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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

李氏朝鮮時代の庶民は、大多数がコメの飯を食ってたんじゃないか?という疑問(江戸時代の日本と同様)

井沢元彦「逆説の日本史」1巻の冒頭で紹介されていたから覚えている人もいるだろうが、板倉聖宣という方が気付いた?話で「江戸時代は、農民も含めて日常的に米を食べていた(だろう)」という議論がある。

逆説の日本史1 古代黎明編(小学館文庫): 封印された[倭]の謎

逆説の日本史1 古代黎明編(小学館文庫): 封印された[倭]の謎

いま、検索して該当資料を見つけた。(これは「逆説の日本史」の転載だね)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history108.htm

実に簡単な、数学の問題なのである。といっても、難しい原理や法則は必要ない。

わかりやすくするために、数字は単純化する。

たとえば日本の国の総石高(総米生産量)が仮に二千万石だとしよう。すなわち農業人口も二千万ということになる。一石とは一人の人間の一年間分の食糧であり、それが毎年とれる。そして食糧の生産量以上には人間は決して生きられないのだから、石高と人口は一致するはずである。

では江戸時代の武士の全人口に対する比率はどれくらいか、これは約五パーセントという数字が既に出ている。そして年貢率を五公五民としようか、これは収穫量の五十パーセントが「お上(かみ)=武士階級」に持っていかれるということだ。五十パーセントということは千万石の米が、人口の五パーセントに過ぎない人々(百万人)にとられるということになる。しかし、百万人の人間を養うには百万石の米があれば充分なのである。残りの九百万石の米は一体どうするのか?

売るか、あるいは米として食べる以外の食品(たとえば酒)の原料にするか、あるいは自分で食べるか。

米と金(かね)との一番の違いは何か、それは金は他人の十倍でも百倍でも浪費することは可能だが、米は他人の十倍食うというわけにはいかないことだ。酒の原料にしたところで消費量はたかがしれている。

では、大坂や江戸の商人に売るか、確かにこれは可能だ。しかし、この商人たちから米を買って食べる人々、いわゆる町人たちも総人口の五パーセントしかいない。

つまり農民以外の人々は総人口の十パーセントしかいないのである。この武士や町人たちがどんなに頑張ったところで、日本の米の総生産高の半分を食い尽くすことなど、できるはずもない。

もちろん、輸出して金(かね)に換えてしまうということは可能性として考えられる。あの悪名高いソビエトの独裁者スターリンは「飢餓輸出」をした。もっともこれは正確に言うなら「輸出による飢餓」だろう。外貨を稼ぐために自国の農民から生産物を「搾取(さくしゅ)」し、多数の農民を餓死させたのである。

しかし、日本の江戸時代にこの飢餓輸出が行なわれた可能性はまったくない。言うまでもなく日本は「鎖国」していたからだ。貿易を認められていたオランダや中国にも米が輸出されていた形跡はまったくない。

すると余った米はどうしたのか?

とてつもなく大量の米が余ったはずである。まさか。ドブに捨てたわけではあるまい。備蓄したのでもない。江戸時代に大量の埋蔵金ならぬ埋蔵米があったなどという話は聞いたことがない。

結局、それは人口の九十パーセントをしめる農民の口に、最終的には入ったに違いない。

こう考えるしかないのである。

もっとも、それは農民が虐(しいた)げられていなかった、ということではない。一度米を取り上げられて、自分の作ったものであるにもかかわらず、高い代償(苦役に従事したり娘を売ったり)を払って取り戻したこともあっただろう。しかし、とどのつまり米は食糧であり、人間の口に入らなければおさまりのつかないものである。二千万人分の米は結局二千万人の口に入ったと考えるのが、最も妥当な結論ということになる。

しかし、板倉氏もその著書で言っているように、こういうことを言うと、「おこりだす人」がいる。「そんなことは有り得ない」「江戸時代の農民は悲惨でなかった、などと言うのか」と言ってくるのだそうだ。

ふむ。
この議論も登場して多少時間もあるし、反批判も無いようだから基本的な考え方の方向性は間違っていないのですかね。


んで。
つらつら思うに
「当時、鎖国といえば李氏朝鮮もそうだったじゃん。あの国も、庶民がいろいろ不自由にせよ、最終的には日常的に米を食ってくらしてたのかな?」と。
そういう記録はのこっているのでしょうかね。

当時の記録という点で困るのは、日本は当時はトップクラスの識字率とはいえ、やはりどこでもあの時代なら「字を書いて、記録を残せる」→「教育がある」→「ある程度安定した生活を営んでいる」ということ。教育が無い層の、日常の食事というのはなかなか記録にないだろうな。

あと、鎖国というのは、農産物が海外市場に出回らず、強制的に国内で消費されるという点では天井しらずの値上がりを避けるいいシステムだったのかもしれないな。当時はですよ。

にしても、やっぱり日本や朝鮮で、江戸時代にふつうの庶民(農民)が米を日常的に食うってのはイメージわかないんだけどな。