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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

自称他称…ついでに市場の正義学(ダナとデイナ)

ダナ・ホワイト
デイナ・ホワイト
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120224/p1
の後半に紹介した話題で、そこでもさらに紹介したがそのちょっと前に、偶然ながらグルジアジョージア)国に関連して

■国名変更の正義学
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120220/p5

というのを書いていた。これ以上は特に付け加えるようなこともないんだけど、ダナとデイナでその後いくつか補足情報やら関連情報、思い出したことがあったので書いておこう。

上のリンクにある通り、もともとは記者会見で本人が「デイナ」を希望したという話から始まったのだが、その会見でこの質問をした人(橋本宗洋氏)が、メルマガでそのへんの経緯を書いている。

2月23日、都内ホテルで『UFC144』さいたまスーパーアリーナ大会の記者会見が・・・(略) ・・・僕も聞いてみたわけですよ。主だった質問が出たあとで手を上げて、……やっとマイクが回ってきて……。
「あのう、ホワイト社長は日本だと表記が“ダナ”の場合と“デイナ”の場合がありまして。微妙なとこですけど、ご本人としてはどっちがお好みですか?」
 いや、やっぱり本人がいるんだから聞いときたいじゃないですか。ツイッターでもたまに話題になるし。でもまあ、こっちとしては「本人としてはどんなもんだろ」くらいの感じである。日本における間違いを正そうとか、そんな気は全然なかった。答えとしても「べつにどっちでもいいよ」かなんか言われて会場「(笑)」みたいなことを予想してたんである。 
そしたら本人、「ダナだと女の子っぽいのでデイナで頼むよ」とキッパリ。というわけで、この記事でもここからはデイナと書くことにする。他の媒体でも、よっぽど「ウチはもう前からダナで決まってるんで」と言われでもしない限りはデイナでいこうと思う。とはいえ、こういうのは慣習だからいっぺんに変わるってもんでもないだろう。それはそれでいい。
 
(20120224 格闘秘宝館メルマガVol.43 大襲来号(Part2)より)

もともとは、「息抜き・なごみ質問」のつもりで「どっちでもいいよ」的な答えを予測した上での質問だったという。それはそれでありそうな展開だが、そこで意外な答えが返ってきたと。


これについては、記者会見の数日前に書いていたというのも本当に偶然っちゃ偶然だが、上記「国名変更の正義学」で書いていたことで足りると思う。

…今回のグルジアのように、漢字なりアルファベットなりを「こう読んで発音します」は、相手から「こう読んで欲しいですネ」と提案を受けるのはありがたいし、ひとつの基準となるから歓迎する話だが、最終決定権は当方(読み手)にある。

そして実際、「相手の提案を受け」「それがひとつの基準となる」という点では、あの質問とその答えは上に書いたように、確実に聞いた意味があったと言えましょう。
さて。

あとは「市場」にまかせりゃいい

んで、どうなるかというと、あとは雑誌やメディア、あるいはブログやtwitterで書いている個人らが好きに書いていればいいのでしょう。もちろん当方も、最初にデイナ・ホワイトやらネイト・マーコートやらが出たときは「変なこだわりだな。以前からメディアに露出しているんだからその表記をそのまま受けいれりゃいいのに」と思ったが、だからダメということではない。あとは淡々と、そういう表記は放置して、自然と定まるのを待てばいいし、定まらなくても「この二表記は、表記は違うけど同一人物なんだ」という共通認識ができればそれで何の問題が。はてなキーワードをふたつ作らなきゃいけないのがめんどいぐらいか(笑)。
 
ついでに言うと、その選手や関係者を先行して取り上げていた雑誌、または初来日したときの団体のプレスリリースなどがそのまま通じていくことが多いかもしれないが、それはわざわざ違う表記にする人が結果的に少ないという「ザイン」の世界なんじゃないか? おそらくそれは「倫理的にそれに従うべきであり、それが正義に沿っている」という「ゾルレン」の世界ではないだろうね。もしくは既得権益のたぐいか(なんの権益があるかしらんが)
そういや、自分はかつて山宮恵一郎とひきわけたデニス・ケインがその後PRIDE武士道で活躍する多国籍サイボーグ、デニス・カーンであることにいつ気付いたのかな。

だからそれぞれが「自分はこの表記が気に入らない」として、落合ばりに”なんと言われようがオレ流さ”で表記していきゃあいいのです(雑誌内部での表記統一などは当然あろう)。そして、それは徐々に「神の見えざる手」(市場)が整理していく。
はてなキーワードは以前デイナ・ホワイトダナ・ホワイトに飛ぶようにリダイレクト機能があったと思うが、最近それが外された。
もちろん、文中に相互に飛ぶリンクがある。それで十分である。あとは自由に、どちらの表記でも皆が彼について語り、盛り上げていけばいい。違う表記のままでも「この二人は同一人物ですね」というのが常識になることもあろう。

宇野薫さんはなぜ「Caol UNO」なのか

それは本人がそういう表記希望したからです。UFCに、第1回目の参戦をしていたころだったな。途中から。十分、メディアに露出してから。慣習が出来てから。別に「薫」の実際の発音が「Kaoru」より「Caol」に近いということもないと思う。パスポート・ネームと同じかどうかとかは分からない。
 
