「伏字」を表現の手段としているので見出しはこちらの推定ですが、まあこれを読んでこの推定に異議を唱える人が何人いるか。
http://www.the-journal.jp/contents/ny_kanehira/2009/03/post_8.html
また、これが東京地検特捜部かと見紛うばかりの、検察の歴史に●●を残すような●●●●●の●●をみるにつけ、それに異議を唱えようともしない日本のメディアのありように絶望的な思いを抱きながらも、●●●●の遺志を継ぐ●●や●●のことを考えながら●●●●●●●●●●●。大昔、僕も地検まわりの記者をしていたことがあった。安原美穂、伊藤栄樹や吉永佑介、堀田力、北島敬介といった人々が検察庁にいた時代である。秋霜烈日という言葉がまだ生きていた時代だ。「検察なんてつねに体制、権力の犬だったじゃねえか」と凄むような人たちがいることも僕は知っている。だが、「権力の犬」の方が、「犬の権力」よりはまだマシかもしれない。日本全体が犬のような存在になって、その権力そのものと一体化した司直がお犬様のために動く。それが妄想であれば、どれだけいいことだろうか。
「(注:●●は表現の手法として用いた。)」んだそうです。