ひとつ上のエントリから続けて。もう一度猪瀬直樹都知事2013,05,02会見のyoutubeを貼っておきます
ところで。
ネット上にはこんな動画がある。
この動画面白いよ!!!
これはこんな発言と、それへの抗議を受けて、記者会見で質問された。
◆小沢氏「キリスト教は独善的」 仏教は称賛 11月10日 北海道新聞
民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団に宗教観を披露した。この中で小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。国政に影響力を持つ与党の実力者による批判発言だけに、波紋を広げる可能性がある。
2009.11.16 産経ニュース
民主党の小沢一郎幹事長が高野山・金剛峰寺(和歌山県)を訪ねた際、キリスト教について「排他的で独善的な宗教だ」と述べたことについて、日本キリスト教連合会(山北宣久委員長)は16日までに、発言撤回を求める抗議文を小沢氏に送った。抗議文は「小沢氏の発言は一面的で、それこそ『排他的』で『独善的』だ。責任政党幹事長の言葉として、その見識を深く疑う」としている。
16日の記者会見で小沢氏は自らの発言の真意について「私は宗教論と文明論を言った」と前置きしたうえで、「死ねば皆、煩悩がなくなるから仏様だ。みんなが神様になれる宗教が他にあるか? 基本的な考え方が違うということを僕は言っている」と説明した。
実は猪瀬会見でも「知事は、IOCの誘致ルール(他都市との比較気kんし)に違反しているから発言を不適切としているのか?内容自体が不適切だと考えているのか?」と問われている。
実はけっこうここは問題で・・・というのは宗教は、教義的に「我らの教えこそがまこと」と見なすものであり、「神はただひとつ(よそのはにせもの)」という見解が最重要教義なものもある。
それは宗教において「見なしの自由」がある以上、否定できるかというと難しい。さらにいえばその宗教の教義、同宗教が影響した歴史、人物、社会について「評価・批評」もまた当然なしえる。
※宗教における「見なしの自由」というのは当方の造語です。
下の文章などをご覧ください。
【基調論文】
■宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3
ただし、その評価や批評もまた評価されるし、、またさらにいうと「わたしの宗教的信念としてXX教がまことの教えであり、XXXの教えは【批判的内容】だと思う」と発言したら、その発言自体は”見なしの自由”にしたがって直接的に不適当とは言われなくても、他の人たちの”感情を害する”ことは予想がつく。
そういう点で、内容の議論の前にIOCルールに違反、というところで話が済む猪瀬知事は、意外とラッキーだったのかもしれない。小沢一郎氏の文明論は果たして。
室町時代の末期、牡丹花肖柏という連歌師の一首で、
「わが仏、隣の宝、聟舅(むこしゅうと)、天下の軍(いくさ)、人のよしあし」
これは要するに、人の集まるところで決して口に出してはいけない話題を並べたもので、茶席における厳しい約束ごと・・・
(※しかしまた、上の話を「語るな!」も、ひとつの抑圧になり得る)