏郎を合わせたぐらいの成功者だった、ってことになるんだよ!
ミスター高橋本以来のいまなら、世間的にもそう理解したほうが早いだろう。
で、それってすごいことじゃないかい?偉大な業績じゃないかい?
その知られざる業績を、いま再検証しているのがこの連載、というわけさ。
そんな史観で組みなおすカール・ゴッチと力道山。
さらにつけくわえると、その二人の試合に先立つカール・ゴッチvsグレート・アントニオ。
ともに「プロレススーパースター列伝」で漫画になっていて印象深い。文庫版だと5巻の「猪木・馬場編」、11巻の「ゴッチ編」です。
- 作者: 梶原一騎,原田久仁信
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11巻の、ゴッチvs力道山の煽りがすばらしい。
当時の力道山は実力的にも全盛期、NWA世界チャンピオン ルー・テーズの王座を虎視たんたんと狙っていた!だからテーズへの挑戦権をつかむためにも、そのテーズと並ぶ『影の実力者』クラウザーに勝っておく必要があった!!
しかし、いくら正調・梶原一騎節とはいえ、「ミスター高橋本以後」の世界では「テーズが日本に来れば、プロモーター力道山は挑戦権を自動的に得られるだろ(笑)」「1本は奪われて1本取り返して、最後は反則とか時間切れなんだよね」みたいなアレがどうしてもつきまとう。
だが、正調・柳澤節では…要約。
「たしかにゴッチは、人気を鼻にかけて『実力による序列』という重要な裏の掟をわきまえないアントニオを試合中に制裁した」という序段は同じ。
しかし…
「力道山は、ゴッチやミラーのこの行為に激怒した」
とする。
以下、会話調に。
■力道山…『たしかにアントニオが気に入らず、懲らしめると言うなら勝手にせい。だがアントニオは商品だ。客の前で制裁したら、その商品価値はがた落ちだ!アントニオをいつ使い捨てるかも、プロモーターのわしが決める。リング上での制裁は、わしへの反逆だ!!』
■ゴッチ…『ホー…わたしのやることが気に入らないというのかね。ではリング上で、私がアントニオにやったように、あなたが私を制裁すればいい』
■力道山…『オオッ、上等じゃ!!!木村政彦がどうなったか知らんのか?』
と、このような形で、力道山vsゴッチは(結果は収まるべきところに収まったものの)、ふつうの試合を超えた意味があった!!!
と、柳澤氏の今回の連載では読み替えるのであります。
ここんところは、読んでぞくぞくしたねー。
柳澤史観から一騎史観を見直すと、リアルな葛藤を「昭和プロレス」のコードにきれいに読み替える一騎の手際に、プロレスファンは逆にリスペクトの念を強めるのです。
結果があらかじめ決まった、スポーツとはいえないスポーツだからこそ、その裏にある<影の勝負>が普通の光とは違った、「闇の輝き、黒い輝き」を放つ…
これから本格的に全米を暴れまわるかつての馬場も、そんな輝きをはなつのでしょうか。
あの「ジャンボ鶴田vs長州力」の影に”キラー馬場”があった?
つい先日、このエントリとは別に偶然このヤフー知恵袋をみたんだけど…
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1085789120
【質問】昔行われた「ジャンボ鶴田VS長州力」の試合について教えてください。
フルタイム引き分けで、試合後、長州は動けず、鶴田は飲みに出かけたとのこと。このため、「鶴田のほうが上だった」という評価になっているようですが、何かの記事で鶴田選手のインタビューが載っていました。
たしか、「徹底的に長州を動きまわらせる頭脳作戦だった。このため、長州は著しく体力を消耗した。」というような内容でしたが、あの試合はそういう感じの試合でしたか?【ベストアンサー】(略)…60分フルタイムドローに持ち込み、ゴングが鳴ると両腕を突き上げて勝利をアピール、更にコーナーポストに上がって大きく両腕を突き上げるポーズを取り余裕を見せます。一方の長州は誰が見ても明らかにスタミナ切れで余力がありませんでした。
これこそジャイアント馬場が鶴田に伝授した王道プロレスなのです。試合前馬場は鶴田に『自分から動くな。常にリング中央で構えて長州を動かすんだ。それだけでどちらが格上なのかがわかる。もし時間切れになりそうになったら最後に攻めていろ。最後に攻めていた方が勝者なんだ』とアドバイスしています。鶴田も後のインタビューで『あれは僕の作戦勝ちでしょう』と言い、長州は逆に『深い・・・奥が深いよ鶴田は』と言っています。(後略)
馬場はしばしば、回想録で「リングの真ん中に立っているのが格上、その周りをぐるぐる回るのが格下」という、アウトボクサーの立場が無いような(笑)王道プロレス論を展開しています。
長州の「ハイスパット・レスリング」とは、昭和の時代は「スピード感あふれる、動き回る新しいプロレス」と言われてたが、21世紀の今は「綿密に見せ場の展開を打ち合わせた新しいプロレス」のことだとされる(笑)。
だが…やはり政治が絡み、おいそれと格も決められなかったであろうこの試合。
たぶんだが、坂口征二がアンドレvsハンセンのケツ決めを「正直俺の手に余る。当事者の2人に決めてもらうしかない!」となったように…ブロードウェイ(引き分け)はきまっても、詳細は未定だったんじゃないのかな?
もし、そこで、「途中展開は決まってない…それを利用して『格上』アピールをぞんぶんにしてやれ…例えば俺の教えたとおり……フフフッ。」とジャイアント馬場が、愛弟子ジャンボ鶴田に耳打ちしていたとしたら…もちろん、その主導権は鶴田のポテンシャル、潜在的な力がないと握れないものだけど…
幻想がまし増してきませんか?