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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

上杉隆の「情景」部分が疑われると、出世作「官邸崩壊」も要再検証?/「この書に異議あり」総合サイト私案

上杉隆氏と町山智浩氏の討論も終わり、特にその後は個人的にもあまり興味がなく、平穏な状態に戻ると思いきや、こういう問題が出てきた。
 
上杉隆夕刊フジで捏造記事か?!
http://togetter.com/li/276770
タイトルはややかげきだが……そこから経由で、リンク

【訂正】3月13日発行の夕刊フジ上杉隆氏「原発崩壊」の連載記事(2回目)で、ウォールストリート・ジャーナル記者の発言はありませんでした。削除しました。

どういうことやら。
翻訳(耳で聞いたときの)の間違いなのか、このテーマで話したことがあったのかどうか。経歴うんぬんや、安倍事務所は文春宛の抗議のみだったのか、というのとは次元が異なってくる部分がある。

たとえば・・・である。

官邸崩壊 (幻冬舎文庫)

官邸崩壊 (幻冬舎文庫)

これがかなり読み応えのある、面白い(ドラマチックな)描写に富んだ本であることは間違いない。
ただ、表現の仕方として、いわゆるニュージャーナリズムの手法を取っているわけですよね。つまり「AはBだったと、Cが証言している」「Aの書いたメモには、Bという記述がある。それによると・・・」という書き方をばっさりと「Aは、Bだった」と断定するスタイル。
「・・・と聞きました」ではなく、「だった」と断定する書き方。

それに対しての批判があったと、彼は書いている。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0908/05/news004_2.html
上杉 『官邸崩壊』を出したとき、周囲の人からは「小説みたいだ」と言われたんです。官邸内部のことを書くのだから、コメント部分をカギカッコで書いてしまうと、誰が言ったのか分かってしまう。だからカギカッコをはずして、わざと小説タッチで書いた。そうすると「この書き方だと、賞は取れないよ」と言われた。だけど繰り返すが、僕は賞を取るためではなく、読者にとって面白い書き方を選んだだけのこと。

この動画でも、28分ぐらいのところで「情報源を隠すための『  』(コメント欄)外し」だと話しているね
http://ijonateidan.seesaa.net/article/174169161.html

でも、言われているほどこの手法は一般的でないのだろうか?
といえば、ボブ・ウッドワードハルバースタム、らはみんなこういう書き方でしたよね。
大宅壮一賞受賞作の一覧をみても
http://www.bunshun.co.jp/award/ohya/list1.htm
個人的に一番印象に残る「テロルの決算」はそうだったはずだし。
そういう断定口調で場面、情景を再現するノンフィクションでは、他に手嶋龍一氏の「1991年日本の敗北」が印象に残っているな。

最近の朝日新聞「プロメテウスの罠」もそうだし、読売新聞政治部のノンフィクションもそうだった。


ただ、これに対して批判的な意見(本多勝一氏がそうだったと思う)のいうことも分かるんで「そうであったと、どこで担保されるの?」と。
冗長ながらも「『・・・・でした』と、Aは、あの時のBについて振り返った。」「Aによると、あの時のBは・・・だった。」と書くような形式のノンフィクションがあるのは「内容を疑う?違う??なら、Aに聞いてみてよ」と言えるからだ。もちろん、情報源の秘匿によって発言者、ニュースソースは隠さねばならないというのもある。
ただ、これは基本的にそうなんだけど「ニュースソースは秘匿するが…Aという情報がある」というのは、究極的にはその情報を発表する媒体、発表者の信頼性に頼るしかないところがある。
そして、上に挙げた「断定調」の表現を使っているニュージャーナリズムのノンフィクションは、そこに負うところがさらに大きくなっている。
だから、今回のように
「WSJの記者の発言はありませんでした」
みたいなレベルで問題が出ると、「官邸崩壊に書かれている描写って、そもそも事実なの??」という部分から疑われるのも仕方なくなるんですわ。


とはいえ、安倍政権時代に出版されて、話題になったあとも目だった訴訟や抗議がない、という部分で逆算してある程度の信頼性を得た、ともいえる。変かもしれないが、結局はそういう点でしか、記録の信頼性って検証されない。だからこそ、たいへんなのだ。

私案 「このノンフィクションに異議あり!」サイト

・基本的には新聞でも評論でも解説書でもいいんだけど、規模を広げちゃたいへんなので長く残るノンフィクションに特化する
・「この本に書いてある、この部分は違うよ」というのを投稿で募る。
・その時「私は目撃者・体験者として、この部分は違うと言えます」と「一般的な事実としてここが違います「別の資料を見ると・・・と書いています」というのをコーナー別にわける。
・「いや正しい」という再反論・論争ができることを前提とする。書き手のブログやアカウントなど。
・「自分はこのノンフィクション書に異議があります。詳細はこのブログで」とURLを紹介するようなものも可能


これは書評サイトのまとめ(自動検索によるピックアップかな?)だけど、投稿形式での一覧化というか。
http://b-bookshelf.com/

すでに、今はノンフィクション書に対して異議があればtwitterでもブログでも出来るけど、それをどこかに「集中させる、そんな場」を設定できないか、ということ。そのサイトを一段価値の高いもの、知名度の高いものにする工夫が必要だろうし、悪意のデタラメ認定などをどう排除するかも問題だけど。
そういうサイトがあれば、そこを見ることで広く分かるようになるし、また長く残るノンフィクション書に対して、そこも残していければ歴史としても対抗できるかなあ、と思う。