http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110911/p2
からの続き。
自分が、自分をシャーロッキアンでございと一応臆面もなく自称できるのは、曲がりなりにも「論文」を書いているからだ。実際、シャーロック・ホームズ協会(だったかな?とにかくどっかの権威ある組織)は入会に論文執筆は必須だ。論文か二次創作(昔はパステッシュと言ったが)を、みなも書いてほしいものだ。
以下の文章は
==シャーロク・ホームズ 「最後の事件」の真相に関する一考察==
http://www20.tok2.com/home/gryphon/JAPANESE/BOOK-SELECTION/sherlock.htm
として自分のサイトにUPしてきたが、ブログのほうが何やかんやと使い勝手が良く、また検索などで人の目に触れることも多いと思うので、この機会にここに転載する。ちなみにリンク先では「ホームズ役のジェレミー・ブレット氏の訃報を聞いた」という記述があるから1995年に執筆したらしい。
ただ、長いよ(笑)
■シャーロク・ホームズ 「最後の事件」の真相に関する一考察
理解を深めるため、お手元に「シャーロック=ホームズの回想(思い出)」がある人は、そこの最終話「最後の事件」を再読されるか、適宜ご参照いただきたい。
この事件----正確にいえば、ワトソン博士のこの事件に関する記録には、これまでも様々な矛盾、錯誤、疑問点が指摘され、「最後の事件」問題として、多くの研究者を悩ませる一つのジャンルを形成している。内容を念の為に再現すると、
◆モリアーティ教授は、ホームズの捜査が身辺に及んできたことに気付き、脅迫の為彼の下宿を訪れるが失敗。その後ホームズは刺客から命を狙われ続ける。
◆モリアーティ一味から逃れるため、ホームズは彼らの摘発準備を整えるとあとはロンドン警視庁にまかせてワトソンと共にスイスへ脱出する。
◆スイスに逃げた二人だが、ある滝でワトソンは偽手紙に騙されてホームズと別れる。
◆罠に気付いたワトソンが滝に戻ると、ホームズの置き手紙があった。
◆そこには、今目の前にモリアーティ博士がいる、この後一騎討ちをすると書いてあった。
◆滝へ向かった彼らの足跡は、2人が谷底へもみ合って落ちたことを示していた。
その後復活第1作「空き家の冒険」(「シャーロックホームズの帰還」参照)でかれ自身が語った話によれば、「身につけていた柔道で間一髪、モリアーティを投げ捨てたが、モリアーティの残党の目をくらまして反撃するちょうど良い機会なので、足跡を残さず隠れて脱出し、世界を旅した」とのことである。しかし、どう考えても彼の話は矛盾に満ちている。
考えても見るがいい。モリアーティ教授は年老いたやせっぽちの数学教授、俗にいう「ペンより重いものを持たない」人種だ。その肖像画や「爬虫類を思わせる」「頭の重さを持て余しているような」といった表現からも、彼ががっちりした壮年のホームズと、堂々と名乗りを挙げて武器も使わず一騎討ちをすると思うだろうか?彼が非常に名誉と騎士道精神にあふれた男ならありえなくもないが、(ホームズによれば)その数日前に刺客を差し向けたり、下宿に放火をさせたりしているのである。
しかも(これもホームズ「空き家の冒険」に拠れば)この時、狙撃の名手「虎狩りモラン」が銃を手に物陰に潜んでいたではないか。ズドンと一発、それで全ては終わりである。「犯罪界のナポレオン」がなぜレスラー宜しく、素手で取っ組み合わねばならないのか理解に苦しむ。
ホームズの行動も不可解極まりない。置き手紙によれば、ワトソンを呼び戻す手紙は偽物と気付いていたそうだが、それならば「ほう急患か、それは大変だね。僕も一緒に行くよ。」といえば逃げられるし、あるいは積極的に「ワトソン君、これはあの教授の罠さ。帰るふりをして至急警察に連絡してくれ給え」とすれば、見事に返り討ちである。そんなことに気付かなかったのはなぜか?
