外国人のアーチストとかが、日本公演のときはちゃんと勉強して「ニポンのミナサン、コニチワー」とか「ゲンキデスカー!」とかやるでしょ。
それと同じように、ほとんど格闘技のことを書かないのに格闘技ブログと言い張る(あ、俺も同じか)id:caitsethの孺子(こぞう)と同じレベルにまで降りて、下々の言葉でコミュニケーションを図ったら
http://d.hatena.ne.jp/caitseth/20110516/p1
とか文句をいいやがった。
まあ「うわべだけしったか」とはその通りで、タイトルに挙げた作品「魔法少女まどか☆マギカ」は何チャンネルでやっていたのかも当時は知らんかったです。
しかし、これぐらい話題を呼んだ作品となると、否応無く
http://d.hatena.ne.jp/ (※の「人気記事」)
と
http://togetter.com/
が盛り上がるのですね。で、最終回を過ぎたころから、自分も気になってそういうところを行ってみました。そしてウィキペディア。
ウィキペディアの「魔法少女まどか☆マギカ」
これみんな、報酬も受けずに誰かが文章書いて、まとめたんだよねえ・・・・・・。
やっぱりえらいよ。ネット以前は、1シリーズ終わったドラマやアニメのストーリーや設定を追うのに、どれだけの手間やお金が掛かっただろうか。
ま、ただ俺のように
「ウィキペディアでストーリーを読んだらそれなりに満足」してしまい、あまつさえ感想を書き始めてしまう人も出てくるからウィキペディアやtogetterの充実もよしあしだ(笑)
さて、そんなわけで本篇をみないままに情報を収集したシロートの感想。
「魔法使いものの『ガンダム』」なのかしら?
以下、断らない限りウィキぺの記述から。
本作は題名に魔法少女を冠してはいるが、いわゆる魔法少女ものと言うよりも魔法少女をモチーフにしたダーク・ファンタジーとしての作風が色濃い
んで、最初に盛り上がったのは主人公の仲間が戦死し、しかも
メインキャラクターのむごたらしい死というショッキングな展開
直後の戦闘で「お菓子の魔女」に隙を突かれ、まどかとさやかの眼前で凄惨な最期を遂げる。
他のブログから情報を補足すると、首がちょんぎれるような非常に刺激の強い描写だったとか。
あたくしもそういうのを読んで「へえ、夢と希望の魔法使いの話を逆手にとって、あえてハードな描写をしたわけね。そりゃ反響を呼ぶだろうな(プラスもマイナスも)。深夜に放送したわけだ。つうかこどもが寝てる深夜に魔法使いものをやろうって発想自体がコロンブスの卵だよなあ」と、いまさらながらの反応を。
で・・・ここから正直に書くと、まさにコロンブスの卵を見た平凡人と同じ感想を持ってしまったのですね。
「ほんわかした雰囲気がお約束の『魔法使いもの』のジャンルで、残酷描写をしたり。リアルな(緻密な)SF的設定を持ち込めば、『ガンダム』と同じで、そりゃ評判になるに決まっているよね。ほかの人は思いつかなかったのかな」
いやー、シロートの無遠慮な感想とはいえ、製作者に対し失礼にもほどがあろう。この数秒後にはさすがにロジカルな反論が自分の中から来ました。
「思いつくのは何人もいるだろうが、実際に具体的な企画を立てて、実際に制作・放送に漕ぎ着けたのは彼らしかいないんだよ!」
「ヤマトもガンダムも、本放送は短縮打ち切りなんだぜ! リアルなSF設定や残酷描写を持ち込めば人気が取れるなんて保証は無いよ!」
「それ以外にもいろいろクオリティが高かったから成功したんだ(と、思うよ!見て無いからわかんないけど!)」
まあ、その自分反論は正しいと思う。
ただね、ちょっと法則性を見い出すとします。
・あるエンターテインメントの「ジャンル」がある。
・そのジャンルは、長年の慣習で出来た強固な「お約束」がある。
・そのお約束は、確かに観客を楽しませるための合理性、存在理由があった。
・しかしある時、「反逆児」たちが現れる。
・彼らはお約束の打破の一環として、現実的なあれこれを描写する「リアリズム」と、或いは「深遠なテーマ・哲学」、もしくは虚構でもそれを緻密に説明する「設定」を導入する。
・多くはお約束の強さの前に玉砕するが、一握りの作品は、その反逆が大成功となり、ジャンルを新たな時代に導く
いわく、ヤマト。いわく、ガンダム。いわく、パトレイバー。いわく、エヴァンゲリオン。いわく、UWF。いわく、平成ガメラ・・・。
