http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt
前半部を略す
小柄で華奢な岡部は自分を売らなかった。
「売文の徒」という蔑称がある。しかし、そもそも売りものになっている文章なのか。大体、売りものにならない独りよがりの言葉を書きつらねる人間が、それを蔑称として使う。
岡部は「おむすびの味」以来の売りものになるそれを、曲げることを拒否した。
戦争中の転向、つまりは政府や軍部への協力を、戦後に審査することになった時、される側の東大教授、我妻栄は、する側の丸山眞男(まだ確か助教授だった)に、
「転向するにも能力が要ることを忘れないでほしいね」
と言って笑ったという。
売りものになるというか、影響力のある文章を書く人間が転向するよう狙われるのであり、売りものにならないような文章を書く人間はそもそも転向を要求されない。
この機微がわからず、ただ、転向しなかった人間だけを礼讃していては不毛だろう。競輪で「トップ引き」という言葉があると聞いたことがある。うろおぼえだが、最初にトップを走る選手は風の抵抗とかがあって不利になるのに、それを承知でトップを引く選手のことを、そう言うらしい。
いわゆる革新の陣営では、トップを引きながらも転向してしまった者に対する優しさがないのではないか。たとえば部落解放運動の西光万吉である。西光さえをも転向させてしまった権力を激しく憎みつつ、西光の「弱さ」に学ばなければ、第2、第3の西光を続出させることにしかならないだろう。
岡部は「売らない自分」を持っていた。ということは「売る自分」も持っていたということであり、誰に何を売るかという問題なのである。
佐高信の馬鹿文章を紹介するのも久々だ。
時間をとりたくないのでさらっと書くと
「お前は自分の陣営に属している人間の”転向”歴をかばっているだけだ。
谷沢永一や藤岡信勝、西部邁に対して『一度は惚れた女(※彼らが若い頃傾倒した左翼思想の意味)の悪口をいうのは許せない』『今のやつらの左翼批判は、転向者が現在の立場に忠誠を誓ってるだけだ』」とか書きなぐっていたのはお前じゃないか(笑)」
ということです。
転向してしまった者に対する優しさがない、転向するにも能力が要る、弱さに学べ・・・なんて論法を認めるならあっさりお前の批判は崩壊するわけだが。
彼は本当に、昔自分が書いた文章を忘れているんじゃないか。
あ、立場がこうもコロコロ変わるのは「転向」か。うむたしかに転向にも(恥に耐える)能力がいるみたいだ(笑)
このへんの骨子は既にツッコミ済みなんで再録しよう
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070122#p7
……ま、対象の人は多くても言ってることは変わりマヘン、例によって(笑)。要は「かつて支持した思想を変えるのは裏切りだ」というだけである。
その考察がいかに浅いかは、他でも触れたオバタカズユキインタビューで明白である。
オバタ 内容じゃなくて、書き方が納得できない。例えば、長谷川が胡散臭いことはあの濁った目を見れば同感できます。けれでも、それを「元アカだろ」という書き方をされる。元アカで転向して、だからあっちもこっちも知ってて厚みがある。そうも言えますよね?
(略)
佐高 あのー、長谷川が一生懸命隠しているいちばん痛いところをついたわけなのね、こっちは。ただ、その諸刃の危険性っていうのはあなたに今言われて初めて気付いたみたいなところもあるわ。正直言ってね。
おーい………(++;)。
ふつう、「転向」の問題を扱うときは真っ先に考えるべき問題だろおが!!
こんなこと、93年に指摘されてはじめて気がつくのかよ。