「だせばよい、三崎を。そして、その試合のあと、無期限に出場停止とする」
その奇策に、たれもがあっとおどろきの声をあげた。
このへん、当時の状況をしらないとわかりにくい。
当時、戦極は、北方に、ひとつの仮想敵国を想定していた。
DREAMである。
それ以前のPRIDE王朝が、わたあめがとろけるかのように簡単に消えたあと、ふたつはまるで隣村の水争いのように、小さな諍いを重ねることによって、憎しみを重ね、それは思想的な「正義」にまでなった。
運営の加藤浩之や、映像の佐藤大輔らが支持したDREAMが、PRIDEの後継者であることを色濃く打ち出したのに対し、戦極は19世紀に生まれた海外思想を、自己の政権の、思想的基盤とした。
競技論
である。
すべて試合は、見世物ではなく、ひとつのルールによって裁かれ、大会は運営されるべきであり、そしてそれらは、団体を離れたコミッションが管轄すべきであるとするこの思想は、多分に実情を反映しない空論と揶揄されつつも「修斗」という小規模な宗教団体の教義として伝えられていたが、アジア的な規模で見ると斬新な思想であった。
もっとも、コミッションの実体はひとつの「空」であり、それは國保が動かす。
それが、戦極の体系として自然に組み込まれていたところに、この男の悪魔的な巨大さがある。
戦極の、本人たちが掲げる正統性から見れば、交通違反をとがめられて逃走し、公務執行妨害で逮捕されたということじたいがあり得べからざる話であり、コミッションは苛烈に裁くべきであった。
しかし、GRABAKAとJ-ROCKの二つの武力で成立している戦極が、三崎をはずすということは、いわば自らの足を切るに等しい。
そのような難題を、コミッションは−−すなわち國保は、奇術的な方法で解決するのである。
「いかにもおのおのの申されるとおり」
と、一礼した挙措は、いかにも一団体の実質的な長らしく丁寧な態度だった。
しかしながら、と國保はいう。
「しばらく我慢されよ。とるに法があり、動くに道がある」
今、自分はそのことを考えている。國保はそういって、納得させた。
その時の言葉には、異常な風圧があった。
今回の文体はこれを参考にしました
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/04/01
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 3回
- この商品を含むブログ (25件) を見る