ほかにも黒澤映画とか、いろいろあると思うが略す。
自分はウィキペディアとその他の評論を読んで、そういうような流れだと感じたのですがどうでしょうかね。(他の魔法使いものに、既にそういう精密な設定とかが入っているならば失礼。比較できないもんで)
ここでモーニング連載「デラシネマ」を紹介するっす。
すでにこのブログでは一度紹介したよね。
この漫画の状況設定が、自分が勝手に「まどか」も仲間に含めた「エンターテインメントの『お約束」に反逆して新時代を作ろう!」というパターン、それ自体を描いているのですよ。
昭和28年。黄金時代の日本映画界で底辺からてっぺんを目指す2人の男がいた。日映撮影所に所属する大部屋俳優の宮藤武晴と助監督の風間俊一郎。撮影所の伝統と慣習に阻まれながらも、2人は「作り物」ではない「リアル」な映画づくりを目指す!
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わたしが一度「デラシネマ」を紹介したのは、UWFや全女のプロレス中に含まれるガチンコ性、というような話の中ででした。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110402/p1
日本映画が全盛期のころが舞台なのだが、主人公の一人、大部屋俳優は、まるで舞踊のような、華麗なだけでリアリティの無い殺陣に不満で、本当の斬り合いのような殺陣(つまりガチンコ・・・というかUWF風)を仕掛けようとするが、大物俳優からその用心棒のような中堅俳優まで、よってたかってそのハネっかえりのガチ志向を押さえ込もうとする。
だが・・・ある時その大物俳優の戦前の映画を彼は見る。
そして驚く。
その大物俳優は、まったくヒットせず無名のまま消えたその作品で、主人公を遥かに上回るリアル志向の殺陣をとっくにやり切っていたのだ(どーん)!!!
まどか☆マギカとデラシネマは直接にはまったく接点が無い作品だが(笑)「まどか」の”作り手”のほうにフォーカスを当てて「この作品を作るときはこんな苦労をしたのかなあ・・」的に考えると、一気に重なって見えるというね。
ちなみに「デラシネマ」のもっと本格的なレビューは
「深町秋生のベテラン日記」
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20110511
からリンクの張ってある
http://www.sakuranbo.co.jp/livres/cs/2011/05/post-23.html
にて読める。
まだ話は始まったばかりだが、胸がわくわくするほどおもしろい。今から断言してしまうが、大注目の作品になるはずだ。なによりも、その内容が今の時代とマッチする。
「人類家畜もの」でもあったんだって?
ウィキペディアには描写がないから、こっちじゃなくて誰かのブログかtogetterで見たのかなあ・・・
今回の作品の特徴として、魔法使いにはお約束のようにいるペット、マスコット的存在が、実は主人公たちのトモダチとかではなく、さめた目で見ている敵と味方の中間の存在、契約で彼女に見返りを与える半面で、何かのエネルギーを彼女から吸収している?ようなアレだったという。「笑うせェるすまん」だなつまり(笑)。
ちなみに自分は、このいき物の存在を
なんかへんな白い生物が「よっしゃあ漢唄」で踊り狂う動画
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110420/p2
で知った(笑)
でもこういう存在、デスノートの悪魔とか、ファウストと契約するメフィストフェレスとかけっこうお馴染みの存在なんじゃない?と思ったりもするのだが、たぶんやっぱり「魔法使いが連れているペットは親しい友人、忠臣、あるいはコメディリリーフ」というお約束を逆手に取った・・・んじゃないだろうか。とにかく類似作、先行作を知らないので手探りと表面イメージだけで進みます。
ですが!
そのエネルギーを吸い取るときに、このきゅうべえさんは「人間が牛や豚を食べるのと同じだよ。道徳的に我々を批判するな」的なことを言ったらしいのですね。今ネタ元を見つけられないけど。
これもお馴染みといえばお馴染みの話・・・というか、自分が子供のころ読んだSF入門書には「人類家畜もの」という、一ジャンルとして扱われていたんですよ!!
