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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

東浩紀 「秋葉原事件はテロ」の言葉から・・・テロと犯罪の境界とは。とりあえずの結論

東浩紀氏が秋葉原事件に際して書いた文章。
http://www2.asahi.com/special2/080609/TKY200806120251.html

いまや若者の多くが怒っており、その少なからぬ数がアキバ系の感性をもち、しかも秋葉原が彼らにとって象徴的な土地になっているという状況があった。したがって、その街を舞台に一種の「自爆テロ」が試みられたという知らせは、筆者にはありうることだと感じられたのである。

 筆者はいま「テロ」という言葉を使った。多くの読者は違和感をもつだろう。テロといえば普通は、何らかの政治的主張を伴った、強い信念のもとでの行動を意味する。今回の凶行にそんな主張があったのか、と

 確かに通常の意味での政治的主張はない。容疑者はネットに大量の書き込みを残している。そこには身勝手な劣等感ばかりが綴(つづ)られている。社会性のかけらもないように見える。

◆疎外感募らす

 しかし、逮捕後の調べのなかで、容疑者が職場への怒りや世間からの疎外感を長期的に募らせたうえで、計画的に凶行に及んだことが徐々に明らかになってきている。そこに窺(うかが)えるのは、未熟なオタク青年が「逆ギレ」を起こし刃物を振り回したといった単純な話ではなく、むしろ、社会全体に対する空恐ろしいまでの絶望と怒りである。不安定な雇用に悩んでいたという報道もある。

 容疑者は彼の苦しみを大人の言葉で語らなかったかもしれない。怒りの対象も曖昧(あいまい)だったかもしれない。彼が凶行の現場として秋葉原を選んだのは、おそらくはその曖昧さのためだ。もし彼が首相官邸経団連本部に突っ込んでいたら、だれもがそれをテロと見なし、怒りの実質に関心を向けただろう。彼はその点でいかにも幼稚だった。無辜(むこ)の通行人を殺してもなにも変わるわけがない。しかしその幼稚さは、怒りの本質にはかかわらない。だから、筆者はこの事件をあえてテロととらえたいと思うのだ。

 容疑者はむろん厳罰に処すべきである。犯罪の計画性と残虐性は明らかであり、情状酌量の余地はない。また、このような事件は二度と起きてはならず、容疑者を英雄視することは許されない。ネットの一部では共感の声が現れているが、それこそ幼稚と言うべきだ。

◆不可避の社会

 しかし、テロリストを厳正に処罰することと、テロが生み出される背景を無視することは異なる。私たちは彼のような「幼稚なテロリスト」を不可避的に生み出す社会に生きている。


古い話題になってしまって恐縮だが、遅ればせながらあらためて。
ここでの東氏の論考の本題からはやや離れて、ここで東氏が「テロだというと多くの人は違和感があるだろうが、私は敢えてテロという言葉を使いたい」という書き方をしている点を少し考えたい。


というのは、もうすっかりみんな記憶のかなたにある話だが、一年前、日本の総理大臣は安倍晋三だった。
覚えてましたか(笑)

で、昨年四月に、当時の伊藤一長長崎市長暴力団員に銃で撃たれ命を失う事件があった。
そしてそれに伴って
「安倍首相のコメントは遅い、テロへの怒りが無い」
という批判があった。
もう記事の多くは見つからないが、
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/50948959.html
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-317.html

http://www.j-cast.com/2007/04/18006976.html


などにその断片記事が残っている。
私は長崎事件は「行政対象暴力」というカテゴリーで考えたほうがいいと事件発生時から書いてきたので、いまだに「民主主義に対するテロ」というのは違和感がある。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070418#p4

■[時事][犯罪]長崎市長が狙撃され死亡。
ご冥福をお祈りします。
伊藤一長氏はさぞ無念だったろう。
「行政への不当要求」「行政対象暴力」がますます過激さを増している。やはり対岸の火事とはいえない。
土建業の縮小や、官製談合の排除で追い詰められているのだろうか。それは分からない。
(「テロ」という表現をしている所も多いが、現在の報道を分析する限りは「不当要求」「行政対象暴力」というほうが問題点をピンポイントで抑えることが出来ると思う)

その後も関連して「これって『民主主義へのテロ』なの?違うの?」「首相とかは、これにメッセージを発しなくていいの?」と思うようなものがいくつかあり、ときどき拾っている。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070520#p2
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070828#p5
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080109#p4


いちおう先に書いておくと、日本社会が基本的に法治国家であり、その法が憲法から基本的に民主主義という原理に基づいて構築されている以上、角の横丁でジュースの万引きがあっても、田舎の年金暮らしのお年寄りに振り込め詐欺の電話がかかってきても、ひろーく言えば「民主主義を破壊するテロ行為」といえば言えなくもない、かもしれない。ほんとかよ。

また、公職にある人が生命を奪われ、危機に晒されたという点では
丹羽兵助
山村新治郎

などがいる。一命をとりとめた中ではライシャワーアントニオ猪木も。



そして長崎市長射殺事件の犯人は、死者一名の事件としては異例の死刑判決を受けた。
この時の判決要旨
http://www.47news.jp/CN/200805/CN2008052601000619.html

・・・長崎市が自らの不当な要求などを受け入れず暴力団幹部としてのプライドを傷つけられたと感じ、首長である伊藤一長前市長を逆恨みした。前市長を殺害して当選を阻止し、前市長と市への恨みを晴らすとともに、世間を震撼させるような大事件を引き起こすことで暴力団幹部としての意地を見せようと考えたと推認できる。

(略)

被告は自分の思い通りにならない行政への憤まんなどから暴挙に及び、これを世間に誇示する意図もあった。暴力団による銃器犯罪の典型で、行政対象暴力として例のない極めて悪質な犯行だ。
 また、殺害によって当選を阻止するという目的を遂げており、選挙の自由を妨害する犯罪の中でも、これほど強烈なものはなく、民主主義社会において到底許し難い。・・・

ということである、動機としては「暴力団幹部のプライドが傷ついた」「世間を震撼させる事件で暴力団幹部としての意地を見せる」というものだった。
だが、判決は「民主主義を根底から揺るがす犯行」、検察は「選挙テロ」という表現もつかっていた。


結局、こういうことだと考えるべきかと思う。
「犯罪の中には、動機とは別に、その結果自体が、結果的に民主主義社会を揺るがすテロになってしまうものもある。その『結果としてのテロ』としてなら、伊藤一長長崎射殺事件も秋葉原通り魔事件、山村新治郎殺害事件やライシャワー襲撃事件、もテロになり得る」

当時の安倍首相が事件直後(10分後)に「厳正な捜査を求める」としたのがテロへの姿勢として甘い、というのは、「一般的な定義としてのテロ」と「結果としてのテロ」の混同で、後者に関しては直後に断言してよかったし、するべきであった」と解釈するべきであろう。つーかそういう論理展開にでもしないと、さすがに遅すぎるとの批判は言えないんじゃないかと。

ただ今回、そうすると秋葉原事件をテロとする人が、今回は東浩紀だけで少なくなりすぎ、それこそ福田康夫首相も反応が遅すぎる、ということになるのだが。