あらためて思うと、世の中いろんなものがドラマ化されています。
この前、映画ファンの上司が「映画化された築地魚河岸三代目は、続編を作るらしい」と教えてくれて
「ええっ?だってあれ、大ゴケにコケたでしょ?」
「まあ『JIN』のヒットもあったしな。もう一度チャンスをあげたいと思っているんだろ。釣りバカの後継を何とかして作りたいだろうし」
「うーん・・・長期連載の人気漫画からなら・・・『あぶさん』とかのほうが」
「長島や王、野村役がいないだろ。まだ野球より医者ものとかが受けるんじゃないか」
「長期連載ってだけなら『ゴッドハンド輝』とか・・・」
「それ、もうドラマ化された。しかも大失敗中の大失敗」
と、いうよーなやりとりがありましたのココロよ。
いや本当に、山のごとく雲のごとく本も漫画も出版されている・・・だがドラマ化されて成功するのはほんの一握りだ。
そこで、今回は本のご紹介の趣向として、連続テレビドラマ化することを前提に書いてみよう。
実は、「アレンジャー」とか「シリーズ構成」のお仕事というのにちょっと興味があって・・・つまり、むかしぼくは「そりゃ原作があるんだから、そのせりふやお話を脚本にしてきゃいいんじゃない?」と単純に思ってたのですが、例えば一冊の本をシリーズの話数に納めるとか、逆に引き伸ばすとか、毎回ごとに盛り上がりをつくるとか、それも本当に必要な才能であり、そういう人がいないと本のドラマ化も漫画のアニメ化もできやしない・・・ということに、今さらながら気づいたんですよ(笑)
試しにやってみようかなと。
その対象はこれ。
- 作者: 立川談春
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2008/04/11
- メディア: ハードカバー
- 購入: 30人 クリック: 195回
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http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/20081007#p1
で私は知ったのだが・・・・・・・・・・・ぐううう、いまこの紹介文の細部は忘れていたのだが、あらためて見ると今から紹介しようと思った部分のほとんどが引用されているじゃないか!!文字通り、ぎゃふんとつぶやきましたよ。
これからどうしよう・・・はっ、だから擬似連続ドラマの構成をやるんじゃないか!!
まあ、気を取り直していうと、まずリンク先を読んでください。
この本のキモは、立川談志という八方破れの奇人変人に見える男が、超一流の教育者であり・・・しかもやっぱり奇人変人であるという点だ。というか、言っていることもリンク先の指摘どおり矛盾だらけ、同一の本の中で正反対だったりする。
「どうやったら俺が喜ぶか、それだけ考えてろ。患うほど気を遣え。お前は俺に惚れて落語家になったんだろう。本気で惚れてる相手なら死ぬ気で尽くせ。サシでつきあって相手を喜ばせられないような奴が何百人という客を満足させられるわけがねェ」
↑
↓
形式は優先しないのです。俺にヨイショする暇があるのなら本の一冊でも読め、映画の一本も観ろ
(これは「前座の時は」とか「俺を抜いたと思ったら」という注釈があるから正確には矛盾しないが「にしても」である。)
だが、チベット仏教の「グル」や禅の高僧が得てしてそうであるように、その矛盾を押し付けられた弟子が、矛盾に悩む中で新たな再発見をしたりするから侮れないのである。
以前、私が「GIANT KILLING」(ジャイアントキリング)紹介で書いたように「一種の『老師もの』」として、そこに焦点を当てても、ドラマとしては料理できると思う。
※<老師もの>云々はこちらを参照↓
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090212#p3
■「GIANT KILLING」はサッカーを知らない者が読んでも、こんな風に面白い。
- 作者: ツジトモ,綱本将也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/04/23
- メディア: コミック
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だが、お茶の間に訴えるには師匠・談志の凄みばかり強調するのではなく、主人公のライバル、兄弟子など多士済々の群像劇であるべきでありますから、そっちを強調しましょう。業界はいま、13回で1クールですね、わかります。
【連続ドラマ・「赤めだか〜談志とその弟子」 全13回】
第1回「高座のカリスマ」
学校行事として寄席見学に来た、まだ中学生の談春。そこで見たのは、今まで上がっていた噺家とはオーラが違う男。
