新作「BILLY BAT(ビリーバット)」は朝日新聞で1面買い切りの広告のほか、テレビ欄や1面に複数広告を展開している。
漫画って新聞広告の効果が無いと言われてきたが、この敢えて行う新聞広告はなんというか「浦沢は別格」「現代の漫画家のトップ中のトップ」という権威付けの効果がありそうで、なかなか面白い戦略だ。
ところで、以前ある人と話したのだが、
「浦沢直樹は、起承転結の『起承』もしくは『起承転』までは信じられないほど巧い。それには異論はまったく無い。だが、最終的なオチを含めて大傑作といえるか?」
という話題になった。
双方、遠慮というか躊躇したのだが、結論は同じで「オチ・ラストまで含めて大成功してるとは思えない」でした。
短編集のMASTERキートンや、明らかに毛色の違うYAWARA!やHAPPY!は別にして、
最初から最後まで、謎解き的な部分を含めて最後まで引っ張る”責任”があるといっていい、長編シリアス(謎解き)ストーリーを三作、彼は書いた。
・・・・・・・・・どうでしたか?
あとは論理的な説明をするのに自信は無いので、ただの印象批評です、感情論ですとあらかじめ認めるけど、最終盤の部分で「ああ!驚かされた!!」とか「なるほど、腑に落ちる」という感覚をこの三つで持つことは無かった。
一応謎は明かされることが合っても「・・・で?」「それで、どうしたの?」という感じで。
あ、書きながら気づいたけど、
なんで一応答えが示されているのに納得できないかというと、上にも書いた起承転結の「起承」があまりにもすごすぎる、うますぎるからなんだ。これまで食べたこと無いようなものすごいオードブルや絶妙のサラダが出てくるから、「メインディッシュは究極のメニュー、至高のメニューなんだろうなあ」とかこっちが期待に期待を積み上げていくから。
だされたものを見て「これ?」とがっかりする。
だから、こういう不満は二流漫画家では出ないんだ(笑)。
なるほど、自分で疑問を書いて自分で納得したよ。ブログの効用だなあ。
しかし長編の中の、枝葉のエピソードが巧すぎる。
PLUTOの、ピアノを弾くロボットとか
MOSTERの・・・なんだったかな、何か初期の逃避行中にあった老人の話とか、ホントすごすぎる。
「すぎる」ばっかり書き過ぎるな、このエントリ。ありゃ、また「過ぎる」って書いちゃった。
結局、上記の作品では、こういう構造上は枝葉となる中篇・短編への才能と評価が集まって高評価になっているんで、全体の構成がすばらしいわけでは、あまり無いと思うしだい。