もちろん、最初にこう発表したとき、アルファベットを母国の正式な表記法としている国のメディアは
「なんでCaolという表記なんだ。われわれが日本人の名前を表記する一般原則と外れているぞ」
「日本語は開音節語で、撥音などを除いては原則として全音節を母音で終えると聞いているのだが」
「合理的な説明がない」
「『こう読んで欲しいですネ』と提案を受けるのはありがたいし、ひとつの基準となるから歓迎する話だが、最終決定権は当方(読み手)にある」
「なにがCaolだい、ええ。お前さんの顔はCaolって顔じゃありませんよ。どっちかってえと,カエルって感じの顔だよ」(※ここだけ、十代目金原亭馬生の口調で読んでください) 

・・・と宇野の自称をガン無視し、Kaoruという表記を続けても良かったわけ。だがまあ、「自分でそういってるんだから」、とめでたくあちらでも
http://en.wikipedia.org/wiki/Caol_Uno
http://www.sherdog.com/fighter/Caol-Uno-283
で通じている。そういうものなんだろう。
その一方、シャードッグリオン武士を
http://www.sherdog.com/fighter/Takeshi-Inoue-7718
と表記していて面白い。「宇野に勝った井上ってだれだ?」と一瞬思っちゃったよ。 まあ、リングネームが変わるたんびにデータベースを変えるとたいへんだ…と思ったのかね。どすこい。らずまぜ。


ちなみに自称を尊重するといえば、
”ハンサム”・ハーリー・レイスというのがいる。
いしかわじゅんの「プロレス大好き!」では「ハンサムレスラーランキング」3位で、「本人がそう言っているから」が理由だった。

漢字の各国での読み方について。

「国名変更の正義学」エントリで

と、相撲の大ファンで力士をリスペクトしつつ、読みは自然に中国語で覚えている人と、金大中=「きんだいちゅう」、金正日=「きんしょうじつ」と呼ぶことを「帝国主義あるいは植民地主義的意識」と結び付ける人を紹介した。


呉智英は、1988年に単行本が出た「バカにつける薬」の中でこう書いている

最近、朝鮮人支那人の姓名の表記を、朝鮮音や支那音でしようという傾向が広まっています。例えば全斗煥を「チョン・ドファン」とするように。このことは、「ゼン・トカン」を差別(?)の名目で排除するのでないかぎり、歓迎していいことでしょう

バカにつける薬 (双葉文庫)

バカにつける薬 (双葉文庫)

ちなみにここでは、映像作家の白南準を「ナム・ジュン・パイク」「N・J・パイク」と表記していることに関して「朝日ジャーナル」に質問。同誌は「ご本人が是認する表記に従った」と回答している。


この少し前に、その全斗煥が大統領として来日、その際に公式の表記(発音)があちらの読みをそのままやるようになったという。
こういうことにこだわりそうな呉智英ですら・・・いやこだわるからこそ「という表記もあっていい。しかし差別だといって『こう表記しなければいけない』ではない。」という、そこを念押ししている。
(ダナorデイナも「〜と呼ばなければいけない」という主張をする論者は無いようなので、それはめでたい限りである。)
だから逆に、「危険な思想家」のオウム論の時、姜尚中氏のことを論評した文章では、もうメディアでふつうに「かんさんじゅん」と呼ばれるから、逆に「きょうしょうちゅう」とルビを振って読者にそう読ませている(笑)。

危険な思想家 (双葉文庫)

危険な思想家 (双葉文庫)

彼らの意見を聞いてみよう。
一人は姜尚中(※「きょうしょうちゅう」のルビつき)である。彼は「噂の真相」(1995.6)でカール・シュミットの『政治神学』に言及しつつ、次のように述べる…(後略)

たぶん「姜尚中をきょうしょうちゅうと読んでも差別にはならない」ということを敢えて誇示する為にやったんだな。実際、単行本、文庫と版を重ねてもここへの抗議は目につかない。

小乗仏教」「上座部仏教

呉智英は最新刊

つぎはぎ仏教入門

つぎはぎ仏教入門

でも「小乗仏教」という言葉について(それを本の中で使うかについて)論じていて、これが「自称・他称の正義学」的にも非常に興味深いのだが、例によってどこに本があるのか分からない(笑)
ただこれは、それだけで1エントリを作るのに足りるから後に回しておきましょうかね。
ただし、教学的に呉智英の「大乗・小乗理解はおかしい、突飛に見えてステレオタイプだ」という批判がhttp://d.hatena.ne.jp/ajita/20110727/p1 に出ている。

再紹介「蒙古と呼ばないで」

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110302/p4
昨年の記事。



とまあ、過去のさまざまな蓄積の上に、今の問題を語ってみました。
きのうきょう「表記」や「自称・他称」の問題について考えたり書き始めたおあにいさんとは、おあにいさんのできがちがうんでえ。
まあ「こんなことをながながと考えない人間こそ、まっとうな生き方をしているのではないか?」と言われればその通りなんだがね(笑)