「忠臣蔵は四十七士が敵討ちを果たした。でもな、赤穂藩には300人の家来がいたんだぞ。そいつらみんな逃げちゃったんだ・・・落語はね、この逃げちゃった奴らが主人公なんだ」
自分でも言葉にできない、深い感動が主人公を包んでいく・・・
第2回「弟子入り志願」
当初の夢だった競艇選手への道はかなわず、噺家もいいなぁとぼんやり考える主人公。「志ん朝さんなら紹介できるよ」という知人にぐらついたりもするが(笑)、談志の「芝浜」を聞いた彼は「人生最大のショック」を受け、談志の弟子になるしかない、と決意。
ところが意を決して訪問した談志宅には、半ズボンにTシャツ、しかもミッキーマウスが笑っている図柄(笑)の、落語界のカリスマが・・・。
「高校はどうするんだ」「辞めます」(※この後はid:LittleBoyさんの上記リンクにある)
第3話「中退はしたけれど」
高校を中退しての談志門下入りを決めた主人公。
厳格な父親はまずスルーし、最初に学校に中退を申し出、母親を学校に呼び出す戦術を取る。
子供のころから学校が嫌いな母親がおっかなびっくり出向くと、「わが校は息子さんの決断を全面的に支持します」。
ところが父親「高校だけは卒業しろ。それがいやなら出て行け」。
「いいよ、内弟子になるから」
ところが師匠「おれは内弟子は取らない。なぜなら他人が俺の生活にかかわってくるのが嫌だから」
話はこんがらがり、新聞配達への住み込みから、なぜか黒柳徹子からカレーの作り方まで。
第4話「新弟子兼兄弟子」
新聞配達をしながらの新弟子生活が始まると早くも3日後、主人公に弟弟子が誕生した。10歳も年上で、2人は「談春」「談秋」となる。この二人に、それぞれ師匠から買い物指令が飛ぶが・・・
そしてさらに兄弟子の立川関西、立川談々登場。いずれも曲者で、前座の責任者・立川志の輔はと頭を抱える。
第5話「さらば談秋」
師匠の持論は「修行とは矛盾に耐えること」(オイオイ)。猫の狙撃から「殺虫剤まいとけ、薬が無いなら作れ」などの不思議なミッションをこなす毎日。弟弟子の談秋は、パニック状態での奇行が目立ち始め、ある日突然落語家を辞める。その夜、主人公と兄弟子関西は、ラーメン屋でこっそり送別会を開く。
第6話「日々稽古、時々しくじり」
留守電にメッセージを吹き込む談志。「今、弟子に稽古を付けています。初めての稽古なので電話に出られません・・・」いよいよ師匠の前での初稽古だ。優しかったり、厳しかったり、そして論理的だったり。タクシーの中で突然稽古が始まり、終わった後で「運ちゃん面白かったろ?」という師匠の一言に有頂天になる主人公。だがある日、風邪をひいた主人公が師匠にうつしてはいけない、と稽古を辞退すると・・・
第7話「築地魚河岸シューマイ修行」
立川流の客分的な門下(ちょっと説明が不正確だが)である桂文字助師匠が「若手を鍛えなおすため、1年魚河岸に入れましょう」と談志に提案。「森の石松」さながらに喧嘩ぱっやい江戸っ子・文字助師匠の音頭で決まった魚河岸勤め。シューマイ配りに悪戦苦闘する主人公だが、魚河岸の中に落語に通じる江戸文化の粋を発見する。
第8話「天才?天然?志らく登場」
ようやく魚河岸修行も終わるころ、新弟子の立川志らくが入門した。なんと魚河岸修行を「嫌です」の一言で免れたと分かり絶句の主人公。ところが高田文夫が「こいつは面白い」と太鼓判を押して談志に紹介したサラブレッド。前座の雑用はからきし駄目だが、噺は筋の良さを最初から発揮し、談志は主人公に、こともあろうに「志らくに教われ」とまで言い放つ。
だが、主人公は「それなら志らくから学ぼう。学んで、最後に勝ってやろう」と決意。近くであらためて、志らくの落語への熱意を知る主人公。
そんなとき、書斎で主人公と二人きりになった談志師匠は「嫉妬とは何か」について語り始める(※上記リンク参照)。
・・・・・・と、8話までのシリーズ構成をしたところで、煮詰まった脚本家(俺)が逃げてしまいました(笑)。三谷幸喜や井上ひさしの気分がちょっとわかった。嘘だが。
ま、でも、八話までの構成で、この本の面白さはけっこう伝わっただろうからまぁいいや。
「立川流新年会」とか「へっつい幽霊無断上演」とか「高田文夫伝」とか「真打昇進」そして「談志と柳家小さん」とか、十分シリーズにはできると思う。単に自分の気力が続かなかっただけでな。
とまれ、思いつきでやってみた「擬似ドラマ化風・名著紹介」は、書いてる自分は十分楽しかったから文句は無い。
また機会があったらやってみよう。今度は「全13回」と最初に決めないでおく(笑)。
【参考】もうひとつの談志関連リンク
http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/20091009#p1
※このエントリのひとつ下に補遺もあります。