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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

漫画や小説のドラマ・映画化のドタバタは、フィルター越しに見るとおもしろい、のだが…。

コラムも上手い漫画家、で五本の指に入るとり・みきは、日経ビジネス・オンラインの執筆者の一人だった。かなり前から彼のtwitterアカウントもフォローし、日経BPのメルマガも届いているのに、なぜいままで気づかなかったのだろう・・・
とり・みきのトリイカ!」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130109/242016/
その最新コラム。

■青春の怒りとカネ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130227/244297/

これの元となるのは…たくさんソースが今はあるなあ…
「テルマエ・ロマエ 原作 100万円」での検索結果です。

http://togetter.com/li/462006
http://togetter.com/li/462557

を例示しておく。
原作料はおいくらが適当なのか。「大ヒットはそもそも結果論。大ゴケしたかもしれないんだから」「それで宣伝され、単行本の売り上げが上昇することも考えてくれ」などの言い分がいろいろあるかもしれないが、それでも映画化が決まった時点でさまざまな賞も受けていたのだし、いかにも100マンエンは安すぎる気がする。

しかし、それも大事だが表題とはうらはらに「カネが問題ではない」のである。
とり・みき氏も80年代に自分の作品がドラマ化されたが、それについてこう製作過程を回想する。

ショックだったのは、ドラマ化が決まっていく過程でのさまざまな出来事だった。

 編集側はあきらかに舞い上がっていた。
 基本的に「ドラマ化おめでとう。これで単行本も売れるね。ついに君もメジャーだね」という空気が、編集側からも局側からも同調圧力としてビンビン伝わってくる。ドラマ化に反対するような要素はすべて悪と見なされるような、そんな雰囲気だ。

 色んな交渉ごとでも、編集側が作家よりもまず局側に気を遣っているのがわかる。こちらは「えっこの人たちはこっちの味方なんじゃなかったの」という不信感が増していく。

…まだ世の中の仕組みもよくわからないうちから、寝るヒマもなく原稿を描かされ、編集との契約条項に疑問を感じても「○○先生も××先生も、全部これでやっているんだから」といわれては、なかなか改変の動議など提出できるものではない。

 そうでなくとも、マンガ家は本当は作品のことだけを考えていたい生き物なのだ。わずらわしい金銭面や権利関係の交渉は、エージェント的な立場の人にまかせたい。しかし新人ではまず、その予算がままならない。というか作家が「この件は弁護士にまかせたいのですが」というと、十中八九、編集部は困った顔をする。ひどいときには激怒する。もっと下手をすると干される・・・

まあ、そうだろうなあ。
夢枕獏氏の「仰天和歌」の文壇編だったかな。
「うるせえな 税金計算できるなら 小説家なんてやってねえよ」みたいな歌があったと記憶している。そういう作品を作る才能と、金を払う側とのさまざまな交渉ごとをする才能はやっぱり別の才能であって…
…やはりそうなると、昔は、いや今でも「不思議な職業だなー」「世界に何人いるんだろうなー」「ちゃんとご飯食べられるのかなー」と不思議であった"代理人"という職業・・・漫画家だとマネージャーというほうが一般的か、そういう人がしっかり交渉を担当、作家の意思を言葉にして、要求にしていくのが作家にとってはいいんだろうね。
もちろんこの「いい」は逆に出版社にとっては脅威であろうから、困った顔や激怒、そして「干す」となるのだろう。

だから、今回の話題はスポーツ界と文系で分野は違うが、世界を動かす敏腕代理人となっているシュウ・ヒラタ氏や川崎浩市氏らだったらどんな感想を持つかなー?、と思ったりする…。



ただ、こういう存在を排除しようというのにも…UFCも「代理人抜きでやろうぜ!」とよく言うから、普遍的なものもあるだろうけど……日本の出版社の特殊事情も存在する。

…出版社側の人間(編集者)が、そのマンガ家の代理人的な役割をも負う、というひじょうにいびつな構造になっている。マンガ家と同志的な関係を結び、編集会議や、対外的な折衝においてはマンガ家側に立ち、マンガ家に対しては出版社の人間の代表として接する、というようなダブルスタンダード
 これは文芸の作家と編集の関係がそのまま引き継がれたもので、そうした愛憎うずめくこじれた恋愛のような関係性の中で、過去に多くのすぐれたマンガ作品が生まれてきたことも事実だ・・・

すくなくとも「ブラックジャック創作秘話」や「まんが道」「編集王」はこの風土を題材にして生まれたことは間違いないやね。
この伝統を変えるか、捨てるか・・・・これもまた、それぞれの経験や体験で安否が分かれるだろう。

フィクション的な消化をされるといつも笑える

島本和彦の「吼えろペン」(正確には「新吼えろペン」のほうかな?)、その前段階の「燃えよペン」では、両作とも自分の経験を基にした「自作がアニメ化されるとき」「自作が映画化されるとき」が戯画化して描かれている。セリフの改変や場面の改変、主題歌の製作・・・などなどに関する軋轢や葛藤が、この作者一流のねじれておおげさな表現で描かれている。

新吼えろペン 1 (サンデーGXコミックス)

新吼えろペン 1 (サンデーGXコミックス)

燃えよペン おれが、元祖炎尾燃だっ!! (My First Big SPECIAL)

燃えよペン おれが、元祖炎尾燃だっ!! (My First Big SPECIAL)

これは仮定の話だが、「僕の小規模な生活」がアニメ化されたら、その製作過程の裏話も同時進行で描かれるのだろうか(笑)。

ドラマの際の「大人の事情で変更」をテーマにしたといえば、東野圭吾のミステリー解体ミステリーこと「名探偵の掟」。
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20130115

名探偵の掟 (講談社文庫)

名探偵の掟 (講談社文庫)

本格推理小説クリシェを笑いに変えていますが、2時間ドラマをテーマにした「『花のOL湯けむり温泉殺人事件』論」という短篇もあります。

「小説原作をドラマ化した世界」という設定の、この2時間ドラマ篇では、主人公の天下一大五郎は女子大生に変えられ、相棒の大河原警部との恋愛もストーリーに組み込まれます。その設定の中、天下一は配役表を見ただけで犯人を当てるのですが、ストーリー上ではそれに気づかないフリをして推理していきます。トリックや人間関係は単純化され、動機も深いものだったのが差別問題を扱っていたため単なる愛情のもつれに変更された、などなど登場人物がそれぞれ不満を述べて、最後は逃げようとした犯人が車にひかれるはずが、自動車メーカーがスポンサーだったため・・・

もっとあった気がするが、思い出せないな。「こち亀」のワンエピソードとかにあった気もするが・・・