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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

南の島の「石のお金」は動かなくても、A酋長の所有からB酋長に変わったりする。ある意味電子マネー的(「事務屋稼業」ブログ)

いや、今「酋長」という用語がアレなのは承知の上で。
アレがアレな人は「部族長」とでも読み変えて。進めます。
  
http://d.hatena.ne.jp/JD-1976/20110622/p1
での、『ポスト・マネタリズムの金融政策』という本の紹介から展開して、ヤッブ島の話を紹介しているのだが。

一見すると、石貨はいかにも不便そうであり、文化人類学的にはともかく、経済学的には、こぼれ話以上には議論する価値のないものと感じられるかもしれないが、必ずしもそうではない。上記のように、石貨は、取引の決済に際して物理的に移動させることは稀で、所有権のみが移転する、とされる。つまり、取引の際に使われるのは、物理的な媒体ではなく、権利という情報だけである。その意味では、むしろ、銀行券のような伝統的な貨幣よりは電子マネーに近い。ヤップ島型の石貨経済は、タバコ経済よりも、その意味で、はるかに現代的である・・・

おもしろいねえ。以前、オバQの「貝殻でお金ごっこをしよう」という回が、貨幣経済の本質をざっくりと子供向けに教えるにはすばらしい教材だ、という話をしました

オバQ愛蔵版「貝殻でお金ごっこ」の話が、経済学の初級寓話として素晴らしい件
 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100207/p3 

けど、それにも似た感じが。
「石のお金」ってはじめ人間ギャートルズ、とかで実際の石貨がどんなものかという話とは別のギャグとして扱われているから、逆に本物がどういうんか分からないけど、あの漫画のように実際に持ち運ばなくてもいいんだねえ・・・。
とすると
「わがロンゴロンゴ一族は代々の名家だったが、あのワッホ・ボガンポンの戦いらい落ちぶれてのう…ミシミシ島の石貨はあの成り上がりのウンバホのものとなってしもうた」
とか
「昔は俺の家も、肩に刺青を入れられない貧しさだったが…裸一貫椰子の木栽培でのし上がり、今やドンガン島の石貨の8割は俺のものよ」
みたいな経済ドラマが渦巻いているのでしょうか。
そこで「愛も石貨で買える」とか言ってた風雲児が、既存酋長の怒りを買ってウィッチ・ドクターから2年7カ月の呪いを掛けられるとか。
いや、余談に入った。
元の元になった報告がこちらで読めるんだが、
http://yap.ecoclub.org/showart.php?lang=ja&genre=13&aid=224
これ、どこかで聞いたことあるな?

1898年、ドイツ政府がカロリン諸島をスペインから買収し、領有権を引き継いだとき、このような小道や通りの多くは荒れ果てていた。そこで、修繕するよう幾つかの地区に通達が出された。珊瑚礁のブロックで簡単に舗装しただけの道とはいえ、裸足の島民にも満足できる出来栄えだった。だが、繰り返し通達が出されても、修繕は一向に進まなかった。そこで通達に従わない首領の地域には、罰金を科すことになった。では、どのようにして罰金を徴収するか──試案の末、ある名案が浮かんだ。通達を無視した地域の村や町に役人を送ると、価値のありそうなフェイに黒いペンキでX印を付けさせ、政府所有であることを明示したのである。この方法は、まるで嘘のようにすぐ効き目を表した。貧困に陥り、悲観した島民は心を入れ替え、さっそく修繕に取りかかった。この効果てきめんの方法は他の島でも適用された。おかげで、今の島民は公園を駆け回ることが大好きである。そこで政府は役人を急いで村々に遣わすと、今度はフェイに書かれたX印を消してまわった。さあ急げ、罰金が戻ってきたぞ!自分たちの資本ストックが戻ってきた島民たちは喜んだ。以前の豊かな生活が戻ってきたのだ

報告書の著者は続ける。

・・・読者の率直な意見は、わたしと同じであろう。「馬鹿げた話だ。人間というのは、こうも非論理的なのか」。しかし、罪のないヤップの島民を手厳しく非難する前に、アメリカのある出来事を熟考してみようではないか。(略)。 1931年から1933年にかけて、フランス中央銀行はある懸念を抱いていた。金1オンス20ドル67セントという従来の価格では、アメリカが金本位制を堅持しないのではないか、という不安である。そこでフランス中央銀行アメリカで保有しているドル資産と金の交換・・・(略)太平洋を横断する金の搬送を避けるために、金をアメリカのニューヨーク連銀に開設してあるフランス中央銀行名義の口座に移管して欲しいと依頼した。この求めに応じた連邦準備銀行は金貯蔵庫に係員をやると、しかるべき数の金塊を別の棚に移し、フランス所有というラベルなり封印なりを貼った。(略)この結果、「金、減少!」という文字が経済新聞の見出しを飾り、アメリカの通貨制度を脅かす事態などと騒がれた。アメリカの金準備量が減り、フランスの金準備量が増えると、為替市場はドル安、フラン高に動いた。アメリカからフランスへの金の、いわゆる「流出」は、結果的に見れば、1933年の金融恐慌を引き起こした要因の1つで・・・

「南の島」に仮託して社会機構を戯画的に単純化し、風刺にするというのは何度も使われた手段で、あまりに上の話も面白いのでちょっと疑う(笑)。でもこれが事実かどうかもどうでもいいっちゃいいんだが…。

で、思い出したのが
だれの作品なのかなあ…俺が知っているんだから星新一か、筒井康隆か、小松左京か。
ある「売国奴」の告白で、実はその男は、国どころか地球を丸ごと、すでに宇宙人に売却したのだという。
ただ、その宇宙人は全く文化的に洗練の極みにあるため、地球を「所有」しても、それを外から愛でるだけ。知らない間に所有権が変わっていても、地球にはまったく変化がない・・・という話をね。
 
なんでこんな話を思い出したかというと、直接的には上記リンクのゆえだが、一つにはちょっとこの前「へうげもの」の初期の巻を読み直し、古田織部千利休にかぶとを脱いで弟子になるシーンが印象に残ったから。
その時は、織部が武士にあるまじき我欲を発揮して我が物にした名器の茶碗を利休が「どうしても自分のものにしたいのです」とねだり、織部は「この人は芸術家としても自分の上だし、しかも俗物としても自分以上じゃないか!」となるのですね。そこまでして「自分のもの」にしたいという欲望。

・・・そして今、自分の部屋にブックオフで購入した中古本が、袋詰めでブロックのような状態のままごろごろしている光景を見てね、なぜ「自分のもの」にしたいという欲望はこうも肥大するんだろう?とね(笑)。いや本は読めばいいんだけどさ。じゃあ読んだら捨ててるか?といえば捨ててないし。