http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/98-19asia2.html
アラービー・パシャ(1841〜1911)は、農民出身の軍人でエジプト人将校の間で祖国党を組織して「エジプト人のためのエジプト」運動を進めた。1881年には反乱を起こし翌年には陸軍大臣に就任して自由主義的な憲法を発布させた(アラービー=パシャの反乱、1881〜82)。
1875年にスエズ運河の株式を買収していたイギリスは、アラービー=パシャの反乱が起こると彼の辞職を要求し、単独でエジプトに出兵してアラービー=パシャの軍を破り、エジプトを軍事占領して事実上の保護下においた。
アラービー=パシャの反乱は、エジプト最初の民族革命であり、「エジプト人のためのエジプト」をスローガンとしたアラービー=パシャの運動はその後のエジプト民族主義運動の原点となった。
アラービー・パシャについてはまったく別の文脈で取り上げたかったが、チュニジアの「ジャスミン革命」を受けて、ムバラク体制が続いてきたエジプトが動揺しているとなれば、ひとまず紹介をしたほうがいいだろう。
(もう書いてるけど http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101222/p5 )
んで、中東ニュースのソースとしている「中東TODAY」。
ジャスミン革命の予兆をつかんでいたか、といえば正直そうでもなかったような気がするが、やはりいろいろ参考になる。
http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/
エジプトのムバラク体制の、意外なしたたかさも以前の記事では述べられていて一読の価値ありだ。
なお「コットン革命」は綿花栽培がさかんなエジプトにちなんで勝手に命名した。