イランの話をしたから、もうちょいイスラムトークをつづける(なんだよ、ガールズトークみたいなこの言い方)。
- 作者: 宮崎市定
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1995/12/18
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (7件) を見る
ただ、以前は斜め読みだったのか、忘れていたこういう一説におどろいた。
もしも鎌倉期の日本における新宗教の発生と、欧州の16世紀の宗教改革との間に、たとい直接にても間接にても一脈の因果関係が存在したならば如何であろうか。而してこういう過程は単なる冗談ではないのである。それは東洋と西洋の間に、ペルシャ・イスラム世界の厳然たる存在を考慮に入れることによって、まじめに考え直さるべき問題なのである。
ええっ!
「肉食系僧侶」を宗教的に正当化し、妻帯まで認めていった法然・親鸞の鎌倉新仏教(※禅のほうは逆に戒律厳しいけどね)がイスラム教と類似性があるなんてどーいうことよ、というとこう、センセイ・宮崎はいう。
「コーランの一字一句は神の啓示なりという信仰は、聖書のみを信ぜよという新教の主張の模範ではなかったか。」
「回教の在家宗教は新教僧侶の妻帯を理由付ける根拠ではなかったか。」
「鎌倉期新仏教の一特色は浄土教の発展である。浄土思想の本地はペルシャと考えられ、その雰囲気の中に発生したイスラム教は最も強烈なる浄土欣求の教であった。浄土思想は古くよりペルシャから中国へ、仏教の中に混じって輸入されたが、その隆盛に赴いたのは唐の中期である。」
「東洋の浄土教が、順縁にもあれ逆縁にもあれ、それがイスラム教によって鼓舞せられたものでないと誰が断言しえようか。浄土真宗の肉食妻帯公認は偶然としても、あまりにイスラム教の主張と一致しすぎているのである。」
・・・なんか、もはや「宮崎教授伝奇考」な感じになっているが(笑)。
いや当人も「これは仮説、推測で、ちゃんと主張にするには準備が足りない」といっている。
だが、おっしゃることの本旨はさすが”中国史の無差別重量級チャンプ(※)”だけあるわい。(※高島俊男の命名。無差別、とは中国史の森羅万象を縦横に論じるから。高島氏本人は自分のことを「無差別軽量級」と言っている)
イスラム教は戒律が厳格は厳格なのだが、そもそも「同じ宗教を信じ、同じ戒律を守れば信者は平等」のため、聖職者はいない(イランやタリバンの指導者のあれは、お勉強して人よりイスラムに詳しい学者さん、というだけ。)。
結果的な類似性もあるやもしれぬ。
- 作者: 井沢元彦
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1995/09
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (3件) を見る