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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

(11.1追記)靖国合祀取り消し訴訟、那覇地裁判決で過去エントリのプレイバック。

http://www.asahi.com/national/update/1026/SEB201010260010.html#

沖縄戦などで死亡した肉親が無断で靖国神社に合祀(ごうし)されたとして、沖縄県内の遺族が神社と国に合祀取りやめと慰謝料を求めた訴訟で、那覇地裁は26日、遺族の請求を退ける判決を言い渡した。平田直人裁判長は「遺族の信教の自由を妨害する具体的な行為があったとは認められない」とした。遺族は控訴する方針。
・・・(略)・・・
判決では、山口県護国神社への合祀をめぐり遺族が敗訴した1988年の自衛官合祀拒否訴訟の最高裁判決をふまえ、「他者の宗教的行為に不快な感情を持つとしても、法的救済を求めることができるとすれば相手の信教の自由を妨げる」と指摘。靖国神社の「信教の自由」に基づく合祀を尊重する立場を示した。

で、昔のエントリを再利用。非常に使い勝手がいいというか、問題は変わっても普遍的に読めるなあ、と自ブログ自賛。

靖国参拝−−平和を呼ぶ「サイキック・ウォーズ」?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050813#p3
■サイキック・ウォーズ再論(笑)。靖国反対運動で宗教の衝突と、自由と慣習について
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091226#p3

上のエントリーに記したエピソードやトピックの一部は、この朝日新聞記事へのはてブ
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/1026/SEB201010260010.html
や、ホットエントリに入った
■宗教の自由!
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20101026/p1
へのはてブ
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Apeman/20101026/p1
にも引用したです。

あ、そだ。これも応用できるか・・・?

ムハンマド風刺画」「コーラン焼却」騒動(の解決策)に通じるとした「エスパー魔美メソッド」を
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101011#p4
から展開させて

「あいつはまつった!ぼくはおこった!それでこの一件はおしまい!!」
でいいんジャマイカ
もちろん
「あいつはのろった!ぼくはおこった!それでこの一件はおしまい!!」
も可。


おまけ
ムハンマド風刺漫画問題。あるフィクション
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060209#p2


==【ここから下が、11月1日に書いた追記です】==

頂いたTBに対してのご返事

■誰が靖国に英霊を公表したのか
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101101/1288584688
というエントリでご意見を頂きました。有り難うございます。


ご意見のひとつは

父を批判された魔美が怒って抗議し、「天ばつ」をくだしたという背景がある。父が語る言葉は、魔美の思い込みを意図せず批判するという意味も物語上ある。比べて考えると、靖国神社の場合は英霊が遺族に「おしまい!!」と宣言できるわけがない。それともgryphon氏は英霊の代弁者として遺族に「おしまい!!」と宣言しているというのだろうか。

これに対しては、私は『”当事者の父が”怒りつつ相手の行動を認めたのだから、それで魔美は怒りや抗議の根拠を失った』とは考えてませんでした。父の言葉はそれ自体が圧倒的な正論であり、だれが言おうが納得させる力があると感じたから魔美も納得した−という展開だと個人的には思っていますし、それゆえここで引用した次第です。物語中でもパパの当事者性はよく言ってもダメ押し程度かと。
もし引用されたコマの主張が「当事者性が背後にないと説得力が無くなる」という程度のものなら、多くのブロガーが「父」と無関係な各種の問題でこれを引用しなかっただろうし、できないと思います。



もう一点。

「公表された作品については」という前提がある。比べて考えると、靖国神社の場合は遺族や英霊本人が能動的に公表したとはいえない。むしろ国の情報提供も裁判で訴えられ、判決でも「国の情報提供は合祀に一定の役割を果たした」と認められている。

作者藤子・F・不二雄氏が亡くなった今、小さな文言の真意というのも正しい解釈は確定しにくいかもしれませんが、敢えてそういう部分で言うなら「作者が(能動的に)公表した」ではなく「公表された」ですよね。
富田メモは本人は非公表・廃棄を希望し、遺族が了承したとか、ヘンリー・ダーガーは自らの作品の公表を望んでいたのかとか色々ありますが、ダーガー本人が作品を公表しなかったからといって死後、家主によってその作品が公開「されてしまった」(…と敢えて表記しましょう)今、あの作品は好きだ嫌いだという批評は妨げられませんよね。
 
芸術作品以外の歴史的・現実的な出来事や事件、事故そして戦争における戦死はさらに、それ以上によくも悪くも開かれています。
「Aさんがある戦争で戦死した」という事実がある場合、それは世の中にさまざまな経路で知られていくと思います。行政的な手続きでもそうでしょうし、新聞雑誌の報道でも、隣近所の噂や葬式という事実などもあるでしょう。例えば戦地に送り込んだ側〜戦犯裁判で死刑となったA級戦犯も、「何某は○月○日、絞首刑となった」という事実、情報はよくも悪くも本人・遺族の意志を超えて共有されるものだと思います。
 