まあ、これは虚栄心の強いホームズが、教授の罠にまんまとかかったことを認めたくない為の強がりと思えば合点がいく。しかし、運よく柔道(彼は「バリツ」と呼んでいる)で教授を谷に落としてからのホームズの行動はさらに不可解さを増すばかりなのである。彼が姿をくらませたのは、「モリアーティの残党からの攻撃をさける為」だというが、そもそもそういう小物の逃亡を避けるため教授の逮捕をぎりぎりまで伸ばしたのではなかったか。仮にスコットランドヤードが極めつけの無能で、残党狩りに失敗したとしても、それならその逮捕と公判維持の為になおさらホームズが必要となるではないか。
いや、そんな事を一々言いたてずとも子供でもわかる矛盾がある。すなわち、ホームズが自分を滝に落ちたままに見せ掛けるため必死で足跡のつかない断崖を登っているとき、前述した「虎狩りモラン」がホームズめがけ岩を落としているのだ。つまりこの時点で、残党はホームズの生存を知っていたことになり、それからのホームズの努力はすべて無駄という事になるではないか!
以上の点からみて、「最後の事件」で述べられてきた事は全て事実でないという事が出来よう。
では何故、そのような隠蔽工作がなされたのか?ここに我々は、巨大な陰謀の影を見ることになる。
真相についての仮説
一部の研究者の間に、ホームズの麻薬中毒が生み出した妄想としてこの事件を位置づける論考があるが、(「シャーロック・ホームズの素敵な冒険」Nicraus Mayer、)我々はこの意見は採用し難い。様々な史料から、モリアーティ教授を中心とする犯罪組織の実在は疑いを入れないからである。
まず、真相の手がかりはシャーロックの兄、マイクロフト・ホームズを洗うことから始まる。
彼は「最後の事件」でも、スイスに出発するワトソンが駅へ向かうときのった辻馬車の御者としてひそかに登場している。シャーロックは、信頼出来る人間に任せたかった為としているが、いかにも不自然の感はまぬがれまい。そもそもマイクロフトは推理力こそ弟を上回るものの、体を動かすことが大嫌いで捜査・聞き込み・逮捕等の実務が苦手なのが欠点だとホームズ自身が言っておるではないか(「ギリシャ語通訳」参照)。確かに裏切られる心配は無いもしれないが、むしろこの場合心配なのは(前日シャーロック自身が体験したように)教授の手下による直接的な暴力である。
その時に日本武道やフェンシングの経験者たるシャーロックならともかく、ワトソンと肥満ぎみのマイクロフトが対抗し得るとは思えない。もともとモリアーティ逮捕は警察との連携作業なのだから、レストレードにでも頼めばいいし、もしそれが不可能だったとしてもマイクロフト直属の部下にだれ一人信頼できる護衛がいなかった筈が無い。
つまり、ここでマイクロフトが絡むのは他の深い理由があると考えるのが妥当であろう。
マイクロフト=ホームズが政府の中で重要かつ非公式な役職についている事は「ブルース・パーティントン設計書」事件の時に明らかとなった事実であるが、この地位が実は現在でも世界有数の情報機関である「MI6」の長官職である事は、土屋朋之氏の論文や、鴨下信一氏その他の考察 (「オール読物」1994年11月号)により、ほぼ明らかである。(蛇足ながら、TBSのドラマディレクターでもある鴨下氏の「毎日がドラマ感覚」「忘れられた名文達」という本は一読の価値あり)
このMI6は数年前まで、その高名にもかかわらず英政府は存在を公式に認めていなかった事も、マイクロフトの役職がワトソンの記述だと少々あいまいな理由であろう。筆者は年代から推理して、エジプトの陸軍大臣・アラービー=パシャの反乱鎮圧(1882)や、スーダンで救世主を自称する男が起こした反乱への対処,、或いはヨーロッパに秘密裏に出来つつあった社会主義者のネットワーク「第一インターナショナル」の分裂などに彼が関わっていたのでは無いか?という疑いを捨て切れない。
