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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

お寺に座禅を組みにいった、トルコ人(※ムスリム)の話。(毎日新聞「発信箱」)

http://mainichi.jp/opinion/news/20121030k0000m070101000c.html

発信箱:私の神サマ=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2012年10月29日 23時59分
 
 「なぜ、あなたは神様がいなくて平気なの?」と聞かれるたび返答に詰まる。米国で出会ったキリスト教徒の黒人女性は「神様がいるから私たちは希望を捨てずに生きられたのよ」と語り、イスラム教徒のトルコ人の友達は「人間の存在の意味は神様がいなきゃ説明できないと思わない?」と不思議がる。

 先日、このトルコ人の友達に誘われ、神奈川・横須賀にある独園寺(どくおんじ)の座禅会に参加した。「座禅中、自分の信じる神を思い浮かべていいですか」と尋ねる彼女に、副住職の藤尾聡允(そういん)さんは「あなたの信じる神を思っていいのです。座禅自体は宗教行為ではないですから」と答えた。ならば無宗教の私でも大丈夫ね、と何だか安心…(略)
 驚いた。頭の中に音楽があふれ出したから。それも合唱団で練習中のラテン語の宗教曲が。臨済宗の寺で、イスラム教徒の隣で、イエス・キリストをたたえる音楽に心を委ね、座禅を組む無宗教の私って?

 無節操なのかおおらかなのか、キリスト教徒でもないのに、ラテン語の宗教曲をこれほど合唱で好んで歌う国は日本くらいではないか。特定の信仰は持たない、という人が仏壇と神棚の両方を大切に守り、巨樹の前で自然と手を合わせたりする。キリスト教徒が多数派の米国では、異なる信仰を尊重する建前もあって宗教色を帯びた行為にはむしろ慎重だった。「メリークリスマス」のあいさつすら「ハッピーホリデーズ」と言い換えたっけ、と思い出す。

 外国人向けに英語で座禅会を開く藤尾さんの寺では、信仰の異なる者が並んで座禅を組み、語らうのが日常の光景だ。(略)

【参考】
■宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3
■神社とイスラーム
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120517/p4
ああ、この記事では特に、これに類似した話に触れていたな。

・・・私が聴いたのはキリスト教徒のほうだけど「私は仏教を否定しません。仏教は”極めて学ぶ点の多い哲学”であり、釈迦は”偉大な哲学者”ですから」と言ってました。これが仏教への冒涜か、ひとつの「見なしの自由」かは分からないですが、「ふたつの宗教を信じることができないなら、片方は宗教扱いしなきゃいいじゃない」(神道非宗教論なんてのもありましたね、逆に高めるような形ですが)ということで”瞑想法として”座禅を取り入れる教会があったりもします。
これは「外野からはいっけん、一神教が相容れない”他宗教”を受容してる奇妙な振る舞いのように見えるが、当人にはいろいろな理路がある」一例として提示・・・(略)

■宗教における「見なしの自由」とはこれです。→西原理恵子毎日かあさん」より
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120726/p5
ラマダン、女性の髪、スポーツ参加、同性婚…宗教間、或いは同一宗教間の違いについて
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120811/p3