- 作者: 安藤健二
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2011/01/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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安藤健二本はその「封印作品」シリーズで、自分の中では安心のブランドとなっており、タイトルにうたわれたテーマそれ自体は、自分の興味から本当はやや外れているものの、読んでみるといくつかの経路でそちらの方角にもつながっており、非常に面白かったです。
ただ、書きたいことはあちこちに飛ぶので、この紹介は断片的なものにします。
既に本格的な書評が「紙屋研究所」で発表されており、500以上のはてなブックマークもついているので役割分担という意味合いもあります。
というか、先にそっちを読んでもらって、それを前提にして書こうかな?
あと、2008年に「日本オタク大賞」で語られたこのトークも背景が分かり易いかも。まずこの二つに飛んで↓
■パチンコ業界を知らずに、08年格闘技界は読めない。あとその他もろもろの業界も
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080226/p2
■紙屋研究所
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20110115/1295017300
”取材過程盛り込み型ノンフィクション”の魅力
先行の書評があるのは幸か不幸か。安藤ルポを語るときに出てくる「ライブ感」については上の書評どおりですね。
…「謎解き」になっていて、「著者と一緒に謎解きをしていく」という感じが与えられるのだ。…取材を初めていくのだけども、アニメファンとパチンコ層はほとんど重なっていない事実をつきとめる……パチンコの素人である安藤が体験を重ねながら、そして常人がしていくような思考の軌跡をたどりながら、一歩一歩謎を解いて…読者はまさしく謎解きの旅に連れ出されるのだ…そして、「壁」にぶちあたる。
講談社の雑誌「月刊現代」休刊と同時に、ノンフィクションの受け皿として登場した「g2」なんかをみても、調べたことを第三者的な神の視点で書いていくタイプと、「作者の僕はAを調べるために、Bに取材を申し込んだ。ところがBは…」というように調べる自分と、その経緯が重要な意味を持つタイプがありますね。(後者のほうのみを「ルポ」と表記するようなところもある)
どっちが好みというか、効果的なのかは本当にケースバイケース…沢木耕太郎「テロルの決算」は9割9分を「神の視点」で描く典型的なニュージャーナリズムでありながら、エピローグにのみ非常に効果的に「取材の過程」と「取材者(沢木)」が登場し、実に文学的な効果を挙げていたものだった。
その後、沢木は「自分」が重要な登場人物になる「一瞬の夏」を書き、私小説ならぬ私ノンフィクションと自称したんだっけ。
- 作者: 講談社
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/12/04
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- 作者: 沢木耕太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/11/07
- メディア: 文庫
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- 作者: 沢木耕太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1984/05
- メディア: 文庫
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封印作品シリーズについてインタビューを受けたとき、本人が「本当にすごいタブーがいっぱいある」「社会問題以上に取材は困難」「ガードがきつい」と愚痴をこぼしていたのだ。その苦労はたぶん外野以上のものがあるだろうが、なんとなく分からないでもない。社会問題はやっぱりどこかで「行政」「公共」と関係し、一応民主主義体制のこの国では「国の情報は主権者たる国民のものであり、公開が原則」というのが建前だけでも存在するからね。しかし「パチンコとアニメの関係」となれば、当事者が口を閉ざせばなかなか突破するすべはない。そこを何とか乗り越えていくのが、この本のひとつの見所だ。
断るほうもなかなか大胆で、
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20110115
でも紹介されているが
今回も取材は難航し、ほとんどの台メーカーやアニメ製作会社から取材拒否を受けています。中でもGONZOの対応はすごくて、「掲載するならロイヤリティを発生させてほしい」と言ってきたといいますから…
と。これについては別の視点で、後述したい。
結局、なぜ「アニメだらけ」か?
まず前半のキモは、「アニメファンをパチンコに呼ぼうとか、知名度の高い作品で一般層にアピールしようというものではなかった」という、ミステリーで言えば最初の犯人候補が2番目に殺されて「こいつが犯人じゃなかったのか!すると誰なんだ…?」で盛り上がるところ(笑)
そして探し出した犯人は…(と、ルポで発表された事実や仮説は、当然読者として共有可能ではあるが、ミステリー・謎ときになぞらえるなら、結論やトリックを知りたくない、自分で読みたい、という人もいるかもしれない。そういう人はこのへんで離脱してもらったほうがいいかも。自己判断で)
・ヒットしたパチンコは、パチンコ本来の大当たりや確率変動にさまざまな工夫がされている。そっちで人気を博するという点のほうが重要。
・アニメパチンコのヒットの代表とされるエヴァンゲリオンも、実は確率変動で「暴走モード」(笑)という工夫や演出があったという点が大きい
・まったくマイナーだったといえる深夜特撮番組「牙狼」もパチンコでは大ヒットした。これもパチンコ側の工夫。
・だが、うまくその工夫と、映像や番組の世界観がマッチすると化ける。そういう点でやっぱりコンテンツは重要。
・なんでアニメ、特撮が多いか?(1)パチンコは結局「○」と「X」、すなわち勝った負けたを繰り返す。アニメや特撮はストーリー上、その勝ち負けの演出が豊富(2)身も蓋も無いが、肖像権の関係で俳優の顔が出る実写は権利処理が面倒。アニメや特撮(のキャラクター場面)は比較的簡単。
