塩野七生が「ローマ人の物語」を始めたときに、あまりにも壮大なスケールに、「そもそもこの作品を完結させることができるのか」が心配だったことも遠い昔の話だ。
しかし勤勉な刊行を続け、みごとに完結。ちなみに小生、全巻読破とはいかなかった(笑)。
んで、このシリーズを完結させれば、あとはこの周辺でちょっとしたエッセイを書いたり、講演や座談会や「ローマにまなぶビジネス必勝法」などでぬるーく稼ぐXXXX方式(自主規制)で余生は過ごせるだろうと思っていたのだが、なんと塩野は新シリーズをスタートさせたのである。これ、書店でいきなりシリーズを見て驚いたですよ。
いつか紹介しようと思っていたが、分量的にも充実している毎日新聞の書評欄で紹介されたので、そっちに任せようと思います。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20110508ddm015070030000c.html
今週の本棚:本村凌二・評 『十字軍物語 1・2』=塩野七生・著
(新潮社・各2625円)
◇諸侯の群像「聖なる戦い」に色めく
二十一世紀になったというのに、9・11の直後、ブッシュ大統領は思わず「十字軍」という言葉をもらした。今年になっても、欧米の空爆とともに、リビアのカダフィ大佐は「十字軍の来襲」と叫んでいる。 かくも彼らの頭にこびりつく「十字軍」とはいかなるものか。一神教になじまない日本人にとって、「聖なる戦い」はわかりにくい。大和朝廷の百済救援も豊臣政権の朝鮮出兵も、為政者の都合で遠征軍がかりだされたにすぎない。わずかに大東亜共栄圏をかかげて欧米列強に対抗した二十世紀の経験が似ているが、およそ聖戦などとよべるものではなかった。ところが、ヨーロッパの中世社会の事情は異なる。そこには三つの身分があり、「祈る人」「戦う人」「働く人」がいた。それらの人々がこぞって参戦したのだから、凡俗の徒には窺(うかが)い知れないものがある。『ローマ人の物語』でもはや国民的作家となった著者は、じつにいいタイミングで本書を出したと思う。しかも、圧巻の大著で地中海世界のインフラを描いておいたのだから、その中心に広まったキリスト教と辺境で生まれたイスラム教の対立という構図が生き生きとしてくる。
「汝の(なんじ)敵を愛せよ」というイエスの教えがあるにもかかわらず、なぜ異教徒殲滅(せんめつ)の聖戦が起こりうるのか・・・(略)
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/09/01
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- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
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以下、ふたつほど余談を。
塩野七生と山本七平、幻の対談
山本七平が亡くなった時、イタリアにいた彼女は、通夜や葬儀への出席の代わりに50本の蝋燭に火を点し追悼したという。
その時の回想で、塩野七生は、ある出版社からもちかけられたという対談企画について回想する。
「ローマのヘレニズムを代表して塩野さん、ユダヤのヘブライズムを代表して山本さん。この二人で対談しましょうよ」
塩野「とんでもない、学識が違いますからね。私がローマ通史を書きおろして、その後にXXX(失念したが十字軍、と言ってたかもしれない)を書いてからなら対抗できますが」
その後、山本没後に「ローマ人の物語」が始まった。
ただ、この「幻の対談企画」は二人の間で茶飲み話にはよく出てきたようで、対談場所はエルサレムとローマの中間を取って、コンスタンチノープルでやろう!!というふうに決まっていたらしい。
どの土地も、今回の「十字軍」に関しても大きな意味を持つ土地だ。
先行出版「絵で見る十字軍物語」と、フリードリヒ王の像について
十字軍物語と一緒に読むとイメージがわきやすいだろう、という配慮からか、別巻的に関係する宗教画や肖像画、彫像や土地土地の写真を集めた本が先行発売されている。
- 作者: 塩野七生
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この人は実に「戦後日本好み」のキャラクターで、何しろ十字軍が戦争をいくら仕掛けても奪回できず、当然キリスト教徒の巡礼も難しかったエルサレムを、イスラムとの交渉によって委譲を受け、巡礼もできるようにしたのである。そしてその宥和政策が教皇などから批判されたという。
詳しくは直接、そのエッセイを読んでください
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お馴染み
ウィキペディアの「フリードリヒ2世」もどうぞ(※同名の別王に注意)
教皇からは十字軍遠征を度々催促され、遅延を理由に破門される。(略)。フリードリヒ2世とイタリア支配権を争っていた教皇グレゴリウス9世は彼を反キリストと罵り、破門皇帝の軍を正式な十字軍とは認めなかった。
新皇帝となったフリードリヒ2世は聖地奪回を教皇に宣誓した。アイユーブ朝スルタンのアル・カーミルは使節をシチリア島の皇帝のもとに派遣した。使節はそこでキリスト教の教会に描かれたイスラーム教徒の像や、アラビア語の刺繍の入ったマントを着るフリードリヒ2世を見て驚愕する。報告を受けたアル・カーミルはフリードリヒ2世に書簡を送り、ここから2人の交友が始まった。2人は十字軍に関する話題を避け、お互いが共通に興味を抱く自然科学に関する話題をアラビア語で行ったという。しかし教皇からの執拗な聖地奪回の要請を拒みきれなかったフリードリヒ2世は、武力によってではなく、アル・カーミルとの交渉によって聖地を回復した。この交渉には5ヶ月近い日々が費やされ、最終的にお互いが大きく譲歩することで和解した。
で、この人の像とかの、同書での検索結果だが・・・
「フリードリヒ2世は、教皇に背いてイスラムと和平を結んだ裏切り者として、像の多くが壊されている」
として、ぼろぼろの彫像の写真が写されていた。
その歴史に、粛然とした。
ただ、そうでありつつも・・・・・・美しく保存された像ではなく、壊された像にこそ残る名誉も美しさもある。