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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「1993年の女子プロレス」遂に発売開始。熱い!そして厚い!(笑)

あっ、アマゾンの書籍紹介が異様に充実してら。紹介。

1993年の女子プロレス

1993年の女子プロレス

出版社/著者からの内容紹介
1993年4月2日、全日本女子プロレスJWP、LLPW、FMWの4団体が横浜アリーナに集結した。それは、史上初めてのオールスター戦であり、空前の女子プロブームの幕が開けた瞬間だった。

かつて松永一族が専制君主のごとく君臨し、人間関係の軋みがそのままリングに反映される全女という閉鎖空間では、レスラーたちによる過酷な生存競争が続いていた。日々、リングで繰り広げられる押さえ込みという名のシュートマッチ。周りを蹴落とさなければ、自分が脱落していく恐怖をつねに背中に感じていた。「シュートと言っても勝敗だけのシュートではなく、すべてが勝ち残り、生き残り戦」(長与千種)という環境の中で、選手は骨が折れてもそれを隠してリングに上がり続けた。

社会現象にまでなったクラッシュ・ギャルズが引退し、女子プロレス界が迎えた冬の時代。それを打ち破ったのは、ヒールのトップに立つブル中野だった。観客の心を掴む天才・長与千種の手によりクラッシュブームは生まれた。デビル雅美が「男子も含め、100年に一人の天才レスラー」と評した長与の天性の表現力に対抗するため、ブル中野は過激で激しいプロレスに活路を見出すようになる。ヒールでありながら、完璧なジャーマンスープレックスを繰り出す技術。100キロを超える巨体で殴り、蹴り、そして飛ぶ迫力。アジャ・コングとの2年にもおよぶ抗争の中で、かつて女子中高生が黄色い歓声を上げていた観客席は、マニアックな男のプロレスファンが大半を占めるようになっていた。

1990年11月14日、横浜文化体育館ブル中野は、金網の最上段に立ち、顔の前で手を合わせて拝んだ。「背骨が突き抜けて死ぬかもしれないけど、まあいいや」。そう思った次の瞬間、ブルは4メートル下のリングに横たわる宿敵・アジャ・コング目がけて飛んだ。この夜、ブル中野は「ブル様」として、また伝説のダイビング・ギロチンを受けたアジャは「アジャ様」として特別な敬意を払われるレスラーへとなった。

1993年に、なぜ女子プロレスは一大ブームを迎え、またわずか数年でその求心力を失ってしまったのか。そして、いまにいたる女子プロレスの凋落はなぜ起きたのか。ヒールとして赤いベルトを巻いた女帝・ブル中野の過激な改革と、それを支持したファンたちの過激な熱狂。死をも恐れぬ表現者13人が語る、狂った季節の四角いリングの証言----。

単行本(ソフトカバー): 476ページ
出版社: 双葉社 (2011/6/15) ISBN-10: 4575303267  ISBN-13: 978-4575303261 発売日: 2011/6/15

というかねえ、手元にあるんだけど
476ページ
は、ものごっついよ(笑)。
「はじめに」より引用。

93年4月2日、全日本女子プロレスJWPLLPWFMWの4団体が集結した団体対抗戦が横浜アリーナで開催されました。(略)全試合が終了したのはなんと夜中の12時でした。終電に乗れなかった観客たちは、居酒屋やカラオケバーで試合の興奮を熱く語りつつ夜明けを待つか、自転車を盗むか、綱島街道を何時間も歩いて都内に入りました。
1993年の女子プロレスは、熱く狂った季節を迎えていたのです−−。

この年、自民党が分裂し、最初の政権交代。細川連立内閣が誕生する。
冷夏で米が異常不作。海外からの輸入に踏み切る。
皇太子、雅子妃殿下ご成婚。逸見政孝氏さん逝去。曙横綱昇進。
「負けないで」このまま君だけを奪い去りたい」「ロード」などがヒット。