・お上が連チャンなどについて「射幸心をあおる」という建前で(ウラにCR機導入の思惑があった)規制をすると、パチンコは画一的で、しかも当たるまでは退屈なゲーム(笑)になった。それを演出でカバーする必要が生じた
などなど
ひとつ難点と思ったのは、こういうことには統計の裏付けは性質上なく、やはり匿名の「業界通」の分析に頼らざるを得ないこと。そういう点で、彼らの言うことがどこまで正しいかはクロスチェックするのがなかなか困難なので、ある程度本の結論も「仮説」だと考えたほうがいいかもしれない。
格闘技業界との関係は
そうそう、うちは思い出すと格闘技ブログの看板を出してたんで、そっちの話ね(笑)。
いやいや格闘技と言えばパチンコ、パチンコと言えば格闘技業界。アルゼ 三京 セガサミー、そしておなじみフィールズ様。
毎回毎回、スポンサーになってくれて。ありがとうをつたえたくて。
ただですね、水臭いじゃありませんかフィールズさん。
上にあるように「勝ち負けの演出がしやすいのがパチンコに採用する条件だ」とおっしゃるなら、忠臣DREAM、中心K-1が電話一本で参上しますのに。なに出場契約の中に「パチンコ化に関する権利は一切、主催者側にある…」と一筆を入れさせておけば、某芸能事務所が後ろ盾の選手以外はぜんぶOKですよ。
青木真也vs長島☆自演乙☆雄一郎なんて、素敵に確変モードにぴったりじゃござんせんか(笑)
まあ実際に、ちょっとずれますがWWEのパチンコ台はあったし、「アントニオ猪木」パチンコもヒットしたよね。「パチンコK-1」「パチンコハッスル」もたしか企画はどっかにあったと聞いたんだが…。
まあヒットするかどうかはね、不明ですのであまり大きいこた言えない。
パチンコ産業自体が絶賛縮小中。
95年がピークで、そこから店舗もファン数も右肩下がり。「貸玉料」も30兆円から21兆円に激減!したという。…まあ、これでも膨大といえば膨大だし、パチンコ機を製造するメーカーのほうまで大変だ、ということでもない。
なんでも、苦しくなればなるほど、新台入荷!に頼らざるを得ず、その新台は近年、宣伝費や版権料を上乗せすることで高騰していっているという。それが、映像コンテンツの製作者に一部流れて、多少なりとも潤っているようなのでそれはそれで結構なことであるが。
====ここから、さらにアトランダムにつぶやきます===
「ギャンブル規制」のそもそも論
上に紹介したように「警察や行政がパチンコに関しては出玉などに規制をしている。だから画一化されて、キャラで差別化するしか無くなった」という話…そもそも論で言えば「パチンコが実質、金を賭けるギャンブルになっているのが建前と乖離し、不自然なんだ」という議論も当然で、この本でもそれについては触れている。ただ、「規制による工夫の消滅」とか「そもそもギャンブルとは規制されるべきなのか?」については、できればそれこそ新自由主義者やリバタリアンなんかの参戦を促したいところだ、と思った。「のめりこんで全財産無くして首をくくる?それも選択の自由ではないか」「国が規制するのがおかしい」という極論もありえるわけで。
逆に「パチンコを政策的になくす方向へ行け」という論がある。
たばこを政策的に減らすのと同様である、という議論も。
「韓国はパチンコを消滅させた」ともいう。
- 作者: 若宮健
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2010/12/01
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パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれになった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃん車中置き去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を取材してきたが、2006年暮れ、たまたま旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に帰ってきて新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている識者も誰もいなかったことである。
日本では、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着して、抜き差しならない関係になっていることは、およそ薄々知られているが、それならなぜ、韓国ではそれが全廃できたのか、日本と韓国とでは、何が違って何が共通していたのか、ますます疑問を深めた著者は、再び韓国に渡り、事情を取材して歩いた。
本書は、そんな韓国のパチンコ事情の報告に加えて、日本におけるパチンコを取り巻く種々の問題点を取り上げ、パチンコ廃止の必要性を世に訴える。
あと、ごく少数派の意見であるけど、個人的にけっこう賛同している主張としては、ときどき浮上する「カジノ設置論」と連動したもの。
ギャンブルは公営カジノにやれる場所と権限を集中させたほうがいい。
そうすると
・行政が格段に管理しやすく、パチンコ業界と骨がらみの脱税・補足不可能なカネの流れは極端に減る
・闇社会とのつながり、治安悪化なども管理のしやすさで大幅に減。現にラスベガスは全米屈指の治安の良さだ。
・マカオやラスベガスに行く日本人を国内にとどめて、貴重な金銭の流出を防げる。逆に海外の金持ちから銭をまきあげることができる。
ふむなるほどけっこうづくめではないですか。
(この頃からそういうことを考えていた
↓
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061024/p2
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061101/p5
そのカジノが成田に出来るか東京お台場にできるか、大阪にできるか。それぞれ知事がアレですけど(笑)。それとも米軍基地と公共工事依存からの脱却やアジアの交差点を目指し沖縄にできるのか。
それは分からないけど、「アジア大競争時代」にハブ空港やハブ港湾を作らず、あっちこっちに港や空港を分散させたことで首位の座を守れなかった経緯を考えれば「そろそろパチンコにはお引取りを願い、ギャンブルの『集中と選択』をしていこう」という話が出てもおかしかない。
競馬、競輪、オートレース、競艇、サッカーくじに宝くじ…と各省庁が持ち合うギャンブル利権も、どこかで整理されていくのかね。
もうちょっと書きたいことはあったが、あとで別のエントリーにしますです。