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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

全女の若手試合は全て、勝敗を決めず一定のルール下で行った真剣勝負だった (柳澤健)

NHBニュース( http://blog.livedoor.jp/nhbnews/ )とダブルポストです

http://www.bunshun.co.jp/mag/ooruyomimono/index.htm

オール讀物 2010年 09月号 [雑誌]

オール讀物 2010年 09月号 [雑誌]

文芸春秋の一般雑誌「オール読物」に、

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クラッシュ・ギャルズが輝いた時代 柳澤 健
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というノンフィクションが掲載されています。(柳澤氏は柔術や柔道、レスリングの記事でも著名)

その中で、表題のクラッシュギャルズ長与千種ライオネス飛鳥)が所属していた「全日本女子プロレス」の若手試合は全てが「ゴング後15分まではプロレスをして、あとの勝敗は真剣の『押さえ込み』で決めるしくみだった」と書かれています。
もちろんプロレスの中で行うので、不自然にならないよう一定の”ルール”が定められていました。


そのルールとはどんなものか、
そこでの勝敗がどう影響したか、
強かった選手は誰か、
表題のふたりはその真剣勝負でどういう戦いをしたのか

−−−−−−−−などは、同誌をご覧ください。

作者の柳澤健氏は、言わずと知れた「1976年のアントニオ猪木」作者。

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

このブログでは、明治以来の「柔術−柔道」をめぐる対決の物語を発掘する書き手としても何度も取り上げていますね。

上に紹介したクラッシュ・ギャルズの文章に出てくる、「実は全女の若手は最後の決着をガチで決めていた」という話は以前から柳澤氏が連続インタビューで紹介、自分はすごく格闘技的・・・というより”格闘競技”的に興味をもって眺めていたのです。

以前の文章から引用する。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100422#p1

柳澤氏はいま、「1993年の女子プロレス」の聞き書きシリーズを続けている……わたしは女子プロは一般人と同じ程度に無知だが、それでも異様に、猛烈に面白い。「プロレスにガチはありえないというが、松永ぐらい”いい加減な”興行主なら、そのいい加減さゆえにガチも認めたんじゃないか?そういうこともプロレスにはあったんじゃないか?」という、プロレスの見方をある意味ひっくり返すような大きな謎を、個人的には一番注目している。

そういうこと。
「プロレスラーはかつてはホンモノだったが、アメリカンプロレスに毒されてみんながショーマン化していき…」みたいな伝説は伝説として、また”いざというときに抜くナイフ”としての技術を残すのは別にして、とりあえず「勝敗をあらかじめ決める格闘芸術」という部分の伝統はものすごーく長く、また例外なんてほとんど無いと言われていたような気がする。

しかし、全日本女子のプロモーター「松永兄弟」のいい加減さは、本当にその「結果はガチンコで決める」というありえねープロレス団体を、UWFだリングスだパンクラスだが理想を掲げて試行錯誤する前に、かーんたんに作っていたという!!この、不条理ともいえる奇跡!!


とはいえ、プロレスの中で真剣勝負で勝敗を決める、
というムリヤリなことをするために、実はウラでルールをいろいろときっちり決めていたのですね。それがけっこう合理的というか、たしかにプロレスにも見えるだろうし、シュート性も確保するという、何ともよく出来た?ルール。
ちなみに、なんでこんな真剣勝負システムが出来たというと「松永兄弟は若手の試合の結果で賭けをしていたから」というオチがつく。賭けという”悪”が、ガチンコの真剣勝負を担保する。ボクシングやPRIDE?も経験した、不思議な話。

 
・・・とまぁ、自分の興味はこういう法哲学ともいうべき部分に集中したんだけど、それ以外にクラッシュギャルズという、一時代を作った不世出のカリスマの物語・・・正統派ノンフィクションとしても興味深く読める。
長与千種の「千種」は、元競艇選手で娘も同じ道に進ませたかった父親が「千円(※大勝利時の配当)の種券」という意味で名づけた、というのはちょっと楽しい話だが、父親は最初、男の子が欲しかったため千種を男のように育てたものの、弟がその後生まれたために(いまどき珍しい話だが)弟が王様扱いされるという複雑な家庭を経験したという。そこに家の困窮なども加わる。ライオネス飛鳥のほうも、病気治療の薬の副作用で肥満するなど、幸せではない少女時代を送ったという。
その2人が全日本女子に入門後はお決まりのイジメや上下関係、ガチガチに固まった暗黙の規制・・・などに苦しむ。
 
これらの話は「立花隆を怒らせたノンフィクション」「『心を折る』という日本語を生んだ本」として歴史に残る

プロレス少女伝説 (文春文庫)

プロレス少女伝説 (文春文庫)

とも重なる部分があり、面白い。何十年か前にこの本を読んだとき、長与が「空手(長与は本格的な空手経験あり)の蹴りは足刀でみぞおちを蹴るのが本当なのに、足の裏で胸板を蹴れって言われた」と言ってたのを覚えているが、その話も出てくる。

また上の本では、日本に定着したメデューザという外国人レスラーが、先輩が無抵抗の後輩を殴り続ける光景を見てフロントに注意したところ
「プロレスってそういうもんでしょ?」
と返され
「私は殴られたら殴り返すのがプロレスだと思ってたわ!!」
とピシャリと言い返すという印象的な場面があったが、そういう上下関係のいやーな話も、いろいろ今回のノンフィクションでは記されている。


その一方で、まだ井田の本でははっきりはかけなかった「一流のプロレス演出家としての長与千種、そこに追いつけない天然のライオネス飛鳥」ということも書いている。タッグチームで「相手にやられて苦しむ役」と「それを颯爽と助ける役」というのはどちらがおいしいか。
力道山木村政彦ではふつうに助ける力道山がいい目をみたが、そこから進化した80年代の女子プロレスでは違ってくるのだ。
それを演出した、長与千種のプロレス頭を、両者の証言を交え書いているところが興味深い。

クラッシュの熱狂を生んだ女性の文化的背景は?

長与は中学生時代から、「何かさっぱりした、かっこいい先輩」として同性の後輩から大大大人気だったそうである(笑)。交換日記も1人か2人じゃ済まなかったとか。
クラッシュギャルズも長与の提案で「徹底的に中性っぽくしよう」となっていたんだそうだ。
さて、このテーマに関しては以前
■「かっこいい女性を女性が応援」という文化
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081017#p4

というタイトルで取り上げました。
これは日本独自の文化か、海外でもこれに類するカルチャーはあるのか、宝塚やリボンの騎士ベルサイユのばらとつながるのか、今の「BL」「やおい」と関係しているのか、これをうまく利用してジョシカク人気に火をつけることはできないか(笑)など。

しかし、結局そっち方面の基礎知識が当方は絶対的に不足しており、自分では一歩も進まないので、どなたか詳しい人には今回の「クラッシュギャルズ」も参考にして調べて欲しいし、元「ぱふ」編集者でもある柳澤氏にはそういう面からのアプローチで文章をものしてほしい、と思いました。