http://ameblo.jp/sataka/entry-10145940546.html
にある、佐高信と姜尚中のトークショーに行ってきた。たまたま条件、時間があったのでな。
500円をこの二人の話に払うのはいかにも惜しかったが、「ジャッカルの日」のためにはやむを得なかった。
つまり、ぐさりと(主に佐高信を)ひと刺しするつもりだった・・・というと警察がネットを必死で監視する昨今、いかにもよろしくないので、これは比喩であると言わずもがなの説明をする。つまり佐高氏があちこちで書き散らしている矛盾や放言、差別表現、事実関係の間違い、誤読・・・などを直接彼に問いただしてみようということだ。
とはいえ、そう簡単ではない。
いや、佐高氏のこれまでの言行を問い詰めること自体は全然簡単だが
(疑う向きは http://d.hatena.ne.jp/gryphon/searchdiary?word=%2a%5b%ba%b4%b9%e2%bf%ae%5d 参照)
講演会での質問の場合、他の人の時間も奪えないのでその問いを1、2問に凝縮し、どんとぶつけなければならない。また司会者、主催者がそこにいるので、過去の言動を追及するにしても「今日の会の趣旨はXXですので」と、テーマを振りかざして阻止される可能性も考慮し、そのトークショーの発言、趣旨に沿った質問であることが望ましい。
それは現場で判断し、議論を組み立てねばならない。
・・・・・まず結論をいうと、実に簡単に佐高信は自分から、追及に格好のネタを振ってくれた(笑)
他の聴衆にだけは分かるようにいうと、前半、小泉首相に関連した一連の主張だ。それは小生、すでに過去ログでその主張の支離滅裂さを指摘しているので、上のリンクを探してくれ。
あとひとつは、佐高と姜両氏の間に実は存在する差異、相互矛盾を指摘することだった。
実は佐高氏、いままでの自分の主張が正しいと言い張るなら目の前の(正確に言うと左側の)姜尚中を批判しなければいけないいくつかの論点がある。佐高おなじみの「ここの部分は意見が違うんだが」と笑顔で一言だけ触れてごまかせるようなものではない矛盾がね。
それはうまく、上の「質問その1」ともつなげてひとつながりの問いとも出来る。
さて、あとは目立つように挙手して、時間がなくなる前に指名されることだ。
そのタイミングを、今か今かと待った。
そしてトークショーが終わり、観衆は拍手。さて質疑応答の時間がーーーーーーー−−ー−−−無かった(笑)。
質疑応答の時間は全く取られず、そのままサイン会になったのである(笑)。
とんだシャバぞうだぜ、と言いたいところだが、まあ質疑をするしないは先方の勝手である。
無いなら諦めるほかあるまい。
実は青山ブックセンターで、この二人は共著「日本論」発売の際にもトークショーを行い、同様に質疑抜きでサイン会を行い、同様に俺は質問をのみこんだまま帰路につかざるを得なかった。
風蕭蕭として易水寒し ,
壯士 一度去りて復た還らず。
いや、私は気長に、またの機会を待とう。その時までに佐高氏よ、自身の言動の矛盾を洗い直しておきたまえ。え、多すぎる?
ついでに内容にも一言
「○○の出身地はXXですからね。XXは■■の風土がある」
というのを登場人物ごとに繰り返すだけ。それは風土や郷土の歴史はいろいろ、ある個人を生み出す時に影響するだろうが、それだけで全部ひとくくりにされてもなあ。話しているうちに同じところからまったく別の個性の二人が出ていることがわかって「XXはAを生む風土もBを生む風土もある」とかでまとめてるし(笑)
あと、福沢伝を書いている最中に、大学時代の友人岸井成格から北里柴三郎の本をもらい、そこで初めて「帝大の権威を批判した北里が日本の医学界で孤立し、それを福沢諭吉が支援した」という、栄光なき天才たちにも出てきたエピソードを初めて知ったという付け焼刃っぷりを赤裸々に語ったのは驚いた。