http://www.prideofficial.com/free/news/details.php?id=1164701701
http://www.prideofficial.com/free/news/details.php?id=1164712235
感慨深いねえ。何度も言うけど、メディアがまだ彼らにスポットライトを当てず、当然名前すら分からなかったときに、このブログで
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20040831#p1
■ [格闘技][PRIDE]煽り映像職人よ、表舞台に出て来い。
と呼びかけたことがある。逆に、このころ今回のレベルの情報が供給されていれば、未知の部分にブログで探っていく、ってことも無かったかな。
立木 でも、最初は普通に選手を紹介する形の真面目なVTRだったものを、この人が歴史を変えたんですよ。『PRIDE.5』からあったんですが、明らかに変わったのは『男祭り』の1回目(2003.12.31『男祭り2003』)。これが業界的にも歴史を変えた、それは間違いないです。
佐藤 それまでもワリと手を変え品を変え、いろいろ試行錯誤していたんですよ。
これは自分の実感としては「?」だな。前にも書いたけど「2001年、捕鯨解禁」(ティム・カタルフォvsトム・エリクソン)とか「氷の拳が、世界を制す」「灼熱の柔術地獄が、世界を覆う」(2002年、ヒョーノゲ初戦)とかで、すでに異様な迫力というものを持っていた。2003年に、何か大きな変化があったのか。
これは見直してみないと分からないかもしれない。
佐藤 実は『PRIDE』の担当に決まった当時、僕は入社して2〜3年目でまだADだったんですよ。フジテレビのチーフディレクターの考えで、いきなり抜擢されたんです。
立木 そうなんですよね、驚くべきことに当時はまだADだった。
佐藤 そうなんですよねぇ、ADなのになぜかVTRを任されたんですよ。
立木 それが凄く大きいでしょう。テレビ業界では、まずありえないことですよね。
――PRIDEを担当すると決まった時は、どんな気持ちでした?
佐藤 あの時は不思議と、「あ、俺がやるんだ」って普通に受け入れましたね。
このへんは、やはりフジテレビにはフジテレビならではの、ノリの良さや風通しの良さがあるのだな。
それが、あの「オレたちひょうきん族」を生んだものと同一であるのだろう。
こういうところを含めてもやっぱりフジテレビってのは面白い会社であり、そこを辞めるというのがいかにバカなことであるのかと(笑)。
まあ、ますますいろいろと楽しませてくださいよ。
これだけ二人がちやほやされたら、同じく格闘技番組で、煽り映像もちゃんとあるK-1の担当者も面白く無かろうだし。