記録として残す必要がある。
男性にかみつく・体当たり…大暴れイノシシを警官が射殺
9日午前8時55分頃、香川県さぬき市津田町鶴羽の田んぼで、近くの女性から「イノシシが人を襲っている」と110番があった。
さぬき署員2人が駆けつけたところ、田んぼ脇の側溝(深さ約1メートル)で、イノシシ(体長約1・15メートル)が、近くに住む無職阿部静士(しずお)さん(77)に体当たりしたり、かみついたりしているのを発見。署員はイノシシを警棒で殴るなどして阿部さんから引き離したが、再び襲いかかったため、巡査長(46)が約3メートルの距離から眉間(みけん)に拳銃1発を発砲、イノシシを射殺した。阿部さんは頭から大量の出血と全身打撲を負い、大けがをした。阿部さんは散歩していたという。
同署の綾田浩三副署長は「男性に生命の危険が及んでおり、署員は適正な執行を行った」としている。
(2009年2月9日12時57分 読売新聞)
本当は上の話に直接盛り込みたかったが、被害がちょっと深刻なために盛り込めなかった。被害者の方にお見舞い申し上げます。
しかし、これも真面目な話だが、この警官の行動に「適正な執行を行った」という弁明調のコメントが必要になる社会ってのもどうなんだろうか。
それぐらい公権力、とくに銃という一般社会とは隔絶した、突出した武力を持っている(というのが日本社会の建前だ)側にはこれぐらいの抑制があったほうがいい、というのも一つの理屈だが、ただ「彼の職務を果敢に行った勇気と、それを可能にした訓練を誇りに思う」という、”欧米か!”的なステートメントというのもあったほうがいいんじゃないか、という気がするんだが。
拳銃で一発で、暴れるイノシシを仕留めるって、ジャンボを着水させたパイロットと同等、とは言わないが、近縁のカテゴリーに出来る、プロの仕事だと思う。