というのは、これらの事件で功績を立てたと考えるのが、彼の年齢と地位とのバランスを考えると合理的だからである。そしてさらに想像を逞しくすれば、直接的な捜査の苦手なマイクロフトの手足として諜報活動の実務に当たっていたのが、弟のシャーロックであり、この時代の経験によって、ホームズは探偵の技術を更に学んでいったのではないだろうか。
(ちなみに、ホームズとマルクスは、共に大英博物館の図書室の常連として顔見知りであった事も数人の研究者により立証されている。社会主義者を監視するのはこの時代の諜報・警察の常識だったから、何らかの関係があってもおかしくはない)
こうして兄弟はお互い、兄は極めて優秀なエージェントを在野にもち、弟は諜報機関の重要人物と強いコネクションをもつという、相互に極めて有益な関係を成立させていたのだろう。
現在においても私立探偵に必要な資質は、個人の能力よりは公的機関とのコネであり、また警察のほうも、裏世界の情報を知りうる人物を何人持つかで捜査力がきまるという。若き二人の活躍は、無論第一義的には彼らの能力によるが、その背景にはこのようなことがあったと思われる。
さて、モリアーティ逮捕とそのヨーロッパ中に広まった犯罪組織の壊滅という、国際的にも重要な問題にマイクロフトが関わっていないはずが無かろう。彼とこの事件の関わりが,単に馬車の運転だけのはずがないのである。ただ,それが摘発の協力であったと考えるのは早計といえる。
きわめて率直に言って,マイクロフトはモリアーティ教授の逮捕に反対し,妨害さえしたのではないかと思われるのだ。これは別に珍しいことではない。国家機関の中で,対外情報組織と国内治安維持組織の利益が相反し,対立するのはむしろ常識といって良い。そして,犯罪組織が諜報・謀略において極めて役に立つ存在で,そのため庇護またはすくなくとも一部黙認されるのも普遍的な現象である。古くは江戸時代,やくざが十手をあずかる岡っ引きを兼ねていたことや,第二次世界大戦で連合軍がイタリアを攻撃する時、シチリア島上陸作戦に,この島出身の有名な「シシリアン・マフィア」が協力をした例がある。
(余談だが,この時マフィアが連合軍に協力したのは,ムソリーニが徹底したマフィア壊滅政策をとっていたからである。ムッソリーニはナチスや日本と同盟を結んだため同列に見られがちだが,真面目な改革者の一面もあり,簡単には評価出来ない。)
また,映画「JFK」でも示唆されていたように,現代においてもマフィアと情報機関の癒着はありうる現象なのである。ましてや時代は帝国主義最盛期であり,大英帝国は海外全ての国民に情報収集の義務を負わせていたような時代なのである。
(それが現在の大英博物館の膨大なコレクションや,文化人類学の幕開けに繋がったことは荒保宏らの著作に詳しい。)
欧州大陸全体に網の目のように張り巡らされたネットワークは十分に諜報当局者の食指をそそるものであったろう。教授の犯罪に目をつむっても構わないと思わせるほど・・・・
ただ,その陰謀にホームズ弟が最初から関与していたとは思えない。彼は「恐怖の谷」事件から教授の犯罪を追及する姿勢を見せていたし(1888年),ワトソンを巻き込んだりその後数年姿を消す理由も導き出せない。つまり,捜査の後半段階で,情勢が急変したと考えるのが適当ではないだろうか。
つまり,まとめるとこうだ。ある時期まで確かにシャーロック・ホームズはモリアーティ逮捕のためにヤードを始めとする当局と連携し,組織を追いつめていた。教授もそれに当初は抵抗していたが,その無駄を悟ると,独自のチャンネルを使って英国政府上層部に極秘に取り引きを持ちかける。それがおそらく英情報部への協力である,またはワトソンもほのめかしているような、政府のスキャンダル(「政治家と灯台と訓練された鵜の事件」(J・トムソン「S・ホームズの秘密ファイル」収録)の事か?)での取り引きかもしれない。