現在の事件・事故でも「ある人物が、その事故で亡くなった」との情報を遺族がコントロールしたいと考える一方で、いやそういうわけにはいかないよ−−と別の側が主張するという軋轢がまま発生します。
( http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no111.htm )
各種のノンフィクションも「その当人・遺族が(能動的に)公表した」ことだけをもとに出来事を描写するという枠をはめると、かなりその内容はやせ細るのではないでしょうか。
 
 
他の事例にあてはめるのは冷静な評価をしやすくする半面、何が何に対応しているのか分かりづらくなるかも知れないので一応整理を。
 
「Aさんが戦地で戦死した」という事実がある(これが「公表された作品」に相当)。それに対して靖国神社が「そうやって亡くなったAさんは英霊であると、我々はみなします」とする(これが「批評」に相当)。
 
念のために言いますがその英霊という定義に対して「そんなのは偶像崇拝。まことの神は1つ」「私の父が英霊であるはずが無い」「人は死ねばゴミになる」と遺族は反発もできる(ぼくはおこった!に相当)。

で、「作品の公表」に相当する部分で、

遺族にも、情報を提供しない選択をするような「自由」

これは今現在なら、あるいはもう少し進めばありえるかも知れません。
上のリンクの話、「大型フェリ−の沈没の犠牲者」「脱線事故の犠牲者」もそうだし、あるいは卑近なところで言えば「東大合格者」「早大合格者」の氏名の扱いが時代につれてどんどん変わっていった、そういう中の話だと思っています。もう実際、現在はああいう形で神社に情報が伝わることも無いでしょう。
かつて東大合格者がざまざまな雑誌に、本人の意志に関係なく載っていたのも、当時の受験生がおそろしい人権侵害をされていた、というよりはやはり時代が変わったのではないでしょうか。
(そういえば沖縄「平和の礎」作成の時はどうやったのだろう…)
 
小室直樹氏が亡くなったという情報が、実際の死や噂の発生からだいぶ後で新聞などに流れたときに、ニュースに私はこうブックマークしました。

gryphon こういう有名人は死去の噂が流れたら、独自に報道機関が追うものと思っていたが、追う気は無かったのか追っても確認できなかったか。 どっちにしても、遺族が隠したいなら隠せる社会というのは悪くない。

ただし、この「悪くない」とは多分にロマン的なものであり、だから「当然だ」とか「隠したいなら隠し通せるべきだ」と断言しなかった。
 
いま現在でも、「ある人の死」という情報を遺族が管理できる範囲というのは無制限ではないし、その一方で皆無でもない。この点については世につれ人につれ、でいいと思います。
 
 
しかしその一方で、これは念押しですが、もしこの後の日本社会が、例えば飛行機事故などによる「ある人の死」を完全に非公表にできる仕組みが整ったとしても・・・。
 
何かの拍子でそれを知ったクニヤス神社が「おお、事故で亡くなった御霊は鎮めなければいけない。私たちはそれを、この地に眠る神とみなします」と祝詞を挙げても、「世界督基教分裂神霊協会」が「ああ、このような悲劇に見舞われた方は聖なる魂となっています。文曖昧お父様がそう言われました」と祈ろうと、総花学会が(面倒くさいので略)と言っても、「勝手にそういう」自由は守るし、守るべきだと思います。
遺族など当事者を含め、信じない人は ただ「あほかいな」「意味無いわ」と思えばいいわけで。もちろん高金氏のように「私の術と儀式で、魂は貴方たちには渡さず持ち帰ります!」とやってもいい。
 
だってさ、(このギャグも繰り返しになりますが)実際にあっちに行ってみたら「あ!○○教の言ってたことは真実だった!」っていう可能性は完全否定できないんですから(笑)。 「証明不可能・相互無視」で。

【有名小話】ある精神病院にて
「俺はナポレオンだ」
「そんなこと、誰が決めた」
「神様が決めた」
「俺はそんなこと、決めた覚えは無い」


ちなみに、最後に魔美ネタに戻りますが、パパの「それがいやならだれにもみせないことだ」というのは、<非公表の作品は批評拒否権を持ち、それを勝手に批評するのは悪である>という意味ではなく、「そうすれば物理的に、他人は批評したくても不可能になるよ」という意味だと解釈しています。

【追記・重要】これを自分はのちに「見なしの自由」という言葉で整理しました。この記事から直接つながるので是非お読みください。

■宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3

よかったら、このエントリをはじめ、日記内を「見なしの自由」で検索してみてください