ここから先は、誰にも共感を呼ばない個人的な体験なんだが、自分が初期の初期・・・SFという言葉もたぶん知らないとき、少年マガジンで、飯森広一(「レース鳩0777」や「これから動物園」という作品が人気でした)という漫画家の読みきり
「豚とUFO」
というのがあったんですよ。これがまさに「人類は豚を飼って食べているけど、人類の上には実は上位種(の宇宙人?)がいて、人間は食用として飼われている存在にすぎなかった」という直球のストーリーだった。
いまだに覚えている、のだからその衝撃はやっぱり大きかったんだろうな。
検索してみたら、
http://kc.kodansha.co.jp/SEP/02065/special/history/history02.html
豚とUFO 飯森広一 1978/09/10(読み切り)
うん、夏に海水浴にいった民宿で読んだという記憶があるから9月10日号というのは間違いないな。
まあ、そんなわけで「人類家畜もの」というのは新鮮な、独創的なネタではないとはいえ、このオチを使われたときのインパクトというのは承知している。それに上述の通り「魔法使いものにこの思想を登場させる」という点では実に独創的であっただろう。
深夜アニメということで、多くはすれっからしのSFファンが見ていたと思うが、もしわずかにでもこの「人類家畜もの」のパターンを知らない人が見たら、ほんと衝撃的なんですよ、これ・・・
夏休みあたりに午前10時ぐらいに再放送をして、多くの子供たちにトラウマを植え付けてほしいですね(笑)。
そして当然こちらも。
ミノタウロスの皿: 藤子・F・不二雄[異色短編集] 1 (1) (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)
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この「人類家畜もの」については、今後狩猟や食肉について大きく論じる予定なので、そのときにも触れる事があると思います。
【追記】その後、このテーマを論じる人がいた。
■少女を家畜にしてきたインキュベーターと『ミノタウロスの皿』
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110831/1314832631
ダークファンタジーって、子供に見せるべきか?制限するべきか?
上で冗談のように
「夏休みあたりに午前10時ぐらいに再放送をして、多くの子供たちにトラウマを植え付けてほしい」
と書きましたが、実は記憶をたどると、最初にこの作品についての評論を読んだのは、はてなダイアリーのホットエントリに入っていたどなたかの記事で、
「非常にダークな感じのこの作品を、子供とかに見せていいのか」という疑問を呈した文章だった。(だれかご存知でしょうか?)
【補足】コメント欄より
「『魔まマ』を子供に見せる、見せない」は、togetterで読んだような気がします。
http://togetter.com/li/109471
※そのtogetterの一番上にリンクが張ってありました。たぶんこれ?
■本当に「大人が見るべき」と思うなら子供に見せるな
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20110308/1299585545精神発育の途上である子供には、あんまり複雑な人間の裏側まで見て欲しくない。まずは真正直に夢や希望を信じて欲しい。人のために何かすることはいいことだと思って欲しい。努力はちゃんと報われるんだと思っていて欲しい。
現実は違っててもだ。挫折や悔しさを味わうのは、それを受け止めるだけの強さを身につけてからでいい。
「魔法少女まどか☆マギカ」は、俺の見たところおそらく13〜15歳未満禁止くらいが妥当だと思う。子供たちには有害な作品であるとすら思う。
その時は、元ネタの作品自体を知ろうとも思わなかったしで、読んですぐに忘れたんだが、確かそのときに引っかかった(その文章への直接の批判ではない)・・・というか、頭の中で「このテーマをあとで考えよう」と思ったのは
「そういえば、直接の残酷描写とか性描写はともかく、人の欲望、嫉妬、エゴイズム、裏切り…などを描いた作品って、どういうふうに子供に読ませるべきなんだろう?」
自分にはやや無縁の問題設定なので、本当に当事者として言われたら「そりゃどんどん、気にせず読ませるべきっすよ」