ただおそらく、警察当局者の面子保持の為にも,イギリス国内の組織だけは当初の方針通り壊滅される事には同意したのは間違いないであろう。いわば部下を売ったのであり,「空き家の冒険」でのモラン大佐の逮捕劇にはこの辺が絡んでいるのではないか。
(であるからモリアーティ組織の末端には伝わらず、様々な妨害があったのである。)
そしてこの結論がまもなくシャーロックのほうにマイクロフトから伝えられる。つまり「モリアーティは逃がせ」との結論である。しかし弟の方は無論喜んで従ったわけではないであろう。おそらくはかなり大きな葛藤が有り、この問題と直接関係ない友人と共にスイスに旅行するという行動は、これに対する無言の抵抗なのかもしれない。
この事件において、ワトソンは所謂「善意の第三者」であり、「最後の事件」「空き家の冒険」中のワトソンの目から見た描写は、基本的に事実であると見ていいだろう。ホームズからの伝聞や、推測の部分が誤り(虚偽)だという事である。であるから、ワトソンが偽手紙に騙されて、返ってきた時にはホームズがいなくなっていたというのは間違いないであろう。無論ここでモリアーティ教授と取っ組み合いをしたのではなく、情報部からの連絡を受けて地下潜行を開始したのであろう。
(この潜行期間中のホームズの行動については諸説があり過ぎて真相は不明である。スーダン潜入説、チベット探検及び雪男調査説(B・グールド)、日本訪問説(「ホック氏の異境の冒険」加納一朗)、「ロストワールド」探検説などがある。)
またひょっとしたら、英国政府に自由を認められた教授とここで面会し、何らかの協定を結んだのかもしれないが。
しかし、「犯罪界のナポレオン」を自由にし、またホームズを地下に潜らせてまで大英帝国がマークせねばならない国はどこであろうか、この答えは簡単である。プロイセン--大ドイツ帝国。
「最後の事件」の前年、プロイセンにあっては30年以上ヨーロッパ外交を牛耳ってきた、「鉄血宰相」ビスマルクが政治上の対立から辞任し、かれの現状維持的な制作にあきたらない皇帝ヴィルヘルム二世の積極的な領土拡張策が始まろうとしていた。あの第一次世界大戦は彼の治世に開始される。推理・観察力において弟以上のマイクロフトが、この皇帝の危険さに気がつかない筈がない。
英国の世界覇権を脅かすのはドイツであると考え、仮想敵国として情報網の整備をする必要に迫られたのであろう。(また犯罪組織の場合、容易にテロ組織にも変更しうる)ホームズが公の場に復帰してからも対ドイツ諜報に関わる仕事は続き、その延長として「ブルース=パーティントン設計書事件」(「S・ホームズの帰還」収録)、そして「最後の挨拶」事件(「S・ホームズ最後の挨拶」収録)へと繋がるのである。
名目上は死亡した、その後のモリアーティ教授の行方については歴史は沈黙している。ただ、永遠に彼が大英帝国に忠誠を誓ったとは考えにくい。そしてまた、歴史は次の事実を伝えている。
第一次大戦後、敗戦国としてどん底の状態のドイツが、なぜかロケット・ミサイル開発で圧倒的に世界をリードし、ナチスの元であの「V2号」が完成する。普通なら全くありえないことである。よほどの数学の天才がいない限り・・・
そして、敗戦後これも不思議な膨張によって政権をとったナチス党のNO,2であるルドルフ=へスが戦争中、単独でイギリスに侵入し、極秘に和平交渉をしようとして逮捕される。いまだに近代史のミステリーとなっている事件だが、英政府と何か裏のチャンネルがあったのだろうか?……そして、逮捕する側の人物に、あるいはかつての名探偵がいなかったのだろうか?今となってはそれも永遠の謎となるしかないようである。