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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

これに違和感あるでしょ? 『?』でしょ?…それが「宗教における見なしの自由」ですよ。

異教徒の「アラー」使用は禁止、控訴審で逆転判決 「ヘラルド」は上告の意向

2013年10月15日 06:47 JST配信
http://www.malaysia-navi.jp/news/?mode=d&i=2483
プトラジャヤ=マレーシアBIZナビ】 一神教の「神」を表す語として非イスラム教徒が「アラー」を使用することが認められるかどうかが争われていた裁判の2審判決が14日にあり、控訴裁判所は「アラー」使用を認めた高裁判決を破棄し、使用を禁じる逆転判決を下した。信教の自由に抵触する可能性もあり非イスラム側の反発が予想される。

神を表す言葉は、マレー語ではアラビア語源の「アラー」が相当する。このためカトリック教会機関誌の「ヘラルド」が刊行雑誌の中で「アラー」の表現を用いたが、内務省が2009年1月に不法だと認定し使用を禁止…
(略)
無闇に「アラー」の語を非イスラム教徒が使用すれば、コミュニティに混乱をおよぼす懸念があると断じ……弁護団は、東マレーシアにおいてはマレー語を話すキリスト教徒に何世紀もわたり「アラー」という言葉が使用されており、イスラム教徒の専有物ではないと主張、……(略)信教の自由を謳った連邦憲法に違反するとの声が上がっている。

ザビエルが日本に来て布教するとき、デウス(エホバ、ヤハウェ)を最初は「大日」と訳したけど、いろいろ紆余曲折の末にいまの「神」になったという話は有名でしょう。よく考えたら、キリスト教のいう万物を作りたもうて、そのあとに人間社会にひとりごイエスを使わされたあの人が「K・A・M・I」でいいかというと、いろいろ検討の余地があるわけです。
「愛」か「御大切」かとかもありますね。

だから、一般的な日本の感覚では「キリスト教徒が訳語として『アッラー』を使ってはならない」というのはたぶんへんてこな話として受け止めると思う。


【基調論文】
■宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3

関連
■宗教における「見なしの自由」とはこれです。→西原理恵子毎日かあさん」より
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120726/p5
■神社とイスラーム
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120517/p4
■お寺に座禅を組みにいった、トルコ人(※ムスリム)の話。(毎日新聞「発信箱」)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121102/p5
ラマダン、女性の髪、スポーツ参加、同性婚…宗教間、或いは同一宗教間の違いについて
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120811/p3
■十字軍を率いたルイ9世は”聖王”、カソリックの正式な「聖者」でもある件。(〜宗教における見なしの自由)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130816/p2

「見なしの自由」はこのブログ内の一種の副タグ的な効果を期待しており、この言葉で当ブログ内を検索してもらえれば、どういうことなのか、どういう事例を考えるのに使えるかは分かりやすいのだが…自分で検索してみても関連記事が多すぎる(笑)。そこはまあ、苦労してくれ。
イメージキャラ。

付記

「見なしの自由」理解に役立つ非常に適切な一例であるので、2013年のこの記事にTBを張らせていただく。

靖国神社という霊言機関
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20131024/1382626838