と言えちゃうのだが、実際に子供がいる親御さん、それも漫画や小説作品を子供と共有して読むような親御さんだと、たとえばこの「まどか☆マドカ」を、都知事的な文脈とは別にして、或いはその首が飛ぶような残酷描写?は別にして、何歳ぐらいから見せたいとか思うのですかね。
最終的には救いや、主人公の美しい自己犠牲なんかもあるようですけど。
利己的に行動する他の魔法少女を嫌悪しつつも、本人もまた心のどこかで見返りを求めている部分があったことに気がつき、魔法少女の真実や戦う理由が揺らぐ等耐え難い現実に直面してしまう。その後、まどかや杏子の言葉にも耳を貸さず無謀な戦いを続けたために、急速にソウルジェムに穢れを溜め込み「人魚の魔女」に変貌し、杏子と相討ちになり消滅した。遺体は杏子が回収したために現世に残され、消滅後に杏子が宿泊していたホテルで発見され、世間的には家出した末の衰弱死として葬儀が行われた。
教会は人々で溢れかえり一時は幸せを得るも、それが魔法によるものであることを知った父は酒浸りになった末に錯乱し、杏子一人を残して一家(父・母・妹)もろとも心中を図る。自分の善意が家族を破滅させたという後悔から「魔法は人のためにならない」という信念を持つに至り、以後は「魔法は自分のためだけに使う」という信条で行動している
さやかが乗り合わせた電車の乗客。女性からいかに徹底的に金を搾り取るかを、嬉々として語りあっていた。魔法少女としての活動に心身ともに疲れていたさやかはこれを耳にして、「彼らを含めた世界」を守る意義を見失って絶望し、魔女化する。
なかなかにヘビーな・・・・・・。
ま、この程度のダークさに目がくらんでいたら、上述の「藤子・F・不二雄異色短編集」なんか読めねえよ!!とタンカを切るところなんだが、例えば私は結果的に中学2年生で藤子F先生の異色短編集を読むことができた。偶然なのだが、そのへんがちょうどいい頃合なのかねえ。
「まどか」を自分が藤子短編と一緒に並べたというのは、最高の敬意の証ですよ。
さて、CS放送などの機会があれば
見るかな?自分はどうも毎週とか毎日定期的にシリーズを見ていくのが苦手でね・・・いまだって何度も漫画は紹介した「鈴木先生」がドラマ化されているんだから見ればいいのに見てないしね。
まあCSでも放送されれば、と言いたいところですが、幸か不幸かDVDが大ヒットを記録しているようで、こういう人気があるものはたぶんCSでの再放送なんてのも遠のくんでしょうね。
2011年4月27日に発売されたBD第1巻の初週売り上げは5万3000枚と、初回版初期販売分で製品に欠陥があり、即日交換のアナウンスが行われるという事態にも関わらず、テレビアニメのブルーレイメディアのみの初週売上げとしては、これまでの最高だった『化物語』の5万1000枚を抜いて史上最高を記録した
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まあ、いずれ機会があれば。
熱心に見ていたファンの皆様には、見ないで論じて申し訳ありませんでした。だけど言い訳するなら、であるからこそたくさん発表されているこの作品の感想とは毛色が変わった一文になっているかもしれない、と思います。
補足。宇野常寛が評論しているみたいね。
「ゼロ年代の想像力」作者だから、そりゃ論じるか。ちょっと読んでみたくはある。
評論家の宇野常寛は、本作は魔法少女ものの総決算というよりゼロ年代の総決算といえる作品だと評価し、ゼロ年代までに日本のサブカルチャー領域で流行した諸要素が作中に効果的に散りばめられているとした。具体的には、精神科医の斎藤環が考察した「戦闘美少女」(魔法少女はその類型の1つ)の要素、主人公の周辺のきわめて狭い関係性が中間領域を差し挟むことなく世界の命運に直結するという意味での「セカイ系」の要素、宇野自身がセカイ系に後続する想像力として注目した「バトルロワイヤル系」の要素、擬似同性愛(百合)的なホモソーシャル空間(異性を排除した同性のみの空間)を描く「空気系」の要素、批評家の東浩紀がゲーム的リアリズムとして分析した「ループもの」の要素、といったものが本作品に盛り込まれているとしている
『「まどか☆マギカ」対「フラクタル」 ゼロ年代を経てつくられた2つのアニメ』 ニコニコニュース(2011年5月7日)、および「ニコ生PLANETS増刊号 徹底評論『魔法少女まどか☆マギカ』」での発言より。
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